第9話 アンチコメントと、それを黙らせる一撃
『サウンド・オブ・ブレイブ』の活動は順調そのものだった。
環の圧倒的な戦闘力、千夏の緻密な映像演出、そして俺のBGM。
この三位一体のパフォーマンスは、連日SNSのトレンドを賑わせていた。
だが、光が強ければ影も濃くなる。
知名度が上がるにつれて、無視できないノイズも増え始めていた。
「……ま、こうなるわよね」
港区のタワーマンション、環のリビングで、坂本千夏がタブレットをテーブルに投げ出した。
画面には、とある掲示板のスレッドが表示されている。
『【悲報】Sランク村上環、BGM演出が寒すぎる件』
『どうせ後付け編集だろこれ』
『タイミングが良すぎて不自然。ヤラセ確定』
『後ろのDJおっさん、実は何もしてない説』
『音響共鳴とかいうオカルトw』
いわゆる、アンチコメントの嵐だ。
中には「CG合成乙」といった技術的な批判から、「Sランクが芸能人気取りかよ」という感情的な罵倒まで、ありとあらゆる悪意が並んでいる。
「有名税みたいなもんでしょ。放っておけば?」
ソファでプロテインを飲んでいた環は、興味なさそうに言った。
彼女は自分への悪口には慣れている。だが、千夏は違う。
「ダメよ。エンタメにおいて『ヤラセ疑惑』は致命傷になりかねないわ。特に私たちは『リアルな共鳴』を売りにしてるんだから、ここを否定されたら商売あがったりよ」
「じゃあどうするの?」
「証明するのよ。これがフェイクニュースじゃないってことをね」
千夏は不敵に笑い、俺の方を見た。
「というわけで近藤さん。ちょっと付き合って」
「へ? どこにです?」
「デートよ」
千夏はウィンクをして立ち上がった。
連れてこられたのは、表参道の裏通りにある隠れ家的なセレクトショップだった。
高級ブランドのロゴが控えめに主張する店内には、一般人の生涯年収くらいの価値がありそうな服や小物が並んでいる。
「……千夏さん。俺、こんな高い店で買い物する金ないですよ。支度金も使い切っちゃったし」
「心配しないで。今日は『経費』で落とすから」
千夏は俺の腕を強引に引き、サングラスのコーナーへと連れて行った。
「今回の作戦はね、『音柱のビジュアル強化』よ」
「ビジュアル?」
「ええ。アンチが『ただのオッサン』って叩くなら、叩けないくらい渋くてカッコいいオジサマに仕立て上げればいいの。見た目の説得力は大事よ」
彼女は楽しそうに、次々とサングラスや伊達メガネを俺に試着させ始めた。
「んー、ティアドロップは昭和すぎ? こっちのウェリントンの方が知的に見えるかも」
「俺、視力いいんですけど」
「伊達でいいのよ。顔の印象を変えるスイッチだと思って」
千夏は俺の顔を覗き込み、ふと真面目な顔になった。
距離が近い。
赤毛から漂うスパイシーな香水の香りが、鼻をくすぐる。
環のようなストレートな独占欲とは違う、大人の余裕を感じさせる距離感だ。
「……ねえ、近藤さん」
「なんですか」
「貴方、環のことどう思ってる? あれから少しは変わった?」
彼女の手が、俺の襟元を直すフリをして触れてくる。
「別に。相変わらず手の焼けるボスですよ」
「ふふ、嘘つき。昨日のスペアリブの時、結構いい雰囲気だったじゃない」
「あれは……まあ、料理が美味かったからですよ」
俺が視線を逸らすと、千夏は「可愛いとこあるのね」と笑った。
「私ね、貴方のそういう『枯れてるフリして熱いところ』、嫌いじゃないわよ」
「……買い被りすぎです」
「買い被りじゃないわ。私、男を見る目はあるつもりよ。……ま、今は環に譲ってあげるけど」
千夏は俺の胸ポケットに、選んだサングラスを差し込んだ。
「これにするわ。これをかけて、今日の配信でアンチどもを黙らせてやりなさい」
「……了解です、プロデューサー」
買い物を終えた後、俺たちは近くのオープンカフェで休憩した。
千夏はエスプレッソ、俺はアイスコーヒー。
通りを行き交う人々を眺めながら、仕事の話や、お互いの過去の話をした。
彼女がなぜ探索者になったのか。俺がなぜバンドを辞めたのか。
とりとめのない会話だが、そこには確かな共犯者めいた空気が流れていた。
傍から見れば、休日の表参道でデートを楽しむカップルに見えただろう。
少し派手な美女と、落ち着いた雰囲気の年上の男。
悪くない組み合わせだ。
「さて、と。充電完了ね」
千夏がカップを置いた。
その瞳は、もう仕事人のものに戻っていた。
「行くわよ、近藤さん。環が待ちくたびれてるわ。……今日のライブ、最高に派手なやつを頼むわよ」
午後3時。
俺たちは『新宿第3迷宮』の第18階層、『地底湖エリア』にいた。
ここには強力な中ボスが生息しているという情報がある。
配信開始。
タイトルは『【完全実証】Sランク村上環、噂の“音柱”と共に中ボスを粉砕する』。
挑発的なタイトルに釣られて、開始早々からアンチたちがコメント欄に押し寄せてきた。
『また合成動画かよ』
『はいはいヤラセヤラセ』
『今日はどんな編集で誤魔化すのかな?』
「……湧いてるわね、ウジ虫ども」
千夏が冷ややかな目でタブレットを見つめる。
環はと言えば、湖の水面を見つめて集中を高めていた。
「近藤、準備は?」
「いつでも」
俺は千夏に選んでもらったサングラスをかけ、ミキサーの前に立った。
今回の敵は手強い。生半可な曲じゃ届かない。
水面が爆発した。
現れたのは、巨大な蛇のような体躯に、無数の触手を持つ水棲魔獣『クラーケン・サーペント』。
第18階層の主だ。
「シャァァァァッ!!」
サーペントが咆哮し、触手を鞭のように振り回す。
その速度は水中とは思えないほど速い。
「行くわよ!」
「おう!」
俺は再生ボタンを叩いた。
今日のナンバーは、重厚かつ攻撃的なインダストリアル・メタル。
機械的なビートと、歪んだシンセサイザーの音が、地底湖の湿った空気を切り裂く。
固有スキル【音響共鳴】発動。
環が跳ぶ。
だが、サーペントは賢い。環の動きを予測し、8本の触手で包囲網を敷く。
さらに、口から高圧の水流ブレスを吐き出した。
「ちっ……!」
環が空中で身をよじるが、回避しきれない。
『ほら当たった』
『避けられないじゃん』
『BGM意味なくて草』
コメント欄が鬼の首を取ったように騒ぐ。
だが、千夏は動じなかった。
「近藤さん、フェーズ2へ移行! ドローン、フォーメーションC!」
千夏の指示が飛ぶ。
俺は即座にクロスフェーダーを切り、曲調を変えた。
重苦しいビートから、一気にBPMを引き上げたドラムンベースへ。
細かいスネアの連打が、環の神経を加速させる。
「見えた……!」
環が空中の岩を蹴り、軌道を直角に変えた。
物理法則を無視したような動き。
迫る触手を、ビートの裏拍に合わせて紙一重で躱していく。
ザシュッ! ザシュッ!
すれ違いざまに、触手が次々と切断されていく。
だが、これだけじゃ足りない。「ヤラセ」と言わせないためには、もっと視覚的に分かりやすい衝撃が必要だ。
「千夏さん、合わせますよ!」
「OK! 『バレット・タイム』!」
千夏が魔銃を構え、特殊弾を放った。
それは敵への攻撃ではない。空中に散布されたのは、微細な魔力蛍光塗料だ。
キラキラと光る粒子が、戦場全体を包み込む。
「環、そこだ!」
俺は曲のブレイクを作った。
一瞬の無音。
サーペントが動きを止めたその隙に、環が突っ込む。
そして――サビの爆発。
ズガアアアアンッ!!
俺が最大音量で叩きつけた重低音が、空気中の蛍光塗料を振動させた。
音が、見える。
スピーカーから放たれた衝撃波が、同心円状の波紋となって塗料を弾き飛ばし、その波に乗るようにして環の大剣が振り下ろされる。
これはCGではない。
音という物理現象が、可視化された瞬間だ。
一刀両断。
サーペントの巨体が、頭から尾まで綺麗に両断された。
舞い散る水しぶきと蛍光塗料の中で、サングラスをかけた俺と、残心を示す環、そしてドローンを操作する千夏の姿が、スローモーションのように映し出される。
『……え?』
『今の何?』
『音が……見えた?』
『衝撃波で粒子が動いてる……これガチだ』
『合成じゃねえ、物理演算だこれ』
コメント欄の流れが止まり、そして逆回転を始めたかのように賞賛の嵐へと変わっていく。
『すげええええええ!!』
『疑ってごめんなさい』
『神演出』
『音柱△』
『これを見せるためにわざと今まで黙ってたのか』
「……ふぅ」
環が剣を納め、振り返ってVサインを出した。
俺と千夏も顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
「ミッション・コンプリートね」
「ああ。これでもう、誰も文句は言わないだろう」
俺はサングラスの位置を直し、フェーダーをゆっくりと絞った。
アウトロが消え、地底湖に静寂が戻る。
帰りの車中。
千夏はタブレットを見ながら、上機嫌で鼻歌を歌っていた。
「同接15万。アンチコメントは完全に沈黙。むしろ『信者』に変わったわね。大勝利よ」
「そいつはよかった。……でも、このサングラス、やっぱり似合わない気がするんですが」
「何言ってるの。コメント欄見てみなさいよ。『渋すぎる』『イケオジ』って大絶賛よ?」
千夏が画面を見せてくる。
確かに、俺のビジュアルに対する好意的なコメントが増えていた。
「……ま、プロデューサーのおかげですね」
「素直でよろしい。ご褒美に、今度またデートしてあげるわ」
「デート?」
環が反応して、鋭い視線を俺たちに向けてきた。
「ちょっと、何勝手なこと言ってるの千夏。近藤さんは私のよ」
「あら、仕事の話よ? 次の衣装選びも必要でしょ?」
千夏は涼しい顔ではぐらかすが、その足先が俺の足をコツンと小突いてきた。
共犯者の合図だ。
俺は苦笑して、窓の外へと視線を逃した。
Sランクの独占欲と、Aランクの駆け引き。
二人の美女に挟まれながら、俺の第3の人生は、どこまでも騒がしく続いていきそうだった。




