第4話 処刑用BGMがハマりすぎて、剣姫が止まらない
ドコドコドコドコドコドコ……!!
地鳴りのようなツーバスが、石造りの『王の間』を支配していた。
BPM190。人間の心臓が破裂しそうなほどの高速ビート。
俺がフェーダーを最大まで押し上げたその瞬間、世界が変わった。
固有スキル【音響共鳴】。
俺が流す音楽のリズム、旋律、そして歌詞の意味を、対象の身体能力や魔力へと変換する力。
今、村上環の心臓は、この狂ったビートと完全に同期している。
「――っ、はあああああッ!」
環が咆哮する。それは悲鳴ではない。歓喜の叫びだ。
彼女の姿がブレた。
残像すら置き去りにする加速。
オーク・ジェネラルが反応して戦斧を振り上げるよりも速く、環は大剣『紅姫』を真横に振り抜いていた。
ギャァンッ!
硬質な金属音が響く。
ジェネラルの持つ巨大な戦斧が、根本からへし折れて弾き飛ばされていた。
3メートルもの巨躯を持つボスの剛腕を、身長160センチそこそこの少女が、純粋な速度と運動エネルギーだけでねじ伏せたのだ。
『は?』
『今の見えた?』
『斧が弾かれたぞw』
『BGMクッソ激しくて草』
『なんだこれ、演出か!?』
配信画面の向こう側で、視聴者たちがどよめくのが分かる。
だが、今の環にはコメントなんて目に入っていない。
彼女は止まらない。止まれない。
俺がDJブースから送り出すリズムが、彼女の神経パルスを直接叩いているからだ。
「1、2、1、2! 行くぞ環、Aメロだ!」
俺はマイクに向かって叫びながら、イコライザーを操作して高音域を強調した。
チキチキチキチキ……鋭い金属音がリズムを刻む。
環の動きが変貌する。
これまでの彼女は、教科書通りの「4拍子の表拍」でしか動けなかった。だから予備動作が大きく、見切られやすかった。
だが今は違う。
ドラムの細かいフィルインに合わせて、予測不能なステップを踏んでいる。
ザシュッ! ザザッ!
右足、左肩、脇腹。
ジェネラルが体勢を立て直す隙を与えず、環は踊るように斬撃を刻んでいく。
それは優雅な剣舞ではない。
モッシュだ。ライブハウスの最前列で暴れ回る、制御不能のエネルギーの塊。
「ブモォオオオッ!?」
ジェネラルが混乱の声を上げる。
目の前の獲物が、突然リズムを変えたことに対応できていない。
大振りのパンチを繰り出すが、環はスネアドラムの「タン!」という音に合わせて、最小限の動きでそれを回避する。
まるで、最初から振付が決まっていたかのように。
(いいぞ……! ハマってる!)
俺は全身粟立つような興奮を覚えていた。
ミキサーのつまみをいじる指先が、汗で滑りそうだ。
これが俺の求めていたセッションだ。
最強のソリストが、俺の作った土台の上で、自由に、そして凶暴に暴れ回る。
彼女の潜在能力――Sランクたる所以の膂力と反射神経が、迷いという枷を外されて100パーセント、いや120パーセント発揮されている。
『これマジ?』
『環ちゃん覚醒しすぎだろ』
『後ろのオッサン何者だよ』
『選曲が神』
『処刑用BGMきたあああああ!!』
タブレットの同接カウンターが異常な速度で回り始めた。
1万、2万、3万……数字が止まらない。
SNSで拡散されたのだろう。「なんかヤバい配信がある」「放送事故レベルの戦闘」と。
「サビまであと4小節! 溜めろ……溜めろ環!」
俺の指示が聞こえているのか、環がバックステップで大きく距離を取った。
曲がブレイクに入る。
全ての楽器が一瞬だけ鳴り止む「間」。
環はピタリと動きを止め、大剣を上段に構えた。
切っ先が天を指す。
その静止姿の美しさに、ジェネラルが一瞬、魅入られたように動きを止めた。
あるいは、それが死神の鎌に見えたのか。
ジェネラルが咆哮し、捨て身の突進を仕掛けてくる。
丸太のような腕が、環の頭蓋を砕こうと迫る。
あと1秒。
0.5秒。
今だ。
「――ぶっ放せぇぇぇぇッ!!」
俺が叫び、全楽器がバーストするサビの爆音を叩きつけた。
ドォォォォォォンッ!!
音が物理的な衝撃波となって広がる中、環の体が赤い閃光と化した。
固有スキルではなく、純粋な速度と筋力による一撃。
だが、その威力は魔法の域に達していた。
一閃。
ジェネラルの巨大な体が、斜めにずれた。
世界がスローモーションになる。
遅れて、鮮血が噴水のように舞い上がり、天井の鍾乳石を赤く染めた。
断末魔の悲鳴すら上げる暇もなく、ボスは光の粒子となって崩れ去っていった。
――曲のアウトロが流れる中、環は残心を示したまま静止していた。
やがて最後のシンバルが鳴り止み、完全な静寂が『王の間』に戻ってくる。
「……ふぅ」
環が大きく息を吐き、振り返った。
汗で濡れた黒髪が頬に張り付いている。
肩で息をしているが、その表情は晴れやかだった。
彼女は俺に向かって、大剣を掲げてみせた。勝利のポーズだ。
「……アンタ、最高だよ」
俺はヘッドホンを外し、へなへなと座り込んだ。
緊張の糸が切れた。
配信画面のコメント欄が、滝のように流れているのが見える。
『うおおおおおおお!!』
『神回確定』
『鳥肌たった』
『スパチャ投げさせろ!』
『同接10万人超えてるぞwww』
ボス撃破のファンファーレ代わりに、俺たちの初ライブは伝説的な成功を収めたのだった。
ボス討伐後のドロップアイテム回収は、驚くほど淡々と進んだ。
ジェネラルが落とした魔石は拳大の大きさで、市場価格にして数千万円は下らない『極上品質』だ。その他にも、レアな素材や武具がドロップしていた。
「近藤、これ持って」
「はいよ」
俺はポーターとしての職務に戻り、黙々と荷物をバックパックに詰めていく。
さっきまでの熱狂が嘘のような、静かな撤収作業だ。
だが、二人の間に流れる空気は、来る前とは明らかに違っていた。
地上に戻った頃には、すっかり日が暮れていた。
新宿のネオンが眩しい。
俺たちはVIP用出口から外に出た。
待ち構えていた黒塗りの送迎車の前で、俺はバックパックを下ろした。
「お疲れ様でした、環さん。本日の業務はこれで終了ですね」
俺は昨日買ったばかりのジャケットの埃を払いながら言った。
戦闘の余波で少し煤けてしまったが、まあクリーニングに出せば落ちるだろう。これは俺の戦闘服だ。大切にしないといけない。
「……ええ。お疲れ様」
環は運転手が開けたドアに手をかけ、動きを止めた。
そして、振り返って俺を真っ直ぐに見た。
街灯に照らされたその瞳は、昼間よりも強い光を宿していた。
「今日のあの曲、なんていうの?」
「『Thunder Force』。昔の北欧メタルの曲ですよ」
「……そう。覚えておくわ」
彼女は小さく頷いた。
「私、ずっと悩んでた。どれだけ鍛えても、何かが足りないって。でも今日、分かったわ。私に足りなかったのは、貴方の言う通り『調律』だったのね」
環が一歩、俺に近づく。
甘い香水の匂いが微かに漂う。だが、昨日のような惑わせるような媚びはない。
あるのは、戦友に向けるような信頼の眼差しだ。
「貴方の音があれば、私はもっと強くなれる。もっと速く、もっと鋭く」
「……買い被りすぎですよ。俺はただ、後ろで騒音を撒き散らしてただけだ」
「謙遜はいらないわ。結果がすべてよ」
彼女はスマホを取り出し、配信のアーカイブ画面を俺に見せた。
再生数は既に数百万回を超え、SNSのトレンドワードには『#処刑用BGM』『#謎のDJおじさん』という文字が並んでいる。
「これを見て。世界中が貴方の音を聴いたわ。……もう、逃げられないわよ」
「うわ……マジか」
俺は天を仰いだ。
バズるとはこういうことか。俺の静かな隠居生活は、この一晩で粉々に砕け散ったらしい。
「明日の朝、また迎えに来るわ。次はもっと難しいダンジョンに行くから、新しいセットリストを用意しておいて」
「へいへい。ボスの仰せのままに」
俺が肩をすくめると、環は満足げに微笑み、車に乗り込んだ。
バタン、と重厚なドアが閉まる。
黒塗りのセダンは、夜の新宿の雑踏へと消えていった。
一人残された俺は、深く息を吐き出した。
ポケットから安物の煙草を取り出し、火をつける。
紫煙が夜空に昇っていく。
スマホが震え続けている。
知らない番号からの着信通知。メッセージアプリには、かつて俺を切り捨てたバンド仲間や、手のひらを返したような知人たちからの連絡が殺到していた。
『動画見ました! 貴方、ウチのクランに来ませんか?』
『取材依頼です。週刊〇〇ですが――』
『特定しました。近藤菊雄さんですね?』
「……やれやれ」
俺はスマホの電源を切り、ポケットにねじ込んだ。
今夜は誰とも話したくない。
ただ、あの爆音の余韻と、環の剣閃の残像だけを肴に、一人で安酒を煽りたい気分だった。
30歳、元バンドマン。
人生のピークは過ぎたと思っていたが、どうやら俺の第2のステージは、予想以上に騒がしくて過酷なものになりそうだ。
俺はジャケットの襟を立て、喧騒の中へと歩き出した。
背後で、街頭ビジョンから今日の配信の切り抜き映像が流れ始め、道行く人々が足を止めているのが見えた。




