第一話
彼女、瀬能レイアと僕、桐原進が知り合って次の日。
この日はあいにくの天気で、朝からポツポツと雨が降り続いていた。
先日の予定では、このまま街に繰り出して友達同士で行く場所を紹介してもらう予定だったが、流石に延期とせざるを得ない。
代わりといってはなんだが、放課後にいわゆるレクチャーをしてもらおうと生徒会室に集まる旨を伝えたのだが。
「遅いな」
なんとはなしに、つぶやく。
生徒会の活動がないので、ここには僕と講師役の男が一人いるだけだ。普段は役員が座る席も開いていて、雨の音とケトルがお湯を沸かす音だけが響いている。
瀬能はまだ、姿を見せない。ホームルームが終わってすぐと言っておいたんだがな。
「そっか? たしか、その子って三組だろ。ホームルームが長いって、わりと有名だぜ」
生徒会室の備品であるケトルで勝手にお湯を沸かし、備え付けのお茶を悠々自適に飲む男、井沢祐一が軽く答えた。
僕の知り合い――数少ない友人――その中で、際立って社交性が高いのは、間違いなくこの男だ。つまり、心当たりである。
「三組と言えば、数学の小野か。たしかに、よく脱線する人だったな」
「そっ。たぶん、今日もまた脱線してんだろ」
「時に、僕の分のお茶はまだか?」
「んっ、ほら」
熱湯を茶葉にくぐらせ、玉露(僕の私物)を一見して雑に淹れる。
お茶の適温はかなり低く、およそ八十度ほどと言う。玉露ならば、さらに低く六十度。当然ながら、沸かしたてのケトルのお湯は百度近くだろう。
適温からは程遠く、その上に淹れ方も大雑把。しかし、渡されたそれはきちんと玉露の香りがした。
「かぶせ茶ってんだっけ? お湯をそのままくぐらせるだけで良いってのは、楽で良いな」
「本来なら抽出時間も守る必要があるんだがね。そうやって、一気にくぐらせた方が渋みがなくて、僕好みだ」
それに、早くあげた方が甘みが出て飲みやすい。渋いのもそれはそれでいいが、お茶うけがないのでどうにも飲みづらいのだ。
「そもそも、高校生が緑茶を好むってのも変わってるだろ」
「砂糖のような甘さは苦手でな」
「苦いのも苦手なくせに」
からかうような笑いから目を背けるために、ふっと視線を扉の方に向ける。
生徒会室の出入り口である開き戸には、他の教室と同じようにくもりガラスが備えてある。そこに、人影が一人分、写っていた。
が、なかなか入ってこない。
おそらく、僕以外の気配にたいして躊躇しているんだろう。
「あー……ほれ、出迎えてやれ」
クイクイッと、祐一が親指を向ける。
たしかに、招待したのは僕だしな。
やれやれと僕は腰をあげて、扉に近づいておもむろに開いた。
はたして、そこには先日と同じ朱色をした長髪の少女が立っていた。
突然に開かれた扉に驚いてか、ビクリと身体を震わせて恐る恐ると行った風にこちらにやや青みがかった瞳を向ける。
「んだよ、いるんならさっさと気づけよ」
「普通に入ってくれば、それでいいと思うがね。
まあいい。とりあえず、入ってくれ」
何をするにも、一先ずは中に入ってからだ。僕は、一歩足を引いて、室内に入るようにうながした。
「あっ、ああ。おじゃまします」
瀬能は、かなり緊張したように室内に入ってきた。
……なんだか、先が思いやられる。
もちろん、気のせいではなかった。
祐一に瀬能の分のお茶を淹れてもらい、軽く自己紹介を済ませた僕たちは、適当な距離を取って座る。
さて、さっそくと始めようとした矢先のことだ。
「つかさ、こいつが講師役って本気か?」
瀬能が納得がいかないというふうに、腕を組んで訝しむような視線を祐一に送る。
「知り合いか」
「ん~、いや。全然」
祐一が答える。それに続くように、瀬能が言った。
「有名だろ。全校生徒に放送で彼女を呼び出した、バカップルの男の方って」
ああ、あれか。
いつぞやのことだったか。祐一が、自分の彼女を呼び出すために昼の放送をジャックしたことがあった。それいらい、こいつは妙な事をしでかす男として、学校でにわかに注目を集めていた時期があった。
今はただのバカップル、男の方と言う扱いだが。
「あんなことしでかして、その上に普段は彼女とイチャついてばっかだろ。大丈夫なのかよ」
さすがに失礼な物言いだな。頼んだ手前、僕としてはあまりそういった方にはしてほしくないんだが。
そう思い、咎める言葉を口にしようとし、先んじて祐一が動きを見せた。
無言でポケットに手をつっこみ、何かを取り出す。
折りたたみ式で、今はガラケーと呼ばれる淡い緑色のそれ。つまりは携帯電話だ。
校則どおり、電源を切っていたのか少しばかりの時間を置いてから、祐一は携帯の画面をこちらに向けて見せた。
「ふっ、オレのアドレス帳は二百件まであるぜっ!」
普通にすごかった。
登録数の表示には、確かに二百とある。どういう知り合いなのか、校長と思しき名前まである。
いや、本当にどういう知り合いだ。
「はっ、マジで?」
瀬能もあっけに取られ、それからひったくるように携帯を奪って画面をスクロールさせた。
横から覗き込めば、そこには確かに人名が下から上に現れては消えていく。本物のようだ。
「どうよ、これでも講師役として不服かな?」
携帯を受け取り、電源を切ってからポケットにしまいながら祐一が不敵に笑う。
「ぜひともよろしくお願いいたします!」
思わず、二人して平伏してしまった。
僕も友達、ほとんどいないしね。
さてと気をとり直して。
「んーつっても、友達作りにコツなんてないと思うんだけどね」
しかし、さっそく出てきた言葉はあんまりな一言だった。
「いや、でも普通にしてても全然できないんだけど……」
「それは僕もだな」
真面目に友人だと言えるのは、祐一と生徒会役員の何人かだけだと思う。
「瀬能さんは接点があまりないから判断できないけど、進のならわかるぜ」
「本当か?」
「ああ。ぶっちゃけ、お前の会話についていけるヤツが、ほとんどいない」
「どういう意味だ?」
「はい、趣味」
「音楽鑑賞、特に演歌だな」
「ぶっ!」
かんぱついれずに答えたが、隣に座った瀬能が飲みかけていたお茶を吹き出し、むせ返っていた。
そんなに変だろうか。
「おまっ、そこはクラッシックとかだろっ! キャラを考えろよっ! キャラを!」
よく言われるが、しかしあえて言いたい。眠くなるだろ、クラッシック。
「失礼なやつだな。日本伝統の楽曲だぞ、演歌は。
あれの良さがわからないとは、嘆かわしいな」
やれやれと、嘆息する。
「とまあ、こういう風にこいつはちょっと独特の空気ってか、なんか変なんだよ」
「それはよく分かる。昨日もかなり突拍子もない行動を取ってたしな……。
ああ、なんかお前たちが仲いい理由、分かった気がするわ」
なんだか非常に失礼な事を言われた気がする。さすがに、僕も全校生徒に向けて昼の放送で告白するなんて、やる気はしない。思っても、実行に移さないだろう。
「そうだろ、オレは別に変じゃ……あっ、そうだ」
不意に、祐一が言葉をきった。何かを思いついたようだ。
「んっ、どうかしたのか?」
「まずは友達作りの一歩ってことで、二人でカラオケに行ってくればいいんじゃね」
「なんだって」
「二人でって……」
おもわず、瀬能と顔を見合わせてしまう。
「そっ。一石二鳥だろ。
瀬能さんは友達になりたい人を誘う時の、歌うレパートリーを増やせるし、カラオケの雰囲気をつかめる。
進は、演歌の良さを聴かせられる」
そう言われると、たしかに心惹かれるものがあるな。
「悪くはないが、流石に難易度が高いと思われるんだが」
僕でなく、瀬能がだ。
二人でというのに緊張してか、それとも何かしらを想像してか、顔を赤く染めて口をパクパクと動かすばかりで何も言わない。
「まあ、練習だからそんな気を使ってくことないだろ。気楽にいきゃあいいんだよ」
「気楽って言うけど、ワタシたち昨日知り合ったばっかりなんだし、それはちょっと……」
チラリと瀬能が視線をこちらに送ってくる。なんとか断ってくれ、そう言いたげだ。
ふむ。
「なら、他のことから慣れていくか。当面の目標は、カラオケに行くということで」
落とし所としては、そんな所だろう。
「それなら、まあ」
「なら、おすすめはゲーセンだな。会話がなくても、とりあえず二人プレイできるゲームしとけば、間は持つだろ」
もう冷めてしまってるだろうお茶を飲み干して、祐一が言う。
なるほど、たしかに理にかなっている。それでお互いに楽しめれば、それを話の種にすればいいわけか。
「おっ、それならワタシも平気だ」
この案は瀬能も乗り気なようだ。少し、わくわくしているような雰囲気がある。
良かった。楽しみなようなら、僕としても嬉しい。
「そうだな。では晴れたら行ってみるとするか」
ひとまず、先達の意見を参考に色々とやってみよう。
ああ、本当に。
明日は、晴れるといいな。