4あたしと弟
速報。
弟が、うざい。
その前に、あたし十歳になりました。この国だと女の子は十歳で、男の子は八歳で、結婚可能になるんだって。早いよ!
そういうわけか、成人式的なお祝いをするのだ。
その名も胎拝祭。お母さんありがとう、ここまで育ててくれて! みたいな意味もある。結構生々しい名前の祭だよね。
他の同年代の子達と一緒に、おめかしして城下の大通りを練り歩くんだそうだ。お母様やおじさまはかなりハッスルして、護衛の服の新調まで始めた。あたしと弟が初めてってわけでもなかろうに……。
そうそうあたしには兄がいる、らしい。でもあたしが生まれてすぐ、どこかへ行ったんだって。置き手紙すらなく、失踪。捜索隊まで組まれたらしいけど、結局見つからず。
胎拝祭は子どもの健やかな成長を祈る意味が大きいらしいから、兄の二の舞にならないように、って気持ちがあるのかな。あたしは気を回して、すごく良い子で、途方もなく長い服の採寸やお母様と服飾家のデザイン選びにも付き合った。そこまではいい。
話を元に戻そう。弟が、弟が!
「姉さま! リコ姉さま!」
あたしは東の庭園の茂みに音を立てずに潜る。茨躑躅の奔放な蔓の隙間から見えるのは、金の巻き毛の愛らしい少年だ。あたしの弟。マクジーン・シンクレイ。お母様譲りの鮮やかな青い瞳に子どもらしい薔薇色のほほ。幼い王子様って感じ。我が弟ながら容姿に恵まれすぎだよ。
でも、年相応なのかどうなのか。マクジーンは後追いが激しくなっていた。ことあるごとに、姉さま、姉さま、とゾンビのようにさまよう。あたしと同じことをしたがる。お母様たちは微笑ましく見守ってるみたいだけど、基本ぼっちを愛するあたしには、少し、わりとたくさん、うっとうしい。てかもう怖い。なんでそんな涙でぐちゃぐちゃになるまで追っかけてくるの。服もどろどろじゃん。よかった衣装の試着中じゃなくて。……あ、転んだ。
正面からばったんと地にひれ伏し、そのまましくしく泣き始めた。ねえさま、と涙声で聞こえる。哀れを感じないでもない。それでも助け起こす気にはなれず、罪悪感を抱きつつもその場を離れようと背を向けた。その時だ。誰かが弟に近づいた。振り向いてびっくり。ほんと何でいるの!? 通りがかった少年。黒髪に若草色の瞳の、ベリダッド・ロギンズ。奇妙な光景に少し戸惑いながら、親切にも声をかけてやっている。
「おい」
「うう、姉さま」
「お前の姉ならそこにいるだろう」
えっ?
あたしは躑躅の蔦から見えてない、はずである。でも、思いっきり目があってる。え? なんで? なんでばれてんの?
マクジーンが立ち上がって、トコトコと茂みの裏をのぞきにくる。あっしまった。
「姉さま、みつけた」
笑顔が怖い。あたしはすぐさま回れ右しようとしたけど、その前にがっつり腰にしがみつかれる。やばい、子どもの遠慮を知らないホールドで、あたしの内臓が圧迫される。
「姉さま、なにしてあそぶ? 僕はね、騎士さまごっこがいいなあ」
姉様は体を動かす系大方ダメだって知ってんだろ!
弟の対応にぐったりするあたしをよそに、ベリダッドは興味をなくしたように無言で立ち去った。
「マクジーン」
回廊を歩きながら、後ろに離れずついてくる弟を呼ぶ。
「はい姉さま」
「姉様は忙しいので、よそで遊びなさい」
「じゃあ僕、お手伝いするね」
「いりません。姉様は体が弱いのでお休みします」
「じゃあ、その間僕が姉さまを守るね」
「いりません。マクジーン、なんでそんなに一緒にいたいの?」
声にどすをきかせたのに、弟はケロリと答えた。
「僕、姉さまが大好きだから」
あたしの意思は?
ムッとするあたしに、マクジーンは至極真面目な顔で
「姉さまが僕をきらいでも、いいよ」
そんなことを言った。
あたし、愕然として立ち止まる。
「いや、嫌いじゃない。嫌いじゃないからね。マクジーン」
「そうかなあ。でもありがとね、姉さま」
にこにこと、あたしの袖をつかむ。離さねえぞ、という意思表示に見えて戦慄した。
胎拝祭の間、始めて歩く大通りの石畳だった。そもそもあたしはこの歳になるまで、城下町に出たことがない。これはたぶん異常だ。マクジーンなんておじさまの用事にくっついて遊びに出ては、よく謎の民芸品をお土産にくれたものだ。
周りの子等の華やかな腕輪、首飾り、ドレスや民族風の衣装を飾る石やら冠やらが、きらきら光を反射している。光の群れだ。見物人がたくさん。
そして通りの四ツ辻で、小さな男の子たちの群れと交差する。あたしはその中にマクジーンを見つけた。背筋をピンとのばし、髪をなでつけ、艶のある黒い上着を着ている。ちょっと不気味なくらいに大人びていた。目が合うのが嫌だったので、一瞥のあとはすぐ、前の子の頭だけをにらみつけて歩いた。
あたしたちは無事に成人した。
祭り後のクタクタで屋敷に戻るなり、先についていたマクジーンが、着替えもせずに待っていた。
「姉さまがお嫁にいったら、僕もいっしょにいく」
その言葉を、周りの侍女はあらまあうふふ、って微笑ましく聞いていたけど、あたしは笑えなかった。
「……そういうこと、言わないの」
あたしの小声を、マクジーンはくすぐったそうに受け止めた。
その後、あたしたちはすくすくと成長し、十二歳と十歳。落ち着くかと思われたひどいシスコンも、静かに加速中だ。マジでやめろ。
あたしの愛読書は数あれど、ああ、やっぱり特別は、わかものシリーズ。今日もベランダにクッションを積んで座り、大事な絵本を開く。
黒く塗りつぶされたページの中央に描かれた、毒々しいくらいに鮮やかなひとつの真っ赤な目。それをなぞる。
りゅうも、わるいだけのいきものじゃないんじゃないかって、最近思う。人間を捕食するのはまずいというか危機だけど、もともとそういう風に生まれたなら仕方ないのかな、とか。まあほぼ生態は不明で、おおむねあたしの妄想なんだけど。
「姉様、扉開けっ放しだよ。不用心だな」
「ノックしなさい」
マクジーンははーいと返事だけは立派に、あたしのクッションをひとつ取って抱え、隣に座り込む。呆れたように覗き込んできた。
「またこの本。姉様も好きだね」
「いいでしょう、好きなんだから」
「そうだね」
おいくっつくな。
マクジーンはあたしの肩に頭をのせる。恐ろしいことに身長はもうほとんど変わらないので、あたしにはかなりの重さがかかる。首に髪が触れてむずむずした。
「ちょっと、寝ないでよ」
「おやすみ姉様」
おい。
反抗期とか、異性の兄弟への抵抗感とか、ないのかお前は。
マクジーンはそういうあたしの普通というやつを、ことごとく無視していた。これ、今はまだいいけどさ、二年後三年後もこうだったらさすがにちょっと、周りの目とかキツくない?
まあ、さすがに、ないか……この子は、弟は、普通の子なんだから。姉とは違って。
絵本のりゅうに意識を向ける。赤い瞳。桜の石のような鮮血の色。
胸に垂らした鎖を服の上から触る。二度となくすものかと、かなりごつくて丈夫なチェーンに変えてもらったのだ。女の子なんだから、とお母様には止められたけど、珍しく頼みごとをする娘にとうとう折れた。
装飾などいらぬ! 強くて丈夫で存在感あってとにかく絶対に切れない鎖を所望する!! というのが、あたしのシンプルな要望だったのだが、お母様の、なるべく肌に優しいものを、という条件を満たすため、アクセサリー用の素材が用いられた。
その名もいわゆる、蛇の鱗。
蛇の鱗。
あたし、興奮。
だって神話そのままのネーミングだよ!
でも実際の蛇のウロコではなくて、そういう名前の鉱石らしい。まあ当たり前だよね。
で、すっごい高価だったりしない? って一応確認したら、蛇の鱗自体はポピュラーで、加工がちょっと難しいけど、そこそこ使われてる素材らしかった。一安心。
でも職人さんの腕がいいのか、届いた鎖はすごく繊細に加工されてた。お母様の意地かもしれない。それぞれパーツはあたしの希望通りにおおぶりなんだけど、一個一個に蔦模様が複雑に書き込まれてて、なんか魔術的なアイテムじゃないかってレベル。
それでも遠目にみればただただごつい鎖だ。なのでそれを隠すようにいつも首の詰まった服を着ていた。
そんな首飾りなわけで、あたしはますます、りゅうに親近感的なものを感じていた。
あたしの中で蛇はりゅうだ。
りゅうの首飾り。
やだ、ドキドキしてきた。
なんかこう、物語と関連するグッズをオーダーメイドしちゃったようなうれし恥ずかし感。
あたしは胸の石を意識する。あたしの気持ちに応えるように、石はトクントクンと心音に共鳴する。こればっかりは妄想ではない。時々こうして自分自身を感じると、あたしはあたしでいられる気がするのだ。