第七話
休日、昼からみっちりと日が暮れるまで歌った後。
秋も深まってきたせいか、店から出ることにはすでに日も沈み、街灯がなければ周囲を見渡すことさえできなかっただろう。
「あちゃー、うっかり歌いすぎちゃいましたね」
井上深雪が、暗くなった空を見上げながら言った。
「そういえば、お前は隣の駅だったな。どうする」
カラオケボックスは駅から見える位置にあるので、すぐに着くだろう。問題はその後か。
「おっと、送って行ってくださると?」
ふむ。
これが僕と彼女の二人ならそうするが、今回は瀬能レイアもそばにいる。
徒歩なら、多少の遠回りを説得するのも手だが、電車に乗るとなると流石にキツイか。
「……いや、すまない」
けっきょく、僕は謝ることしかできなかった。
失敗したな。
時間を考えて動くべきだったが、思わず楽しみすぎた。
「いや、別にワタシの事は気にしなくても良いって」
「そうも行きませんって。私は駅からバスに乗って、最寄りのバス停からすぐですけど、瀬能さんは徒歩ですよね」
「そうだけど……」
実際にどれくらいかは分からないが、移動時間は井上の方がかかるだろうけども、道中に危険がありそうなのは瀬能だ。
法治国家の日本でそうそうはないと思うが、やはり不安ではある。
「すまないな、井上。次の機会では、きちんと対処を考えておく」
楽しさにかまけて時間を忘れるなど、いくらなんでもひどい手落ちだ。
ここ最近の僕は、本当にどうかしている。
勉強も遅れがちで、その上にこの有り様とはな。
「それじゃ、私はもう行くんで。会長は瀬能さんをキチンと送ってくださいねー」
「えっ、あっ、おいっ! あ~もう。またなー!」
さっさと手を振り、交差点を渡っていく井上に瀬能が声をかけながら手を振った。
僕もその背中に手を上げて見送り、頭を振って気持ちを切り替える。
「では、僕達も行くか」
「えとっ、うん」
井上が帰宅ラッシュの人ごみに紛れ、見えなくなるのを確認し、僕は改めて隣に立つ瀬能に声をかけて歩き出した。
少し元気のない瀬能をつれて。
瀬能の隣を、彼女の歩幅に合わせて歩く。
背丈はやや僕のほうが高いが、足の長さが違うのか瀬能は歩くのが速い。それに合わせるのだから、気持ち足早に帰路を進んでいく。
ただでさえ寒い秋風。それも、夜ともなればさらに冷え込む。
だから、早く帰りたいと言う気持ちが足早にさせているのか。それとも、先程から会話のない気まずい空気を避けるためか。
わからない。けれども、それを問う気にはなれなかかった。
まったく。
どうやら、僕はまださっきの失敗を気にしているらしい。
「……なぁ、聞いてもいいか」
道すがら。どこか上の空だった瀬能が、とうとつに切り出す。
「なんだ」
「色々と良くしてくれて、すごく嬉しいんだけど。なんか、無理してないか?」
「……」
違うと即答はできなかった。
じっさい、勉強時間を削ってメールしているからだ。
「迷惑だったら、もう良いよ。
おかげで、井上さんとも知り合えた。前までよりも、昼だって寂しくないし」
「……」
そう言う割には、盗み見た顔には陰りがあるように思える。
良くはない。良いはずがないんだ。
しかし、引き止めるべく言葉がしっかりと形にならない。
何か。どこかに引っかかって喉奥から出てこない言葉。
まず、それをキチンと形にしなければいけない。
「瀬能」
「なに?」
足を止めて、瀬能の方をちゃんと向く。
瀬能の返事は、普段の明るい言葉とは別の、どこか緊張した雰囲気のそれだった。
少しの間、お互いに二の句を継げられないでいる。
夜風が少しだけ吹いて、瀬能の髪を揺らした。
暗がり出会っても目立つ朱色の髪。
それが、何時かに出会ったあの屋上の風景と重なった。
あの時と似たように外は暗く、けれども日が差し込むことはない。
あの日に見た風景では笑っていた瀬能は、今は落ち込んでいる。
そうさせてしまったのは僕だ。
よくわからない感情を抱いたまま、楽しいと言う思いだけでここまで来た。
根底はここ。
なぜ、瀬能といると楽しいのか。それが答えのはずだ。
考える。
僕は、どうして瀬能に構っているのか。
初めて見た時は、変な相手だと思った。何気なく聞いた頼みも、祐一を紹介し、それから彼の伝を使って交友関係を広げていくつもりだった。
でも、ゲームセンターで遊んだあの日はすごく興奮した。それに、まだリベンジを果たしていない。だから、また行きたい。
井上も含めたカラオケも楽しかった。僕の演歌や、井上のアニソン、瀬能のポップソング。
知らない歌も多かったけれど、ただただ一緒にいるのが面白かった。
――そう。
瀬能といると、楽しくて、面白くい。
そういう感情を、僕は一度だけ聞いたことがある。
何時かに。
『思い悩んだりと忙しそうだが、恋愛ってそんなに良いものなのか?』
『そうだな……ああ、きっと良いもんだと思うぞ』
少し前に。相談と言う形で受けたトイレでの会話。
『うん、やっぱり楽しいんだわ』
そんな単純な言葉で締めくくられていたけれども、雄弁に表情が真実を語っていた。
――ああ、なんだつまり。
納得を得た。
彼がそうだったように。僕も、そうであっただけ。
ただこの感情を知らなかったから、ただただ半端であった。だから、先に進めよう。
喉の奥にある言葉を。はっきりと、空気に乗せて。
「瀬能。僕は、君が好きだ」
「はっ?」
瀬能はあっけにとられて顔を見せた。
「えっ? 冗談?」
「いや、本気だとも」
自覚してしまえば話は早い。ああ、いまこうして混乱の最中にあるだろう表情すら愛おしく思えてくる。
なるほど。あいつはこういう気持ちだったか。
「いつからかは知らないが、君といるのが何よりも楽しいと思う」
「えっ、えっ、ちょっ、チョット、待って」
「いいや。待ってやらないね。どうやら、今まで自覚していなかった分があふれているんだ、この激情を止めさせるものか。
ああ、そうだ。
その朱色の髪も綺麗だと思うし、白く透き通った肌は処女雪よりも素晴らしく、空色の瞳はいかなる宝石とて及ばないだろう。
君の素晴らしさは外見のみの及ばないがね。
付き合いもよく、気遣いもできるしノリも良い。これでなぜ友人がいないのか、どうにも僕は信じがたいよ。いや、それであったから知り合えたことを喜ぶべきだろうか。
っと、すまない。これは不謹慎だったか。
だが、ともかくだな……」
「ストップっ! マジで、マジでストップ!」
なおも言い尽くそうとしたセリフを、瀬能は身体をはって止めてくる。
しかたない。今は我慢しよう。
「なっ、ななっなっ、ななっーー」
顔を真赤に染めて、しかし何を言ったらいいのかわからない。そんな様子だね。
「まあ、落ち着きたまえよ」
「おっ、落ち着けるかバカヤロー!」
目の端に涙をこさえ、瀬能が叫ぶ。
「いきなり、いきなり何なんだよっ、いったい! 今までそんなそぶり、見せなかったじゃないか」
「今さっき自覚したものでね」
「さっき! 思いついてすぐに告白してきたのお前っ!」
「そうだとも。孫氏いわく、兵は拙速を尊ぶとね」
「兵法は恋愛の作法じゃねえっ!」
「恋は戦いだと言うだろう」
「言うけど! 言うけど! なんか違う!」
僕からすれば違わないんだがね。
出会った日のように、全力で叫んだ瀬能が荒く深呼吸を繰り返す。
まだ頬は赤く、息も整っていない。
それでも、少しは落ち着いたようだ。
「あー、もう。なんか変な気分だよ。たくっ、あんたがそんな軽いやつだと思わなかった」
「これでも一大決心したんだがね。そもそも、初恋だ」
「マジかよ……くそ、あー、もう全然わけわかんね。なんだっていきなり、告白されてんだよワタシは」
ふむ。
どうにも、瀬能はまだ混乱の極みにあるようだ。
急かしてもいいが、僕が考えて答えを出したように、瀬能にもそうしてもらいたい。
結果がどうあれ、ね。
それに猶予期間中にも攻める手立てはある。
恋愛は惚れたほうが負け、とも言う。
ならば一度は負けた身だ。相手も負かして、イーブンにまで持ち込んでこそ、対等だろう。
「仕方ない。すぐにでも返事が欲しいところだが、まだ君の中で固まっていないんだろう」
「そりゃあ、まあ。心構えがあったわけじゃないし……」
「わかった。なら、答えは一時、保留としてくれ」
現状、無理に聞き出すよりもこうした方がよさそうだ。
「いいのか?」
ホッとした様子を見せる瀬能。
「構わないよ。場所も帰宅途中の路上だしね。正式に結ばれるのならば、もっとムードのある場所がいい」
言い切って、瀬能を促して歩き始める。ちゃんと考えてみれば、まだ帰宅途中だったな。
まずはキチンと送り届け、それ以降からだな。具体的には今晩のメールか。
「あんがい、ロマンチストなのか」
「さてね。
――だが、覚悟しておけとだけ言っておこう」
「えっ? なっ、何をする気だよ」
「さあて。ただ、来週から学校が楽しみだなと、言うだけだ」
「ワタシは不安でいっぱいだよ……」
さっきよりも穏やかな空気の中、僕は瀬能を自宅まで送り届けた。
これからが本番、だな。