第十六話
最後に来たのは、シャチショーを見るための屋外プールだ。しかし、僕たちは入り口で足止めを食らっていた。
「申し訳ありませんが、席が一杯でして……」
ということらしい。
ショーの開始、三十分前に席を確保だけでもしておこうかと思っていたんだが、事前予約ですでに一杯とはね。
さらに間の悪いことに、これが本日の最終公演。つまり、きょうはもうどう頑張っても見ることはできない。
「お一人様づつでしたら、席もご用意できますが」
「あー、それじゃあ意味ないんで。しょうがねえって、行こうぜ桐原」
瀬能が断りを入れて、さっさとその場から背を向ける。
僕も、慌ててそれを追った。
「ごめん。僕の見通しが甘かったようだ」
前を歩く背中に追いつき、横に並んでから謝罪する。
自己嫌悪だな。ここでの最大の見せ場が、このザマで終わるなんて。
ひどく、気分が暗くなる。
今まで楽しかった、あの時間。それに、最後の最後で水をさしてしまった。
そんなことを考えていたせいか、足取り重く、気づけば瀬能の一歩後ろに立ち止まっていた。
だから、瀬能はそんな情けない僕を振り返る。
「気にしても、仕方ないだろ」
「そうだが……」
出口へと向かう通路。他の人達はショーに向かっているのか、今は無人に近く、がらんとした所。
その真ん中で、僕たちは足を止めて向き合った。
「初めてのデートなんだろ。これくらいの失敗、ご愛嬌だって」
「だがな、このデートは……」
そう。
このデートの後。貰えることになっている返事。
それを、わずかにでもいい方へと傾ける。大事なチャンス。その機会の一つを棒に振って、落ち込まないわけがない。
「だ・か・らっ! それ位の失敗で嫌いになったりしないっての」
まったくと、瀬能は頬をふくらませる。
それから少し考える仕草をして見せて、意地悪く笑ってみせた。
「それにしても、お前も可愛い所あるよな。
ああやって熱くなったり、こうやってちょっとした失敗で落ち込んだり」
「――僕とて、人間だからね」
「そうそう。普段のクールな感じも、あれはあれでー、まあ、カッコイイけど?
落ち込んだり、熱くなったり、笑ったり。そんな風にしてるほうが、ワタシは…………うん」
一度、瀬能は大きく息を吸った。
吸って。吐き出す。
「その、ワタシのフルネーム、言えるか?」
「ああ。瀬能、レイアだ」
「そう。レイア。
お爺ちゃんが付けれくれたんだけどな、これって豊穣の女神の名前なんだ」
女神の名前か。映画などで、ガブリエルと言う天使の名前を聞いたこともあるし、一般的なのだろうか。
「でな。レイアって、別の呼び方でレアってんだよ」
「うん?」
瀬能が何を言いたいのか、わからずに先を促す。
「ええっと……でな、その……ワタシって、家族にはレアって呼ばれてるんだ。
ニックネームいや、愛称かな」
「欧米での習慣に、親しい人の名前を愛称で呼ぶというのがあるとは、聞いたことがある」
「そうっ! それっ!
で、な。
えと……きっ、桐原も……ワタシのこと、レアって……呼んで、イイよ」
それは。
つまり。
「僕に、愛称を預けてくれると?」
「うん」
「何故と、問うても良いだろうか」
「わかってる、だろ」
「そうあって欲しいと、思う。だが、勘違いはしたくない。
僕は、さっきのような失敗もする。変な所で熱くなりもする。人によっては、冷たいとすらとられる人間だ。
そんな僕を、瀬能は――レアは――」
まくし立てるような僕の言葉を、レアは手で止めて。
深呼吸を一度。
そうして、答えた。
「………………スキ、だよ?」
かろうじて聞こえるような声で、レアはぽっそりとつぶやいた。
好きだと。
それは、僕が待ち望んだ答え。
僕がレアに伝え、返して欲しかった答え。
通じ合った。そう考えて、いいのだろうか。
僕の想いと。
レアの想い。
情けない姿を見せたというのに。瀬能は、僕に好きだと。答えてくれた。
「こんなかっこ悪いところがある、僕でも?」
「きっと、それが恋なんだよ。
ワタシは今日、桐原のダメな所も知れた。ちょっと失敗しただけで、顔色が変わるくらい、落ち込んじゃう所。
あと、ちょっと子供っぽいところもあるよな。あれは、ダメってわけじゃないだろうけど」
言って、クスクスと思い出したように笑う。
流石に、気恥ずかしいな。
「レアも、あまり恥ずかしがらなくなったね」
「へへん。一番おっきなの、もう伝えたからな。あれに比べれば、こんなの屁でもないっての」
ベッと舌をだし、瀬能は笑う。
「そう。そうやって、相手の色々なところ全部をひっくるめて、恋しいと思うこと。
これがきっと、恋で――愛、なんだろうね」
「ありがとう。そこまで、言ってくれるんだね」
「まあ、待たせちゃったしね」
軽く、レアが笑う。
僕も、笑顔を返す。
二人の距離は少しある。でも、お互いに自然と手を伸ばし会った。
僕は右を。
レアは左を。
手に手をとって、歩き出す。
「それじゃ、時間が余ったし、ゲーセンでも行こう。今度は、負けないからな」
「それはこちらのセリフだ。なにせ、僕の彼女は女神だからね」
「お生憎、ワタシも女神だ」
足取りは軽やか。
けれども早過ぎないように。
豊穣の君と歩き出す。