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角だけ魔族の太郎さん〜人材育成から始める魔王軍マネジメント〜  作者: 山田太郎
第5章「裂け目の中で」
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5-12 五分だけの話

 朝靄がまだ砦の中庭に残っていた。


 第一小隊の一角に、「新人と若手」を中心に十数人が集められている。  全員、鎧はつけたまま。剣や槍も手放さないまま、半円を作って突っ立っていた。


 その少し離れたところで、太郎は深呼吸をひとつした。


(……会社の朝礼じゃないんだぞ、ここ)


 自分にそう言い聞かせながらも、口から出る言葉の準備は、  どうしたって「係長モード」になってしまう。


 後ろには腕を組んだガルド。

壁際にはイルスと、何人かの中堅隊員が控えている。


「時間は五分だ。長くするな」

ガルドがぼそりと言った。


「……了解しました」


 太郎は前に出て、半円の中央に立った。


「柔角族の太郎です。  

 今日は、三つだけ話させてください」


 ざわめきが、かすかに動きを止めた。


 太郎は、土の上に小枝で丸と線を描く。


「まず一つ目」


 描いた丸を指でとん、と叩いた。


「前に出る人と、下がる人を、自分の中でごちゃ混ぜにしないことです」


 隊員たちの視線が、一斉に足元へ落ちる。


「今日の戦いで、“自分はどちら側か”を決めてください。  ガルド隊長や、前に出ると決まっている人。  そういう人が踏ん張る場所と――」


 丸から少し下がったところに、半円の線を引く。


「俺たちみたいに、荷車や仲間を守るために“下がる役”に回る人」


 太郎は、自分の胸を軽く叩いた。


「どっちが偉いとかじゃありません。

 役目が違うだけです」


 前列の若い隊員が、そっと息を吐く音がした。


「二つ目」


 太郎は、丸と線の間を、指でゆっくりなぞった。


「“どこまで下がっていいか”を、先に覚えておくことです」


 昨日、ガルドと話した退却ラインを、簡単な言葉にまとめる。


「今日の戦場で言えば、

 『この木を越えたら、絶対に無理はしない』

 そういう“目印”を、各自ひとつ決めてください」


 誰かが、小さく首をかしげた。


「戦いが始まってから決めるのは、ほぼ無理です。  怖くて、焦って、視界も狭くなってる。

 だから――出る前に決めておく」


 太郎は、一本の線を強くなぞった。


「“ここまで下がったら、それ以上は一人で前に戻らない”  

その線を、今日ひとつ決めてください」


 イルスが、きゅっと拳を握ってうなずいた。


「三つ目」


 太郎は顔を上げ、できるだけ全員の目を見渡した。


「困ったら、勝手に走らないでください」


 何人かが、息をのむ。


「怖くなったとき、真っ先にやりたくなるのは“走ること”です。

 でも、勝手なタイミングで走る人が一人いるだけで、

 その周りの人は、もっと危なくなります」


 太郎は、現世の新人の顔を思い出しながら言葉をつなげた。


「どうしても足が動きそうになったら――

 まず、声を出してください」


 胸に手を当て、短く例を挙げる。


「『ここ、もう持ちません』でも、

 『一度下がっていいですか』でもいい。

 かっこいい言葉でなくていいから、とにかく“声”で知らせてください」


 前列の若い魔族が、不安そうに手を挙げた。


「……そんな余裕、あるんでしょうか」


「ないかもしれません」


 太郎は、即答した。


「でも、“ないから無理”って決めてしまうと、

 今日も、明日も、明後日も、ずっと同じやり方になります」


 太郎は、息を整えた。


「だから三つだけ」

 指を一本ずつ立てて、ゆっくり繰り返す。


「一つ。自分が“前に出る役”か“下がる役”か、決めること」


「二つ。“どこまで下がっていいか”の線を、先に覚えておくこと」


「三つ。足が勝手に動きそうになったら、走る前に声を出すこと」


 短い言葉だけを、空に放つように重ねた。


「完璧にできなくていいです。

 ただ、今日ひとつだけでも意識してくれたら、それで十分です」


 言い切ったところで、太郎は小さく頭を下げた。


「……以上です」


 しばし、沈黙が落ちた。


 風が、中庭の砂をすこしだけ巻き上げる。

 どこかで鎧の金具が鳴る音がした。


 最初に声を出したのは、イルスだった。


「三つなら、覚えられます」


 彼は、ほんの少し照れくさそうに笑う。


「僕、声出すのあまり得意じゃないですけど……頑張ってみます」


 それをきっかけに、ぽつぽつと声が続いた。


「“線”……目印、探しておきます」

「走る前に声、か……やってみないと、ですね」


 全員が納得したわけではない。

 腕を組んだまま、ふん、と鼻を鳴らす古参もいる。


 でも、「三つ」という数と、短い言葉は、

 それなりに頭に残ったようだった。


「……五分、ちょうどだ」


 背後から、ガルドの低い声が落ちてきた。


 振り向くと、彼は僅かに口角を上げていた。


「難しいことは言っていないが、現場のやつらにはちょうどいい」


「ありがとうございます」


「今日の戦いで、どこまで浸透したか見てやる」


 それだけ言うと、ガルドは手短に号令を飛ばし、集合は解かれた。


 その日の交戦は、昨日よりも少しだけ軽かった。


 それでも、前線は荒れた。

 矢が飛び、魔術が走り、地面が抉れ、叫び声が飛ぶ。


「ここまで! ここで一度止まれ!」


 退却の合図役の声が、昨日より早く、はっきりと響いた。


 隊列の端で、若い隊員が足を止める。

 そのすぐ後ろの者が、勢い余ってぶつかりかけて――


「すみません、下がります!」

 振り向きざまに叫び、身体をひねって列に戻った。


 ほんの数秒のやり取り。

 それでも、昨日ならそのまま背中を晒して走っていただろう。


 前線が崩れそうになる瞬間もあった。

 全てがうまくいったわけではない。


 それでも、


(……さっきのやつ、“走る前に声を出した”な)


 荷車の陰にいる太郎の目には、その違いがはっきり見えた。


 戦いが終わり、夕方。

 砦へ戻る列の途中で、イルスが肩で息をしながら隣に並んできた。


「太郎さん……三つ、全部は無理でしたけど」


「俺も無理でしたよ」


 太郎は苦笑した。


「でも、“線”を意識してる人が、何人かいました。  あれだけでも、だいぶ違います」


「……死なずに戻れたやつ、増えましたよね」


 イルスの言葉に、太郎はゆっくりと頷いた。


 空は、赤く焼け始めている。

 その色が、昨日よりほんの少しだけ、穏やかに見えた。


(三つ覚えてくれ、なんて図々しかったかな)


 太郎は心の中で、自分に笑いかける。


(でも――こういう“繰り返せる言い方”なら、いくらでも上乗せできる)


 頭の上で、角がかすかに揺れた。

 風のせいか、疲労のせいか、自分でも分からない。


 ただひとつ分かっているのは。


 今日の五分が、誰かにとって

 「走る前に踏みとどまれた一歩」になったのなら。


(……この世界で、俺がやるべき仕事は、たぶん間違ってない)


 太郎は荷車の取っ手を握り直し、夕焼けの中を歩き続けた。

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