8】一難去って
「あ、そろそろ歯医者に行くよ(フシュー)。
ゴメンね、先に帰ったりして(シュゴー)」
加奈は椅子から立ち上がった。
「ううん、いいのよ!!」
「そうそう。私達に気を遣わないでっ」
「ほら、ゆうママ。予約に遅れると面倒だから、急いだ方がいいわよ!!」
他の客が入ってくる前に、加奈にサッサと帰ってほしいママたち。
こんなマスクを付けている人間と自分が知り合いだと思われたくはないのだ。
笑顔を浮かべつつ、どうにか加奈を帰そうとする。
「ホントごめんねぇ」
申し訳なさそうな顔をして、5人に謝る加奈。
(だから、表情は見えてないって……)
帰ろうとした加奈は、店内の壁にかけられた時計に目をやる。
「ん~。でも、あと10分くらいは平気だよ(フシュー)」
浮かした腰を再び椅子に下ろそうとした。
その時。
店の前に置かれたメニューを眺めている若いカップルの姿が、ママさんたちの目に入る。
感じからすると、今にも店内に入ってきそうだ。
―――ま、まずいっ!?
ママたちの背筋に冷や汗が流れる。
「で、でも!先の予約の人が早くに終わることって、よくあるわよね!?」
「それに、万が一遅れたりしたら、予約の取り直しって面倒よ!!」
「そ、そうよっ。花粉症が治ったらまたゆっくりランチしましょ?
「ね、ゆうママ、それがいいわ!」
「また、会いましょうよ!」
店外のカップルの様子を横目で伺いながら、ママさんたちは加奈を帰そうと必死だ。
加奈が座らないように、即座に自分たちの荷物を空いたイスに乗せつつ……。
5人の顔をゆっくりと見回している加奈。
無言のダースベーダーはかなり怖い。
ゴクリ。
その様子を、じっと見守るママたちは息を飲む。
やがて、加奈が言った。
「……そうだね。今日は帰ることにするよ(シュゴー)」
みんなに向かって軽く手を振り、そして加奈は出口へと歩いていった。
加奈が出て行って間もなく、次々に客が流れ込んでくる。
あっという間に店内は満席となった。
「はあ、間に合ったわね」
「そうね。よかったわぁ」
ホッと胸をなでおろす5人。
「それにしても。いくら花粉対策だからって、ダースベーダーはありえないわよね」
「まったくだわ」
「ゆうママって、ホント不思議な人よねぇ」
暗黒マスクがいなくなって、ママさんたちに安堵の表情が戻る。
「安心したらお腹空いちゃった」
「私も~」
「じゃ、改めて注文しましょ」
ママさんたちはメニューを広げた。
「私、ハンバーグセットにしようかしら?」
「いいわね。でも、ドリアも美味しそうよ?」
「デザートも食べたいわよね」
先程とは様子が違い、メニュー選びに熱心だ。
すると、あるママさんが何やら店内がざわつき始めた事に気がつく。
「ねぇ、ずいぶんうるさくなってきた感じがしない?」
話し声や、食器の音がうるさいのではない。
ひそひそ、というか。
ざわざわ、というか。
混雑時のにぎわいとはどうも様子が違う。
「……そう言われれば」
「何だか他のお客さん、様子が変よね」
時間が経つごとに、ざわつきは大きくなってゆく。
―――ま、まさか?!
いやな予感が5人を襲う。
恐る恐る顔を上げた彼女たち。
お客さんたちは皆、通りに面した大窓に釘付けとなっており、ママさんたちも他のお客さん同様に、店の大窓にゆっくりと目をやった。