5僕と姉
リコリベージ・シンクレイは、奇妙な姉だった。
弟として、変な人だと感じたことは両手じゃ足りない。僕が生を受けてこのかた、あの人が理解できたことなどない。ただひとつ、物心ついたときからわかるのは、あの人が僕を、マクジーン・シンクレイを別段好んでいないということくらい。
僕は愛らしい外見をしている。母譲りの金の髪は黄水仙のようだし、瞳の青は水蛍の石のように、哀れを誘う儚さである。と、誰しも言う。
愛された。母にも侍女にも。僕を見た全ての人間は、その声や視線で好意をほのめかして気持ちよくさせた。
それなのに、彼女だけが顧みなかった。
いつもきたない本を大事そうに読んでいた。本人は隠しているつもりだっただろうが、屋敷の誰もが知っていた。けれど注意は払わなかった。
いや、リコリベージは、周囲にそれをさせなかったのだ。
はじめ僕はあの冴えない姉が、愛されたいばかりに孤独を気取るのかと思っていた。ひとり拗ねた態度を取れば、僕に傾いた屋敷の人間が、少しは自分に戻るだろうと、浅はかにたくらんだのだと。けれど姉は徹底的に避けた。侍女の優しい言葉も、母の不安も、ルトビイおじの心配からくるからかいも。
弟の僕も。
避けるというのが適切かどうかはわからない。姉は厳しい態度をとるわけではない。むしろ全ての働きかけに対して穏やかに返していた。
何をしようと彼女の心にはとどまらないというのが正しいかもしれない。
そうだ。
リコリベージは無感動だ。
にも関わらず、まともなのだ。
僕は子どもゆえの好奇心で、姉を暴いてやろうと後を尾けたからわかる。
あの人はひとりになれば、花も愛でるし物語を読んで泣きもする。薔薇色の頬で菓子を頬張っていたこともある。
情緒がないわけではないが、それを表に出さないのだ。人前で感情的になることを極力避けて、それが成功してしまっているのだ。
僕は考えた。
リコリベージは、身内の人間を信用していないのではないか。感情をあらわにすることで、何らかの不利益があるのではないか。
もしそうなら、不利益とはなんだ?
姉は子どもである。
子どもが笑顔を張り付けて能面のように生きなくてはならない理由とはなんだ?
僕は無邪気に聞いた。
母は、姉をどう育てたのか。おじはどう関わったのか。それとなく真実を探ろうとした。
だが現れたのは、感情の乏しい娘への真心に満ちた心配だけだった。侍女も同じだ。姉が生まれてこのかた付きっ切りのサリューさえも、悲しげにまつげを伏せた。
姉の過去にそれらしい原因は皆無で、誰しも頭を悩ませている。
僕は、子どもの特権で率直に姉に聞くことにした。
なぜねえさまは、泣かないの?
姉は困惑していたが、答えた。
ねえさまが泣くと、みんな困るから
なぜねえさまは、ひとりでいるの?
ねえさまはひとりが好きなの
さみしくないの?
へいき
その時の姉は本当に、なぜ僕がそんなことを聞くのだろうと考えていたと思う。
当然だとその顔が言っていた。
姉はなんの無理もせず、そういう生き方を貫いているだけなのか。
こういうひとだと、それだけか。
そして僕の興味は、一度離れる。
ある日、姉が壊れるのを発見した。
枕を壁に投げつけ、大事にしていた本も打ち捨てて、自室の真ん中で、ぽつんと背中を丸めている。
そうして何か、一心に呟いている。何かの儀式のように、同じ言葉を繰り返す。何度言っても十分ではなく、むしろ言えば言うほど言葉が逃げるような、焦りと不安と恐怖とが混ざり合ったような声で。
いつも胸にさげている赤い石を握りしめ、言って聞かせるように。
不気味だった。だが同時に、強く強く興味を惹かれた。
姉の言葉を拾い上げ、のぞく扉の隙間から、ぽつりと口にした。
息を漏らした程度の音だったはずだ。意味のない言葉の響き。何の感情も込めずにこの口から落ちた言葉であったはずなのに、姉はすぐに振り向いた。その顔はいつもの彼女ではなく、僕は慄いた。
目を赤くして泣いていた。行き場をなくした迷子のような顔だった。僕を見て、その頬がいつかよりもずっと血色よく染まり、目は喜びにうるんでいた。
僕は初めてこの姉を、一個の人としてまともに認識した。
リコリベージ・シンクレイは、翌日にはこれまで通り、なんの変化もなく、また人形のように従順な生活を始めていた。
けれど僕が近寄ると、少しだけその眉をひそめる。お菓子の盗み食いがばれた時のようなばつのわるそうな顔を、一瞬だけ見せる。
ああ、姉は、あの姿を誰にも見せたくなかったのだ。
そして僕に見られたことを、失敗に思っている。
これは姉にとって瑕だ。小さいが確実に入ったひびだ。
放っておけばまた自然と修繕されるだろう。
今までこれまでのように、無関心な姉と弟であれば。
僕さえ関わらなければ。
けれど僕の行動に、そんな可能性はない。
リコリベージはひどく孤独だ。
『ねえさま』は、途端にあとを追いかけ始める僕を、子どもゆえの無邪気な気まぐれによるものと納得したようだった。
ちがいない。その通りだ。
姉はその時、明らかに僕にとって新しいおもちゃだった。
生まれてこのかたろくに屋敷から出ず、交友も時々訪れるロギンズの養子くらいで、かといって顔をあわせて話が弾むわけでもない。けれどそんな生活に不満も不安もないようだ。
何を考えているのだろう。
僕は鍵のかかっていない扉を開けて、中に入る。いつものようにベランダにしゃがみ込む姿を見つけて声をかけた。
少しいやそうにするものの、隣に座ってしまえば寄り添っても逃げられたりはしない。
今日もまた、お気に入りの絵本を読むともなく読んでいる。何か別のことに心を奪われる時、姉の目はぼうっとくすむ。
僕はこの姉を、兄弟と思えない時がある。同じ母から生まれた他人のように感じる。
しかし確かに僕の姉なのだ。側にいるとリコリベージは母と同じ匂いがする。
時々姉に、あの時抜群の反応を得た『リツコ』という言葉をぶつけてみたい衝動にかられるが、それはとっておきの手段として残しておくことにしよう。