第69話 婚前報告、祝福の輪
会社で婚約の報告を正式に行う日がやってきた。
緊張した面持ちでオフィスに向かった。
社内の空気が、いつもより少しだけ乾いている気がした。
朝、出勤してデスクに着くと、莉子ちゃんが満面の笑みで駆け寄ってくる。
「師匠、いよいよ今日なんですね」
「え、ええ。なんか緊張するよ」
「頑張ってください。見守ってますから」
そう言って莉子ちゃんは笑顔で親指を立てた。
朝礼の時間になり、私は川本課長から呼ばれた。
「皆さん、今日はうれしい報告があります」
課長が私の方を見る。
実は三日前、課長に婚前報告を申し出て、今日にすることに決めたのだった。
「じゃあ有動さん、よろしくね」
課長がウインクして私にバトンタッチする。
私は小さく頷いてから、みんなの方へ向き直り報告を始めた。
「おはようございます。有動です。今日は少しお時間をお借りして、報告させていただきます」
みんなの注目が私に集まる。
「明日の午後、私と桐生尚也副社長は入籍することとなりました。報告が今になってしまい、申し訳ありません」
みんなの表情が驚きに変わる。
その後、結婚式の日取りと規模について話をし、報告を終えた。
終了後、オフィス中から拍手が起きた。
温かい空気に包まれる。
思わず胸の奥が熱くなった。
「有動さん」
大原先輩が私に近づく。
「おめでとう。やっぱりそうだったのね」
「先輩、黙っててごめんなさい」
「いいのよ。私、応援するから。その代わり、式には呼んでちょうだいね」
大原先輩はにっこり微笑んだ。
「はい。喜んで」
隣の川本課長も優しく見守ってくださった。
「さて、今日の朝礼は終わり。みんな、今日も一日業務頑張りましょう」
課長の締めくくりで、業務が開始した。
ああ、やっとこの日が来たんだ……。
みんなに秘密にしながら仕事するのは今日でおしまい。
これからは新たな気持ちでみんなと仕事できるのが、とてもうれしく思えた。
◆◆◆
昼過ぎ、私は社長室に呼ばれた。
部屋に入り一礼すると、白いスーツ姿の麗華さんと桐生社長が待っていた。
いつも通りの落ち着いた空気――だけど、どこか柔らかい。
「ようやく正式に、というわけね」
麗華さんはいつものクールな微笑みを浮かべながらも、どこか嬉しそうだ。
「はい……まだ実感が湧かなくて」
「ふふ、あなたらしいわね。でもね、有動さん」
麗華さんは少し身を乗り出し、まっすぐ私を見た。
「尚也がああして笑うようになったのは、あなたのおかげ。彼はずっと背負いすぎてたから――あなたがいてくれて、本当に良かった。」
思わず、胸がいっぱいになった。
麗華さんの優しい言葉が、涙腺を刺激する。
「ありがとうございます……そんな、私なんて」
「もう。“なんて”はやめなさい。あなたはこの会社にとっても、彼にとっても欠かせない人よ」
社長も穏やかに頷いた。
「ルミナリエは、人を育て、人が支える会社だ。尚也もそうだが、有動君、君の成長も大きな誇りだよ。これからも期待しているよ」
「社長……ありがとうございます」
震える声でそう言うのが精一杯だった。
俯き、涙がひとしずくこぼれた。
そんな私の姿を、麗華さんと社長が優しいまなざしで見守ってくださった。
会議室を出ると、廊下の向こうに桐生さんが立っていた。
静かな微笑みで、私を迎える。
「……終わったか」
「はい。お二人とも、本当に優しかったです」
そう言うと、桐生さんは少しだけ息をついた。
「よかった。君が笑ってる顔を見て、ようやく落ち着いた」
「桐生さん……」
その時――背後から元気な声。
「桐生副社長、師匠!」
莉子ちゃんが駆けてきて、いきなり私の腕をつかむ。
「みんなでサプライズでケーキ用意してるんです! 秘書課と開発部、営業部合同ですよ!」
「えっ!? ちょっと、莉子ちゃん、それって……!」
「いいじゃないですか! 今日はお祝いですよ!」
慌てる私を見て、桐生さんが珍しく苦笑した。
「……断れないな」
「ですね……」
私たちは顔を見合わせ、互いに笑い合うのだった。
◆◆◆
夕方、会議室には小さなパーティーの準備が整っていた。
テーブルには色とりどりの料理と、ルミナリエのロゴ入りのケーキ。
「師匠! こっちこっち!」
「ちょっと莉子ちゃん、もう……」
そこにいたのは、秘書課の仲間たち、営業部と開発部の面々、そして麗華さんまでも。
まるで家族のような温かさだった。
いつも淡々とした桐生さんが、ケーキカットの時だけ、少しだけ照れた顔で言った。
「……皆、ありがとう」
静かな声だったけれど、その言葉だけで、場の空気が優しさで包まれた。
拍手と歓声の中、私は思わず泣きそうになった。
これまでの苦しみも、孤独も、全部がこの瞬間のためにあったような気がした。
(――ああ、やっとここまで来たんだ)
尚也さんがそっと耳元で囁く。
「……有動がいたから、ここまで来られた。ありがとう」
涙をこらえながら、小さく笑って答えた。
「私も、桐生さんがいたから、ここにいられました」
みんなの祝福を感じる、温かな空気。
その中で、私は確かに感じていた。
――“祝福”とは、誰かと分かち合える幸せのことなんだ、と。
お開きになった後、私たちは最後の片付けをしていた。
みんなが協力してくれたおかげで、片付けは手間取ることなく終わった。
みんなが退勤した後、私たち二人が残った。
「俺たちもそろそろ帰ろうか」
「はい」
消灯し、鍵をかける。
「行こう」
帰途に歩き出す彼の背中を見て、ふと頭によぎった。
「尚也さん」
「ん?」
尚也さんがこちらを振り返る。
「素朴な疑問なんですけど……」
「何だ?」
「……その……いつから私のことが好きになったんですか?」
「……」
尚也さんの足が止まり、こちらへ向き直る。
「……そうだな」
少し考えた後、話し始める。
「正確にいつだったかは覚えてない。だが、倉庫へ同行してもらったことがあっただろ?」
「……はい、覚えてます」
「君が従業員を助け、被害を最小限にしてくれた。あの時くらいだった気がする」
「そ、そうだんったんですね」
てっきり怪しまれて目をつけられていたのかと思ってた。
今もあの力のことは言えないけれど。
好きになってくれたのに、隠し事するのって、何か辛いな。
「……たとえ、君が何者であったとしても、俺は受け止めるつもりでいる」
「えっ?」
「無理に話す必要はない。誰にだって、知られたくない事はあるからな」
「……はい」
「未春がどんな人だろうと構わない。俺は信じている」
淡々とした言葉で、けれどその瞳は力強かった。
「私も同じです。尚也さんを信じ、支えたいんです」
その言葉に、尚也さんはふっと微笑んだ。
「頼もしいな。今日は送っていこう」
「はい」
そんな会話があってから、私たちは会社を後にしたのだった。




