第8話 オッサンが作るキャンプ飯が一番美味い
チーム『サウンド・オブ・ブレイブ』の結成から数日。
俺たちは『新宿第3迷宮』の中層エリア、第15階層の深部を探索していた。
湿度の高い洞窟エリア。天井からは鍾乳石が垂れ下がり、地面はぬかるんでいる。
足場が悪く、視界も悪い。探索者にとっては神経をすり減らす難所だ。
「――右、3体来るわよ!」
坂本千夏の鋭い警告が飛ぶ。
彼女が操作する偵察用ドローンが、岩陰に潜む魔物の熱源を感知したのだ。
「了解。……近藤、リズム頂戴!」
「へいへい、仰せのままに」
俺は走りながらミキサーを操作する。
湿った空気に合うよう、少しリバーブを強めにかけたダブステップを選曲する。
重く歪んだベース音が、鍾乳洞の壁に反響し、独特のグルーヴを生み出す。
現れたのは『マッド・ゴーレム』。泥と岩でできた巨体を持つ魔物だ。
物理攻撃が効きにくい相手だが、今の村上環には関係ない。
「遅い!」
環がドロップキックのように飛び込み、ゴーレムの核を一撃で粉砕する。
俺の流すビートの裏拍に合わせた、予備動作のない刺突。
音楽と同期することで、彼女の動きは以前よりもさらに鋭く、洗練されていた。
「ナイスカット! 今の顔、最高にクールだったわよ!」
千夏が援護射撃で残りのゴーレムを牽制しながら、ドローンのカメラアングルを調整する。
戦闘中だというのに、彼女の意識の半分は常に「どう映るか」に向けられている。
おかげで、ここ数日の配信同接数は常に5万人超えをキープしていた。
戦闘終了。
ドロップアイテムを回収し、俺たちは安全地帯を目指して歩を進めた。
だが、さすがに連戦続きで疲労の色が見え始めている。
「……お腹空いた」
環が、魂の抜けたような声で呟いた。
Sランク探索者としての凛としたオーラはどこへやら。今はただの、空腹に耐える不機嫌な猫のようだ。
彼女の燃費の悪さは異常だ。あれだけの超高速戦闘を行えば、カロリー消費も半端ではないのだろう。
「あと少しの辛抱よ、環。次のエリアに入ったら休憩にするから」
千夏が地図アプリを確認しながら宥める。
千夏が加わってから、探索の効率は劇的に上がった。
彼女がスケジュールを管理し、移動ルートを最適化してくれるおかげで、俺はBGMの選曲と荷物持ち、そして――
「よし、到着っと」
たどり着いたのは、結界石に守られた直径10メートルほどの広場だ。
ここなら魔物は入ってこれない。
俺はバックパックを下ろし、もう一つの重要な役割に取り掛かった。
「火加減はこんなもんか」
セーフティゾーンの隅で、愛用のポータブルコンロとダッチオーブンを展開する。
ダンジョン内での火器使用は酸素濃度に注意が必要だが、ここは通気性の良い空洞なので問題ない。
「近藤さん、今日は何作るの?」
千夏が撮影機材のメンテナンスを切り上げ、興味津々といった様子で覗き込んでくる。
環もふらふらと、吸い寄せられるようにコンロの前に座り込んだ。
「今日はコイツを持ってきたんですよ」
俺がクーラーボックスから取り出したのは、真空パックされた肉厚なブロック肉だ。
綺麗な桜色をしており、脂身と赤身のマーブル模様が美しい。
「これ、もしかして……」
「ええ。この前のボス戦、第10階層の『オーク・ジェネラル』からドロップしたバラ肉です。地上で下処理と熟成を済ませて、今日のためにパック詰めしてきました」
魔物の肉というとゲテモノに聞こえるが、高ランクのオーク肉は、ドングリを食べて育ったイベリコ豚以上の旨味と魔力を含んでいる。市場に出せば100グラム数千円で取引される高級食材だ。
それをプロの手で熟成させたのだから、味は保証付きだ。
「メニューは『オーク肉の特製スペアリブ』です」
「スペアリブ! 肉!」
環の目がカッと輝いた。
さっきまでの死んだ魚のような目が嘘のようだ。
「でも近藤さん、スペアリブって時間かかるんじゃない? 煮込みに数時間とか……」
「普通ならそうですね。でも、俺たちには優秀な『調理器具』があるじゃないですか」
俺はニヤリと笑い、千夏を見た。
「千夏さん、ちょっと手伝ってもらえます? 肉に『衝撃』を与えて繊維を壊したいんです」
「衝撃? ……ああ、なるほどね」
千夏はすぐに意図を察してくれた。
俺は肉を厚手の密封袋に入れ、特製の漬け込みダレ――醤油、ケチャップ、はちみつ、赤ワイン、そしてたっぷりのすりおろし玉ねぎとニンニクを混ぜたもの――を注ぎ込む。
「じゃあ、お願いします。袋を破かないように、優しく、かつ全体的に」
「OK、任せて。『マイクロ・バースト』!」
千夏が指先を鳴らすと、目に見えない魔力の微細な弾丸が、袋の中の肉を高速で叩いた。
パパパパパッ! という破裂音が響く。
物理的な圧力鍋効果だ。魔力による衝撃波が肉の繊維をほぐし、タレを強制的に芯まで浸透させていく。
本来なら一晩寝かせる工程が、ものの数分で完了する。
「便利ですね、魔銃使い」
「でしょ? 料理にも使えるなんて新発見だわ。今度『時短料理系探索者』として動画出そうかしら」
下ごしらえが済んだ肉を取り出し、熱したダッチオーブンに投入する。
ジュウウウウ……ッ!
脂が弾ける音と共に、ニンニクと焦げた醤油の香ばしい匂いが爆発的に広がる。
この「焼き」の工程が重要だ。メイラード反応によって旨味を閉じ込める。
「んんっ……!」
環が喉を鳴らす音が聞こえた。
彼女の視線は鍋に釘付けだ。尻尾があれば、間違いなく高速で振られているだろう。
表面全体にこんがりと焼き色がついたら、残りの漬け込みダレと、隠し味のコーラを投入する。
炭酸と糖分が肉をさらに柔らかくし、コクを出すのだ。
蓋をして、弱火で煮込むこと20分。
その間、俺はサイドメニューの準備も進める。
持参したバゲットを軽く炙り、千切りキャベツとトマトのサラダには、レモンとオリーブオイルのシンプルなドレッシングをかける。濃厚な肉料理には、さっぱりとした口直しが必要だ。
「……そろそろだな」
頃合いを見計らい、俺は軍手をして重い鉄の蓋を持ち上げた。
もわっ、と白い湯気が立ち上る。
その中から現れたのは、飴色に照り輝く肉塊たちだった。
タレが煮詰まってとろりとした艶を帯び、骨から肉がほろりと外れそうなほど柔らかく煮込まれている。
暴力的なまでの「旨味の香り」が、セーフティゾーンを満たした。
「完成です。召し上がれ」
俺が皿に取り分けると、二人は待ってましたとばかりに飛びついた。
もはやフォークやナイフなどという上品なものは使わない。
熱々の骨を手で掴み、豪快にかぶりつくのがスペアリブの流儀だ。
「……っ!!」
環が目を見開いた。
言葉が出ないらしい。ただ無心に肉を噛み締め、骨までしゃぶり尽くそうとしている。
口の周りがタレで汚れるのも気にしていない。
「うわ、何これ! めっちゃ柔らかい!」
千夏が叫んだ。
「味が染みっ染み! 脂が甘い! なにこのソース、深みが凄いわ……! 普通の豚肉より全然臭みがないし!」
「オーク肉は脂が強いですからね。赤ワインとコーラでくどさを消して、玉ねぎの酵素で柔らかくしました。あと、千夏さんの『衝撃』が効いてますよ」
「天才……! 近藤さん、貴方なんで探索者やってるの? 料理人になればいいのに」
「元バンドマンは料理が上手いって相場が決まってるんですよ。金がない時は自炊するしかないし、ツアー中は変なもん食うより作った方が安上がりですから」
俺は苦笑しながら、自分も肉を口に運んだ。
うん、悪くない。
甘辛いタレが絡んだ肉は、噛む必要がないほどホロホロだ。
ダンジョンの冷えた空気に、温かくて味の濃い肉料理が染み渡る。疲労した体に、タンパク質と糖質が直撃する感覚。
「……近藤さん」
一本目を驚異的な速度で平らげた環が、口元のソースを指で拭いながら俺を見た。
その瞳は、いつもの鋭い剣士のものではなく、とろんとした熱を帯びていた。
まるで、マタタビを与えられた猫のような無防備さだ。
「おかわり」
「はいよ、まだたくさんありますから」
「……あと、結婚して」
「ぶっ!」
俺は飲みかけた水を吹き出しそうになった。
千夏も「えっ」と動きを止めている。
「環さん? いきなり何を」
「だって、こんなに美味しいご飯、毎日食べられたら幸せでしょう?」
「だからって結婚は飛躍しすぎです。俺を専属シェフとして雇えばいい話でしょう。契約オプションに追加しておきますよ」
「それじゃダメなの」
環は真剣な顔で、二本目のスペアリブを掴んだ。
その手つきは、獲物を捕らえて離さない猛獣のそれだ。
「専属シェフなら、お金を積まれれば他のクランに引き抜かれるかもしれないわ。実際、貴方への引き抜きメール、まだ止んでないでしょう?」
「まあ、そうですが……」
「でも、旦那さんなら法的に私のものよ。誰も手出しできないわ」
「……発想が重いな」
彼女なりのジョークなのか、それともSランク特有の独占欲なのか。
読めない。だが、その瞳は笑っていなかった。
「あー、ごちそうさま! 私ちょっと向こうでドローンの調整してくるわ!」
突然、千夏が立ち上がった。
空気を読んだのか、それともこれ以上のアテられ空間に耐えられなくなったのか。
彼女は俺にウィンクを一つ投げると、そそくさと広場の反対側へと消えていった。
残されたのは、焚き火を囲む俺と環の二人だけ。
パチパチと薪が爆ぜる音だけが響く。
「……千夏のやつ、気を使いすぎだろ」
俺が苦笑すると、環は少しだけ体を寄せてきた。
肩が触れ合う距離。
風呂に入っていないはずなのに、彼女からは不思議と良い匂いがした。
「ねえ、近藤さん」
「なんですか」
「さっきの結婚の話、半分は冗談だけど……半分は本気よ」
「……またまた」
「本当よ。私ね、ずっと一人だったの。剣の腕だけが取り柄で、他は何もできなくて。みんな私の『強さ』だけを見て、私自身を見てくれなかった」
環は焚き火の炎を見つめながら、ポツリポツリと語り始めた。
「でも、貴方は違う。貴方は私の弱さを知っても逃げなかった。それどころか、それを補うための『音』をくれて、こうして美味しいご飯まで作ってくれる」
彼女が顔を上げ、俺を見る。
炎に照らされたその表情は、いつもの勝気なSランク探索者ではなく、年相応の弱さを持った一人の女性だった。
「貴方と一緒にいると、すごく落ち着くの。心臓の鼓動が、正しいリズムに戻るような気がして」
「……それは俺がBGM係だからですよ」
「ううん、違うわ。……貴方だからよ」
環の手が、俺の手の甲に重ねられた。
ひんやりとした指先。だが、そこから伝わる体温は熱かった。
これは、マズい。
ビジネスパートナーとしての距離感を越えている。
千夏の言う通り、彼女は俺を「楽器」以上の何かとして見始めているのかもしれない。
あるいは、吊り橋効果の一種か。
傍から見れば、完全にデートだ。
薄暗い洞窟の中、焚き火の明かり、寄り添う二人。
シチュエーションだけなら、最高にロマンチックなキャンプデートそのものだ。
「……コーヒー、飲みますか?」
俺は照れ隠しに話題を変えた。
これ以上、その瞳に見つめられていると、30歳の理性が揺らぎそうだったからだ。
「うん。……あ、ミルク多めでね」
「分かってますよ。砂糖も二つでしょう?」
「ふふ、よく分かってるじゃない。やっぱり私のこと好きなんじゃない?」
「雇い主の好みくらい把握してますよ」
俺はポットのお湯を注ぎながら、努めて冷静に振る舞った。
環は楽しそうに笑い、俺の肩に頭を預けてきた。
しばらくの間、言葉はなかった。
ただ、コーヒーの香りと、薪の燃える匂い、そして隣にいる彼女の鼓動のリズムだけが、心地よく響いていた。
ダンジョン攻略の途中だというのに、この時間だけは、まるで休日の公園にいるかのような穏やかさが流れていた。
(……ま、たまにはこういうのも悪くないか)
俺はマグカップを二つ持ち上げ、彼女に手渡した。
向こうの方で、千夏がニヤニヤしながらカメラを向けているのが見えた気がしたが、今は気づかないフリをしておこう。
この甘くて苦いコーヒーの味を、もう少しだけ楽しんでいたかったからだ。




