表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/74

6-5 偽の矢

2026/1/25加筆修正

翌日。空き地の土は昨日より固く、踏みしめるたびに乾いた音が鳴った。砦の外で小競り合いがあったらしく、森から焦げた匂いが流れてくる。鼻の奥に残るその匂いが、訓練のはずの場所を戦場に寄せていた。

 集まった若手の肩は上がり気味で、鎧の金具がやけに大きく鳴る。イルスは列の脇に立ち、目だけで人数を数えてから太郎に小さくうなずいた。太郎は縄の半円を一度踏み直し、足跡の線を目印にした。

 ミラが石壁の影から小さな革袋を出す。口を結ぶ紐に、淡い刻印が走っている。

「訓練用。痛いけど、死なない。……ただし、油断すると転ぶ」

 そう言いながら、ミラは袋の中の粉を指先でつまんだ。粉は空気に触れた瞬間、砂ではなく光の粒になって散り、風に逆らうように空中で形を保つ。次いで、粒が細い線へとつながった。

 矢だ。矢の形をした光が、静かに弓を引く音もなく生まれる。

 若手の息が一斉に止まるのが分かった。

 ミラは上空へ指を弾く。光の矢が、ひゅ、と空気を裂いて飛んだ。風切り音ではない。薄い金属を撫でるような、冷たい音だ。

 ぱちん。石に当たった瞬間、矢は弾けて白い煙になる。煙はすぐ消えるが、頬をかすめた熱がじわりと残る。太郎は反射で肩をすくめ、喉の奥がきゅっと縮んだ。

(……当たったら、痛いで済む。でも、身体は本物みたいに反応する)

 ミラは淡々と続ける。

「命中させるつもりはない。だが、外したつもりで外す。だから、動きは本番と同じになる」

 太郎は短く息を吸い、五分の言葉をそのまま投げた。昨日より短く、噛まない形で。

「線まで下がる。線から後ろへ勝手に下がらない。合図が聞こえたら、止まって、見る」

 イルスが復唱する。

「止まって、見る。声を出せるなら、出す」

 若手の一人が、唇を舐めた。別の一人は、剣の柄を握ったまま指先を震わせている。太郎はそれを見て、声の調子を変えずに言う。

「今の震えは普通です。震えたまま動けるようにする。だから、やり直す」

 ミラの指がもう一度弾かれた。二本、三本。矢は同じ方向からではなく、少しずつ角度を変えて飛ぶ。光が走るたび、鎧の擦れる音が跳ね上がる。

「止まって、見る!」

 太郎の声が先に出る。自分の心臓が暴れているのが分かる。口の中が乾き、舌が重い。それでも声は出た。声が出ると、足が止まる。止まると、見える。

 最初の一回は崩れた。線より後ろへ半歩、二歩と下がる者が出る。反対側では、前に残りすぎた者が取り残されかける。

「ストップ」

 太郎は怒鳴らない。手のひらを上げ、合図を切るだけで止めた。

「今、線を越えたのは誰だ。自分で言える人」

 沈黙のあと、震える手が上がった。

「……俺です」

「いい。言えた。次は、越えそうになったら声を出す。『越えそう』でいい」

 太郎は縄の半円を指し、足跡の深いところを示す。

「ここに戻ればいい。戻る場所が分かってるなら、逃げ方は揃う」

 イルスが列を見回して補足する。

「勝手に下がると、前の人が背中を切られる。だから、線が命綱だ」

 若手がうなずく。理解というより、恐怖で覚えていく顔だ。

 ミラの矢が走る。今度は低い。足元をかすめる高さで、土の表面がぱちりと焦げた。数人が反射で跳ねたが、次の瞬間、誰かが声を出した。

「越えそう!」

 その声につられて別の声が重なる。

「こっちも!」

 声が出ると、列が揃う。揃うと、線の手前で止まれる人数が増える。太郎は胸の奥で小さく息を吐いた。

(……たったこれだけで、死ぬ確率が変わる)

 休憩の合間、ミラが革袋の口を締め直しながら太郎に目だけ向けた。

「本物の矢と違う点が一つあります。光矢は、飛ぶ直前に空気が少し重くなる。感じ取れたら合格」

 太郎は首を傾げたが、次の瞬間、確かに胸の前が押されるような違和感が来た。霧が一瞬だけ沈む。耳鳴りが強くなる。来る、と分かっても心臓は跳ねる。

 矢が走る。若手の肩が跳ね、鎧の縁がぶつかる音が連鎖した。

 太郎は声を切らさずに言う。

「来る前に、重くなる。重くなったら、足元を見る。線を見る。手元を見る。——それだけで一拍稼げる」

 イルスが頷き、復唱する。

「重くなったら、線を見る」

 若手たちが遅れて真似る。たった一拍。だが戦場では、その一拍が生死の差になる。

 太郎は縄の光を見下ろし、次の合図を短く切った。

「もう一回。今のまま、やり直す」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ