第5話 バズった翌朝、俺はまたコンビニにいた
「いらっしゃいませー」
自動ドアが開く電子音に合わせて、俺は気の抜けた声を出す。
午前10時のコンビニエンスストア。
通勤ラッシュのピークが過ぎ、店内には少しの静寂と、揚げ物の油の匂いが漂っている。
俺の名前は近藤菊雄。30歳。
昨夜、Sランク探索者のボス戦で爆音のメタルを流し、世界中を熱狂させた「謎のDJ」……の正体は、今現在、時給1100円のコンビニ店員としてレジに立っていた。
「……はぁ」
品出しの手を止めて、重い溜息をつく。
眠い。
昨夜、環と別れて家に帰った後、興奮して一睡もできなかったのだ。
スマホの通知は鳴り止まないし、SNSを開けば俺の後ろ姿がサムネイルになった動画がタイムラインを埋め尽くしている。
『神回』『伝説の配信』『この選曲をした奴は誰だ』。
そんな文字が踊る画面を眺めながら、俺は安い缶チューハイを煽り、気づけば朝になり、そのままバイトへ直行した。
そして今、俺は現実に戻り、バーコードリーダーを握っている。
落差が激しすぎる。
ジェットコースターの頂上から、いきなりメリーゴーランドに乗せられたような気分だ。
「菊雄さん、ちょっといいですか?」
バックヤードから、店長が顔を出した。
22歳の新卒店長。真面目だが、年上のバイトである俺にはいつも遠慮がちだ。
「はい、何でしょう」
「あ、いや、怒らないでくださいね? 今日の菊雄さん、なんかこう……雰囲気が違うというか」
「雰囲気?」
「ええ。なんか背筋が伸びてるっていうか、オーラがあるっていうか……あ、もしかして彼女できました?」
店長がニヤニヤしながら聞いてくる。
俺は苦笑して首を振った。
「まさか。昨日はちょっと、デカい仕事をしてきただけですよ」
「へえ、仕事ですか。菊雄さんバンドやってたんでしたっけ。いいなあ、充実してて」
店長は羨ましそうに言うと、自分のスマホを取り出した。
「そういえば菊雄さん、これ見ました? 今SNSですごい話題になってる動画」
「……動画?」
「これですよ、これ。Sランクの村上環ちゃんの配信切り抜き」
店長が突きつけてきた画面には、昨日の『オーク・ジェネラル戦』のクライマックスが映っていた。
爆音のツーバス。高速のリフ。そして、音速で暴れ回る環の姿。
画面の端には、機材を操る俺の後ろ姿がバッチリ映り込んでいる。
「このBGM、ヤバくないですか? 僕、普段こういう激しいの聴かないんですけど、なんかこう、血がたぎるっていうか!」
「……そうですね、いい曲だ」
「でしょ!? で、この後ろにいるDJのおじさんがまた謎なんですよ。ネットじゃ『音柱』とか『選曲の悪魔』とか呼ばれてて」
音柱て。
俺は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
目の前のバイト店員がその「悪魔」だとは、店長は夢にも思っていないらしい。
「いやー、環ちゃんも可愛いですけど、このおじさんの仕事人っぷりが渋いんですよねぇ。俺もこんなカッコいい大人になりたいなぁ」
「……買い被りすぎですよ。ただの裏方でしょう」
「えー、そうですか? でも、この人がいなかったら絶対勝てなかったですよ」
店長の無邪気な言葉が、胸に刺さった。
嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な感覚。
俺は「さあ、仕事に戻りますよ」と誤魔化して、レジカウンターへと戻った。
――ピロリロリン。
入店音が鳴る。
作業着姿の男性客が、スポーツ新聞と栄養ドリンクを持ってレジに来た。
俺は慣れた手つきで商品をスキャンする。
「450円になります」
「あ、あとタバコ。15番」
「はい、15番ですね」
棚からタバコを取り出し、会計を済ませる。
いつものルーティン。
昨日、数万人の前で伝説を作った指先が、今は小銭を数えている。
この現実感のなさ。
俺は一体、何者なんだろうか。
Sランクのパートナーなのか、それともただのしがないフリーターなのか。
(……いや、両方か)
俺は自嘲した。
昨日の報酬は破格だった。正直、このバイトを続ける必要なんて金銭的にはもうない。
でも、急に辞めるのも店に迷惑がかかるし、何より「地に足をつける」場所が必要な気がした。
あの熱狂に飲まれてしまわないように、こうして誰かの日常の一部として働く時間が、俺には必要だ。
その時だった。
ブォォォォォン……!
腹の底に響くような重低音が、店の外から聞こえてきた。
トラックではない。高級スポーツカー特有の、抑制された猛獣の唸り声のようなエンジン音だ。
店内の客たちが、一斉に窓の外を見る。
「うわ、なんだあの車」
「ベントレー? いや、マイバッハか?」
「すげぇ、こんなとこに誰が……」
店の前の駐車場。
軽トラや営業車が並ぶ中に、場違い極まりない漆黒の高級セダンが滑り込んできた。
ボディは鏡のように磨き上げられ、午前の日差しを反射している。
タイヤが砂利を踏む音さえ、どこか品がある。
(……まさかな)
俺は嫌な予感を覚えて、レジの後ろで身構えた。
昨日の別れ際、彼女は言っていた。「明日の朝、また迎えに来る」と。
でも、まさかバイト先に直接来るとは思わないだろう。普通は自宅か、駅前だ。
黒塗りのドアが開く。
降りてきたのは、サングラスをかけた黒スーツの運転手。
彼が恭しく後部座席のドアを開ける。
そこから現れた人物を見て、店内の空気が凍りついた。
まばゆいばかりの白。
真っ白なワンピースに、淡いブルーのカーディガンを羽織った女性。
つばの広い帽子を目深に被っているが、その隙間から零れる黒髪と、白磁のような肌は隠しようがない。
何より、その立ち居振る舞い。
コンビニの自動ドアに向かって歩くだけなのに、まるでレッドカーペットの上を歩いているような優雅さ。
「……え、嘘」
「あの人、もしかして」
客たちがざわめく中、自動ドアが開いた。
チャイムの音が、今日一番の場違いな音として響く。
彼女は迷うことなく、一直線にレジへと向かってきた。
ヒールの音がコツ、コツ、とリズムを刻む。
BPM60。ゆったりとした、しかし力強いバラードのテンポ。
俺は逃げ場を失い、ただ立ち尽くしていた。
彼女はカウンター越しに俺と対峙すると、帽子を少しだけ上げた。
サングラスの奥から、宝石のような瞳が俺を射抜く。
「……おはよう、近藤さん」
「……おはようございます、環さん」
俺が小声で返すと、店内が「えっ!?」という驚愕の声で包まれた。
そりゃそうだ。
ヨレヨレの制服を着た冴えないコンビニ店員が、天下のSランク探索者と知り合いだなんて、誰も思わない。
「き、菊雄さん!? 知り合いなんですか!?」
店長がバックヤードから飛び出してきた。目が点になっている。
「ええ、まあ……少し」
「少しじゃないわ」
環が不満げに口を挟んだ。
彼女はカウンターに身を乗り出し、俺の胸元の名札を指先でツンと突いた。
「私の専属よ」
「パ、パートナー!?」
店長の声が裏返る。
客たちの視線が、俺と環の間を激しく往復する。
誤解を招く言い方はやめてくれ。これじゃまるで……いや、ある意味間違ってはいないが。
「環さん、ここは職場です。他のお客様の迷惑になります」
「知ってるわ。だから迎えに来たの」
「迎えって、俺はまだシフトが……」
「買い取るわ」
「は?」
「貴方の今日のシフト、私が全部買い取るわ。違約金も払う。だから今すぐ来て」
彼女はポケットからブラックカードを取り出し、店長の前に突き出した。
店長は「あわわわ」とパニックになっている。
「近藤さん、今日は大事な日なの。昨日バズったおかげで、取材とダンジョン攻略のオファーが殺到してる。貴方の『音』がないと、捌ききれないわ」
「……だからって、強引すぎません?」
「強引? 言ったでしょう、『私の邪魔をするな』って」
環はサングラスを少しずらし、真剣な眼差しで俺を見た。
「貴方がここでレジ打ちをしている時間は、私のダンジョン攻略にとって『邪魔』なの。だから排除しに来たわ」
「……めちゃくちゃな理屈ですね」
「私のルールよ。それに……」
彼女はふと視線を外し、小さく呟いた。
「私の専属が、こんなところで安売りされているのを見るのは、いい気分じゃないわ」
その言葉に、俺は言葉を失った。
彼女にとって俺は、もう「ただの荷物持ち」ではなく、「自分の装備品」の一部という認識らしい。
Sランク探索者のエゴイズム。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
「……はぁ。分かりましたよ、ボス」
俺は店長を見た。
店長はまだ混乱しているが、俺の顔を見て、何かを察したように頷いた。
「……菊雄さん、行ってください」
「店長?」
「このままここにいたら、どっちみちパニックで営業になりませんし……それに」
店長は、さっきの動画の画面を俺に見せた。
「俺、応援してますから。この『音柱』のこと」
「……バレてました?」
「さっきの環ちゃんの態度で確信しましたよ。行ってください。ここは僕がなんとかしますから」
年下の、頼りないと思っていた店長が、今は頼もしく見えた。
俺は名札を外し、カウンターに置いた。
「すいません、早退します。……あと、これ」
俺はバックヤードのロッカーへ向かい、制服を脱いだ。
そして、ハンガーにかけてあったジャケットを取り出す。
昨日、環に買ってもらったチャコールグレーのジャケット。バイトに来る時、私服として着てきたものだ。
それに袖を通すと、スイッチが切り替わる音がした。
店内に戻ると、環が満足げに頷いた。
「お待たせしました、ボス」
「……だから、その呼び方やめてってば」
「じゃあ、環さん」
「……まあ、それでいいわ」
環は俺の腕を掴んだ。
そのまま強引に、店の外へと引っ張っていく。
自動ドアが開く。
外の世界は、眩しいほどの陽光に満ちていた。
黒塗りの高級車のドアが再び開かれる。
「乗りなさい、シンデレラボーイ」
「……30歳のオッサンを捕まえて、シンデレラはないでしょう」
俺は苦笑しながら、革張りのシートに身を沈めた。
車が滑らかに発進する。
窓の外、コンビニのガラス越しに、店長が敬礼しているのが見えた。
俺は小さく手を振り返す。
日常が遠ざかっていく。
エンジン音が、新しいビートを刻み始める。
俺の第2章は、まだイントロが終わったばかりだ。
さあ、次はどんな曲をかけてやろうか。
隣でスマホを操作し、忙しなくスケジュールを確認している「剣姫」の横顔を見ながら、俺は次のセットリストを考え始めていた。




