8あたしと学園2
とぼとぼと、寮へと続く石畳を歩く。
今日も図書館に長居して、帰り道には夕焼け小焼け。ちなみに寮の門限を守らないと赤実の上級生に絞られるらしい。あたし小市民だから、そういうの遭遇したくないな。
寮の門につくと、ちょうど時計塔が夕陽を抱いているところだった。門を入ってまっすぐ歩くと突き当たる塔。この尖塔の真下に時計が嵌め込まれているのだ。
これを囲むように、コの字にぐるっと宿舎が並んでいる。ちなみに塔の四面それぞれに同じく時計が付いていて、寮の内側の部屋ならならどこに入居していても文字盤が窓から見えるしくみ。
門に向かって左手に、寮よりは小さな建物が設けてあるのだが、これは従者の寝泊まり用。彼らには門限はない。主人のお世話に出たり入ったり、二十四時間対応しなくちゃならないからね。
ちなみにこの寮は赤実用で、黒玉は校舎を隔てて反対の東側に位置している。基本的には同じ構造だけど、従者用の宿舎は増築して倍以上の規模だそうです。
うん、あたしには関係ないな。
あたしの部屋はコの字の右下、校舎側の一階の端っこ。時計は見えないし、従者も通いづらい不人気部屋。上級生が上の階を使うんだそうだ。あたし移動するの億劫だから、ずっとここでいいよ。
しかしさすがブルジョワ。全部屋一人用だ。荷物をほとんど持ち込まなかったおかげで、あたしには広すぎるくらい。
借りてきた本を机に積んで、窓からスコラジルバを囲む森を見る。
そう、森だ。
鬱蒼と茂る森だよ。
どういうわけか、この学園は、森のど真ん中にある。というか、スコラを中心に森が構築されている、らしい。わざわざ植えたのか。
ジルバさんが何を考えていたのかあたしには謎です。
三階まで上がると、森の先の校舎も見えるんだろうけど、あたしの部屋の窓からは、夕暮れから夜の色に染まっていく木々のみである。
制服を脱いで壁にかける。グレーのブレザーにロングスカートと、あたしの中のいわゆる『制服』とかけ離れてなくて、初めて見た時はちょっと感動した。
いつもの部屋着のワンピースに着替えて、首飾りも掛け直す。
この長い年月持ち歩いたというのに、鎖も石も、錆びたり傷ついたりすることがない。石はともかく鎖の方は、実はすごい素材だったんじゃないかと調べても見たけど、ありふれた鉱石、というのが結論。すごいや職人さん。
律子は超感謝してるよ。
冷たい飲み物と、温かい飲み物と。たくさんほしい時と、少しだけでいい時と。
そのくらいしかない一人分の食器類が並ぶ棚から白いカップを出して、引き出しから茶葉を取り出す。青葉葛茶。夏摘みの青葉と花葛を混ぜたもので、若い女の子に人気なんだと、おじさまが持たせてくれた。青葉は後味がすうっとしなくて、ほんのり甘いミントって感じかな。あたしの舌には少し苦いので、砂糖を多めに入れてかき混ぜる。
花葛のとろみが熱を逃がさなくて、飲み物が冷めがちな勉強中には嬉しかった。
おじさま。
あっさりスコラに通うと決めたあたしを、最後まで不安そうに見ていた。
「本当にいいのか」って、出発前夜まで聞き続けた。
お母様の前では色んな種類のお茶をお土産に持たせてくれたりと明るい調子だったけど、二人になるとあたしの態度が信用できないと、あからさまに心配する。
確かにヤケッパチだったけど、別に死のうってんじゃないんだからさ、と、膜のかかったような頭で思った記憶がある。
カップの中身を一口飲んで、机に向かう。
あたしは今日も一人でお勉強。
リコリベージの頭は出来がいいので、あたしはさしたる苦労もなく知識を得ていく。律子はこうはいかなかった。勉強嫌いだったね。
朝になり、服を替えて寮を出る。生徒を見るとわかるんだけど、赤実に金髪の生徒はあまりいない。おかげであたしは浮いた。まあもともと馴染んでないっていうか友達いないけど。
でも、いい。
五年間と考えるとさみしい気持ちもあるけど、でもそんなに学園生活共にしてたらトラブルも起きそうだし、積極的には求めない。
金髪も黒玉にはそこそこ。金髪碧眼は今の王族のメインのカラーだから、色がかぶってるだけで無駄にえばる連中もいるらしい。
あたしは王族とは関係なくこの色なので、訊かれても単に母譲りとだけ言っている。シンクレイは昔からある名家だけど、王家とは形式的な付き合いばかりだ。
兄がいなくなり父は死に、今はお母様が当主だけど、実質おじさまがそういうめんどくさいことは片付けてくれてるんだと思う。貴族といっても土地は昔から付き合いのある地主に貸してるらしいから、お母様の視察もそんな頻回じゃないだろうな。
まああたし、引きこもりだからよくわかんないけどさ。
枯葉の落ちる季節になると、赤実の子達はアリシオを中心にして焼き芋を焼いたり、敷地内の木から果実を拝借したりしていた。あたしは体が弱いからと参加は断ったけど、アリシオはわざわざ部屋まで届けてくれた。
それと冬、ベリダッドから手紙がきた。体調を気遣う短い文面で、たぶんおじさまの差し金。
率直にいうと、嬉しかった。
寒さで縮こまる心にしみたよ。
冬が過ぎ春がきて、入学式。
その日スコラジルバに、王子様がやってきた
ジルバは沸き立っていた。この春からの新入生にも、式典を祝うために参列するこのバグルジーンの王子にも。
「リコ嬢は、気にならないの?」
授業の合間の休憩時間、目を覚ましたアリシオは、あくびをかみ殺しながらあたしに訊いた。
「なにが?」
「ほら、殿下」
「お目にかかれるのは光栄よ」
アリシオは机に肘をつく。今日は珍しく髪を下ろしているので、馬には乗らないのだろう。結局寝てるけど。
「さすがお嬢様。興味ないのね」
「そういうアリシオさんはどうなの?」
「私? んー、まあ、見えたら嬉しいかな、くらい?」
言いながらいたずらっぽくくつくつ笑う。
アリシオはこうして時々あたしに話しかけてくれる。ぼっちを気にかけて、というわけでもなさそうなので、こちらも気兼ねせず応対できた。
彼女は赤実の一年生の中では結構な中心人物だったけど、特別な仲良しはいないみたいだ。奔放でこだわらない性格ゆえか、あるいは高嶺の華なのかね。
けれどこうして話しながらも、あたしは彼女と話したくてしかたない周囲の視線を感じるのだ。
モテるってすごい。
式典といってもそれ自体は新入生のみで済まされ、あたしたち二学年からも参加するのはその後の舞踏会から。
舞踏会ってセレブな響き……
あたしはこういうイベントに出たことはないので、自由参加なのをいいことに、普通に欠席するつもりである。
「その殿下だけど、舞踏会にもお見えになるって話よ」
へえ。王子様も大変だ。
「アリシオさんは参加するんでしょう?」
「当然よ。サボったらパパに叱られちゃうわ。王子様にも興味はあるしね」
アリシオは嫁入り前の箔付けのためにスコラに入った。学園内でも、異性と触れ合う機会があるなら積極的に、というのが父親の望みなんだとか。
「大変ね」
「リコ嬢はどんなドレスを着るの? 被らないように教えてよ」
「残念だけど、私はお休みするわ」
「……ちょっと、本気?」
アリシオは体を起こすと、人目をはばかるように扇を開いて口元を隠す。
「ええ。私、ダンスもできないし」
ダンスの授業は二年からだし、しつこくねだるマクジーンの練習に付き合ったことはあるけど、所詮子供の遊びレベル。
誰かと踊るなんてむりむり。
「あんなの適当でいいのよ。踊れなくても参加するだけで、誰の目に止まるかわからないんだから」
アリシオは食い下がる。ていうか顔近い。あたしの間合いに入るんじゃない。
「あ、アリシオさん?」
あたしは動揺を隠して呼びかける。アリシオは俯いてぽつりとこぼした。
「……ちょっと、心細いのよね」
ほう。
「その、ついてきてくれない?」
あたしはぼっちだが、人当たりはいいし基本善人だ。そういう設定だ。いつのまにか。
なのでこういう時の選択肢はひとつなのだ。
情けないことに。
「……わかったわ。でも、本当に踊れないわよ」
「ありがとう、恩に着るわ!」
アリシオはあたしの両手をぎゅっと握る。触れ合いに免疫のないあたしは、ぎこちなく笑い返した。
というわけで、あたし初舞踏会参加決定。