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6-1 呼び出し

 砦の朝は、いつもより少しだけざわついていた。

 前夜の戦いから一夜明けた中庭では、あちこちで同じ単語が聞こえてくる。


「昨日の退き、崩れなかったよな」

「“声出してから走れ”ってやつ、案外できるもんだ」

「線がどうこうって、最初は面倒だと思ったけどよ……まあ、悪くねえ」


 太郎は荷車置き場で帳面を閉じながら、その断片的な声を耳にしていた。

(……とりあえず、昨日の五分トークは“完全な空振り”ではなかった、ってことか)


 安堵と、まだ抜けきらない緊張が胸の中で変な混ざり方をしている。


「太郎さん」


 振り向くと、イルスが駆け寄ってきた。

 顔色は疲れているが、昨日より目の焦点がしっかりしている。


「隊長が、お呼びです」

「隊長? ガルドさんが?」

「はい。砦の作戦室のほうへ」


 呼び出されて良いことがあった試しは少ない。

 現世でもそうだったし、この世界でも今のところ例外はない。


(……まあ、怒られるにしても、心当たりはだいたい一つなんだけどな)


 太郎は小さく息を吐き、イルスとともに砦の奥へ向かった。



 作戦室は石壁の一室だった。

 粗い木の机の上には地図と小さな駒が並び、魔力で淡く光る薄板には誰かの書きかけの文字が浮かんでいる。


 その机の向こうに、ガルドが立っていた。

 鎧は外しているが、姿勢は戦場のときと変わらない。


「来たか、太郎」


 いつもの「柔角族」ではなく、名前で呼ばれたことに、太郎は一瞬だけ肩の力が抜けた。


「はい。お呼びと聞きました」


 ガルドは机の上の駒を一つ指で弾き、視線を太郎に戻す。


「昨日の退き方だが……あれはお前の“話”がきっかけか」


 太郎は、そばに立つイルスをちらりと見る。

 イルスは黙って、こくりとうなずいた。


「きっかけの一つでは、あると思います」

「そうか」


 賛辞も叱責も挟まず、ガルドは淡々と続けた。


「一つ聞く。ああいう話は、昨日だけか?」


「……いえ。むしろ、昨日からだと思っています」


 自分でも驚くくらい、言葉は自然に出た。


「新人や若い隊員に、“出る前に決めておくこと”を繰り返し伝えないと、たぶんすぐ元に戻ります」

「繰り返すつもりか」

「はい。五分で済むなら、何度でも」


 ガルドは短く鼻を鳴らした。


「五分で済ませたのは評価する」


 ここ数日の付き合いで、これがこの隊長なりの最大級の褒め言葉だと、太郎は理解していた。


「で、本題だ」


 ガルドは地図の端を押さえ、別の紙を広げる。

 そこには第一小隊の名簿と、簡単な分類が手書きされていた。


「新人、若手、中堅。ざっくりだが、分けてみた」

「隊長が、ですか」

「お前の話を聞いてからだ」


 ガルドは「新人」の列を指で軽く叩く。


「こいつらを、いきなり前線に出すのは愚かだ。だが、人手は足りん。ゼロにはできん」


 太郎は黙って耳を傾けた。


「そこでだ」


 ガルドは太郎をまっすぐ見る。


「“戦場ごっこ”とやらを、本気で考える気はあるか」


 昨夜、焚き火のそばで口を滑らせた言い方を、まさか隊長が覚えているとは思わなかった。


「名前は変えていい。上に報告するときに怒られるのはごめんだ」


 そこだけ、ほんの少しだけ口調が柔らかかった。


「……考えます。というか、もう考え始めてました」

「どうする」


 太郎は机の端に置かれていた木片を手に取り、地図の横の空いたスペースに並べた。


「“本番の戦場”に出す前に、“ここからここまでが戦場です”って決められた場所を作ります」


 木片で小さな長方形を作り、その内側にさらに駒を置く。


「前に出る役、下がる役、荷車を守る役。

 役割を決めて、魔術なし、刃こぼれしない訓練用の武器だけで――」


「ぶつけるのか」

「はい。ただし、“死なないやり方”で」


 太郎は言葉を選びながら続けた。


「新人には、最初から勝たせなくていいと思います。

 でも、“どうやったら死なないか”だけは、その場で体験させたいです」


 ガルドは腕を組み、しばらく黙った。

 やがて、ぽつりと問う。


「それを考えるのは、お前の仕事か」


「……俺がやらなきゃ、誰がやるんですかね」


 口に出した瞬間、自分の中で何かがはっきりした。


「戦い方を完璧に教えることはできません。

 でも、“線を引く”ことなら、俺にもできます」


 ガルドは、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。


「いい顔になってきたな」

「え?」

「前に立つ側の顔だ」


 太郎は言葉に詰まる。

 褒められているのか、危ない役目を押しつけられそうなのか、判断に困る。


 ガルドは紙束から一枚を抜き取り、太郎に渡した。


「新人と若手の名を抜き出した。こいつらを、明日から“出撃前の半刻”砦の裏に集める」

「半刻って……どれくらいですか」

「お前の感覚で言えば、三十分前後だと思っておけ」


(五分トークどころじゃないな)


 太郎は紙に並んだ名前をざっと目で追う。

 見覚えのある顔もあれば、戦場ではまだきちんと認識していない名前もある。


「太郎」

 ガルドの声が、少しだけ低くなる。


「勘違いするな。こいつらを甘やかすつもりはない」

「分かっています」

「だが、無駄に死なせるのは、もっと嫌いだ」


 その一言だけで十分だった。


「……やります」


 太郎は紙束をしっかり握りしめる。


「“戦場ごっこ”じゃなくて……そうですね」


 現世で資料作りをするときの癖で、思わず名前を考える。


「“前線準備訓練”あたりにしておきましょうか」

「言いにくいな」

「正式名称は、もう少しそれっぽく考えておきます」


 ガルドは肩をすくめた。


「名前は後だ。まずは形にしろ」

「了解です」




 作戦室を出ると、廊下の空気が少しひんやりして感じられた。

 手元の紙には、新人と若手の名前がずらりと並んでいる。


(どうせなら、全員、ちゃんと名前で呼べるようになりたいな)


 そう思った瞬間、頭の上で角がかすかに揺れた。

 太郎は手を伸ばしかけて、途中で止める。


(今さら外れるわけないし)


 角付きの頭のまま、太郎は砦の裏手――

 これから「練習場」になる予定の囲いへ向かって歩き出した。

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