6-6 線の外
午後。訓練は砦の外れ、見張りの丘まで広げられた。丘の向こうは森の縁で、木々の影が濃い。空き地とは空気が違う。湿り気を含んだ風が肌にまとわりつき、魔力のざらつきが濃くなる。耳の奥がきしむように痛い。身体の奥で、見えない砂を噛まされている感覚だった。
丘へ向かう道で、補給班の若手が魔獣を連れてきた。黒い毛並みの四つ足で、荷を引くための革具が背に巻かれている。目は暗い琥珀色で、森のほうを見るたびに背毛がゆっくり逆立った。太郎はその動きを見て、喉が鳴る。
(……反応してる。森に、何かいるってことだ)
魔導車の魔石も並べられていた。車輪の軸に埋め込まれた魔石が、鼓動みたいに淡く脈打つ。魔獣の息が白く、魔石の光が青く、どちらも同じ「生き物の気配」に見えるのが妙に不気味だった。
丘の斜面には、古い防護刻印が点々と残っていた。石に掘られたはずの紋が、雨で削れ、ところどころ欠けている。ミラが指先で触れると、欠けた紋が弱々しく光った。
「昔の前線の名残です。効きは薄いけど、矢の角度が少しだけ変わる。……だから油断が増える」
太郎はその言葉が怖かった。守りがあると思うと、人は前へ出る。前へ出た分だけ、戻るのが遅れる。
だから太郎は、線を踏み直して言った。
「守りがあっても、線は同じ。守りがあるほど、線を守る」
イルスが短くうなずき、若手の肩を叩く。叩く力は強くない。合図だけだ。合図があると、人は息を取り戻せる。
ガルドが丘の頂で立ち止まる。声は低く短い。
「ここは、やり直しの場所じゃない」
若手が息をのむ。イルスも背筋を固くした。
「だが、今日の動きができないなら、外に出すな。今日で決める」
遠くで、ぱん、と乾いた爆ぜ音がした。続いて光が瞬き、木々の上に薄い煙が立つ。近くない。だが本物だ。若手の顔色が一段青くなる。
太郎は五分の言葉をもう一度投げた。短く、同じ順番で。
「線まで下がる。線から後ろへ勝手に下がらない。合図が聞こえたら、止まって、見る」
口にすると、息が少し戻る。言葉が自分の背骨になる。
ガルドが手を上げる。
「前へ」
隊が前に出る。丘の斜面を下りると、森の影が近づく。土の匂いが濃くなり、葉の裏の湿り気が肌に触れる。そこで、森の縁がわずかに揺れた。人影だ。距離はあるが、矢が飛んだ。
空気が裂ける音。木の幹が、ばきりと割れ、破片が雨みたいに飛んだ。若手のひとりが反射で走りかける。
「止まって、見る!」
イルスが叫ぶ。声が刺さり、若手の足が止まる。膝が震える。だが止まった瞬間、前にいる先輩の背中が見える。自分が一人じゃないのが分かる。
ガルドが短く合図を出す。
「退却!」
線まで下がる。誰も勝手に線を越えない。列が崩れない。背中を守る形が残る。
森の影からさらに一矢。低く来た。若手の肩をかすめ、鎧の端がちり、と焦げる。
「遅れる!」
若手が声を出した。イルスが即座に肩を掴み、線の手前で止める。治療班役のウルダが駆け、革袋を投げ渡す。水だ。若手が喉を鳴らして飲む。
太郎は息を呑んだ。訓練で繰り返した声が、今ここで命をつないでいる。
退却。線まで。止まって見る。声を出す。
繰り返しが、戦場の縁で形になる。生き残り方が、ほんの少しだけ「技術」になる。




