9あたしと舞踏会
心細いといったわりにはアリシオは舞踏会の華の一つとして十分輝いている。開会前だというのに、学園の男子に限らずOBらしきずいぶん歳上の男性にも声をかけられていた。
あたしはじゃまにならないようにと早い段階でその輪を抜けたけど、彼女はそれに気づいているかどうか。初めは緊張していたみたいだったけど、話しかけられるうちに調子が出てきたみたいで、ニコニコ楽しそうに相手をしている。
実際アリシオは美しかった。
淡いグリーンのドレスが彼女の銅の髪色を引き立てている。サイドの編み込みもかわいいし、アップにして髪を留めるかんざしも品のいい金色で、華やかなのに可憐な印象だった。
特別化粧が濃いわけでもないのに、並ぶとあたしが子供っぽく見える。確かにリコは発育不良だけど。
あたしは飲み物片手に壁のシミでもなったつもりで、会場内をぼんやり見つめた。着飾った男女がフフアハハと、会話に花を咲かせている。華やかだねえ、引きこもりには目の毒だし、場違いだ。
今のあたし、桜型の石は仕方なくゴツイ鎖は外して、細いチェーンに付け替えている。こういう細工は、お母様の心遣いだね。
お母様といえば、あたしが気後れしつつもドレスの手配を頼んだら、張り切って職人を引き連れてやってきた。なにも本人が来なくても、と思うんだけど、俄然嬉しそうにサイズを測らせ始めるものだから、まあいいか、って。親不孝な娘だから、こういうのも孝行の一環になるのかもしれん。
さて、そんなわけで舞踏会用のドレスは完成した。急ごしらえとは思えない仕上がりです。メインの色はチョコレートで、所々パールとピンクの石が縫い付けられている。髪留めもドレスと同じ色で、小ぶりのリボンがついていた。地味めな色なのにきちんとかわいいし、髪の色とケンカしなくてむしろこのくらいでいいかも。ドレスの裾のレースは桜色で、一応に春らしい。苺クリームの載ったビターチョコタルトって感じかな。
……うん、ちょうどテーブルの上に発見したんだ。立食形式だから、欲しいなら自分でお皿に取らなくちゃいけない。ちなみに黒玉はこういう時も侍従付き。アレ食べたいっていえば、ハイハイっとお世話係が手元まで持ってくる。逆に食べにくいんじゃないかね。
あたしはお菓子の並ぶ一群にトコトコ近づく。
グリーンのナッツクリームとバナナのクッキーサンド、果汁を生地に混ぜ込んだスポンジに、生クリームとベリージャムを塗ったケーキ。蜜桃とオレンジのジュレ、ベリーとチョコレートのタルト。などなど。名前は書いてないけど、たぶんそんなところだろう。素材は厳密に前世と同じものではないんだろうけど、味も形も良く似ている。温室もあるから、結構季節に縛られず色んなものが並ぶみたい。
あたしは最初に目星をつけたタルトとチーズクリームと杏のムースをお皿に載せると、壁際に戻った。前世から甘酸っぱい系に弱い。ムースのふわふわに口が緩んだ時、なんとなく視線を感じたけれど、顔をあげてもみんなそれぞれのおしゃべりに夢中なようだった。気のせいか。
あたしの他にも食い気が買っている参加者は結構いる。顔は覚えていないけど、赤実だろうな。あの子の持ってる黒糖のプリン、美味しそう。あたしもあとで食べよう。
「シンクレイ」
チーズクリームでまったりしたところを、柑橘のジュースで口直し、飲み干した瞬間、声をかけられる。タイミング的にちょっと気恥ずかしくて、あたしはぎこちなく顔をあげた。茶髪の、同じ年頃の男子だ。どことなく見覚えがあるような、無いような。赤実だろうか。
うむ、こちらは知らないのに向こうはそうでない状況が後ろめたいな! とりあえず笑顔、笑顔だ。あたしはグラスをおろして微笑んだ。
「ごきげんよう」
「ああ。その、君がこんな場に出てくるのは珍しいな」
「ええ。たまには良いかと思いまして」
付き合いで、と言うのは飲み込んだ。なんとなく彼女に申し訳ない。
「そうか」
茶髪の彼は首をかしげるようにして笑いをこぼした。あたしも笑う。空のグラスに気づいて給仕を呼んでくれるので、遠慮なくもらった。紅玉色の果実のジュース。ブレンドしてあるのに癖がなくて、スッとして、結構好きな味。
「君は、ダンスの相手は決まってるのか?」
不意に聞かれる。あたしは首を横に振った。
「踊れないんです」
「……そうか。またスコラで習ったら、その時は、その、良かったら」
「ええ。ぜひ」
それから二言三言かわして、彼は友人を見つけたと去って行った。
満たされたグラスを手に、あたしはなんとなくさみしさを感じる自分に気づく。アリシオ以外と挨拶以上の会話することが普段ないからかな。
もらったばかりのジュースに口をつける。
さみしくない。ぜんぜん寂しくなんかないし。
あたしはあたしだし、別にね、周りがどうだろうと関係ないっていうか。
……。
……お菓子たべよっと。
先ほどのように、テーブルにいくと、目星を付けていたプリンを取った。けど、不思議とさっきよりも心が躍らない。自然とため息が出て、さっさと食べてしまう。カラメルが少しだけほろ苦くて、美味。うむ。
「……」
ため息。
お皿を返して、もといた壁際へ帰ろうとするけれど、いつの間にか知らない女生徒がそこにはいた。たぶんあたしのように場の空気にあてられて、隅っこに一時退避しているのだろう。
……同学年くらいかな。
一瞬、話しかけようかなと思うけど、すぐにその思いつきは折れた。彼女のもとに急ぎ足に近寄る女生徒がもう一人。目があって笑顔になる二人。
あたしは急に居場所をなくしたようで、その光景に背を向けた。歩き出して、自然と早足になって、人の隙間を縫いながら、頭の中を言葉にならない感情がひしめく。気が散漫になる。
不意に目前に迫る人影をかわそうとして、当然のようにあたしはつんのめった。気づいた誰かが、あっと声をあげるのが聞こえた。願望から来る幻聴? あたしを見てくれている人がいるって、信じたい、あたしの……
普通、転ぶときは手を前に出すものだ。
だけどあたしは茫然と、重力に任せるままに身体を投げ出していた。
もうどうにでもなーれってなもんよ。でもさすがに目を開けている度胸はなくて、ただぎゅっとつむって、衝撃に耐えるのだ。
どん、と鈍い音とともに、斜めになった体が受け止められる。一瞬、わからない。けれど、体が痛くないし、床にぶつかるような角度でもない。誰かが抱き留めてくれたのだ。それはとてつもなく懐かしい温もりで、あたしは変なテンションになる。
「おじ、さま?」
そんなことを口走っちゃうほどに、正気でなくなった。そうしてからとっさに目を開けて、眼前に迫った誰かの胸から慌てて離れる。
「あ、のっ、ご、ごめんなさい!」
おじさまって、そんなわけないでしょ! 馬鹿かあたしは!
けれどその恩人の顔を見て、固まった。突如無言になるあたしに、彼は――ベリダッドは、怪訝そうに眉をひそめる。
「どうした?」
「べべべ、ベリダ」
「ああ」
うなずく。当然みたいにそこにいて、あたしの視線も言葉も受け止める。黒髪に、若草色の瞳をまっすぐこちらへ向ける、ベリダッド・ロギンズ。彼は動揺するあたしに手を差し出した。あたしはその手を取ったらしい。わあっと人が湧く声が聞こえたけれど、耳を通り抜けていく。ただ引かれるままに、彼の後について歩く。カラメル色のシャツを着る後姿に、置いて行かれないように。
ベリダッドはちょうど、あたしがさっきいたのとは反対側の壁際にくると、「けがはないか」と言いながら手を放した。
「平気、です。でも兄様がどうしてここに?」
あたしの問いは当然のものだった。だよね?
けれど彼はしばしの黙考ののち、「在学したことがある」とだけ言った。卒業生として出席しているってことだ。
嘘ではないのだろう。けれど、それだけではないと、その逡巡が語る。
「……では、兄様は私の先輩なんですね」
頷いて、兄様はそれきり壁に背を預けて、どこを見るともなく中空に視線を漂わせる。あたしもその横に並んで、首を少しだけそちらへ傾けた。
砂糖を煮詰めたカラメル色のシャツ。シックな黒のタイは、血のように赤い石のついたピンでまとめられている。袖の若草の刺繍にはダークパールの朝露が輝いていた。
――お母様とおじさまが、寄こしたんだ。
あたしはともかく、兄様にお揃いをさせるなんて。
胸が詰まる。
「ありがとうございます、ベリダ兄様」
「ああ」
「お会いできて、よかった」
あたしはホロリとしそうになって、天井を見上げた。シャンデリア、きれいだなあ。