第67話 風の中の微笑み、確かめ合う絆
翌朝、宿の窓から差し込む光で目を覚ました。
鳥の声が聞こえる。
遠くには、昨日見た山の稜線が薄く霞んでいた。
窓を開けると、春の風がふわりと頬を撫でていく。
その風の匂いは、懐かしい土と海の香り。
胸の奥がじんわりと温かくなった。
(……お父さん、お母さん。聞いてたかな)
昨日、あの墓前で伝えた言葉。
あのとき感じた風の感触は、今も手のひらに残っている。
まるで、二人が「大丈夫だよ」と言ってくれたみたいに。
◆◆◆
朝食の後、私と尚也さんは宿を出た。
チェックアウトの時、宿の人が優しく声をかけてくれた。
「お二人、すごくお似合いですね。またお越しください」
思わず照れて顔を見合わせる。
尚也さんはいつもの落ち着いた表情だけれど、その頬の辺りがほんのり赤い。
「……ええ、また来たいですね」
「……ああ、今度はもう少しゆっくりな」
そんな何気ないやり取りが、すごく心地よかった。
車に乗り込み、帰り道を走る。
窓の外を流れていく景色――
菜の花が風に揺れて、キラキラと光っていた。
「ねえ、尚也さん」
「ん?」
「昨日、あの墓前で言ったこと……聞いてるだけで胸が温かくなって、涙が止まらなくて……」
「……ああ」
「でもね、泣いた後、すごく不思議だったんです。心の奥にずっとあった“痛み”が、風みたいに消えていった……。ああ、私、やっと両親に“ありがとう”って言えたんだなって」
窓の外を見ながら、少し笑った。
尚也さんは何も言わず、静かにハンドルを握っていた。
けれど、視線の先はとても穏やかだった。
「……君は、ようやく“自分を赦せた”んだな」
「……え?」
「人を許すより、自分を許す方が難しい。でも、それができたなら、もう怖いものはない」
その言葉に胸が熱くなり、目頭がじんとする。
「……ほんとに、そうかもしれません」
少しだけ黙って、私は笑った。
涙ではなく、心からの笑顔で。
◆◆◆
途中、小さな道の駅に寄った。
地元の名物のアップルパイを二人で食べる。
「結構いけるな、これ」
「おいしいですね」
「ああ。……少しつけてるぞ、ほら」
「えっ? どこですか!?」
「ここだ」
そう言って、尚也さんが指で口元を拭ってくれる。
そして破片をぱくりと口に入れる。
その仕草があまりにも自然で、心臓が跳ねた。
ほんの少しの沈黙。
お互い照れくさくて、同時に顔を背けた。
それでも、不思議と心地いい。
風が吹き抜けて、柔らかく笑い合った。
◆◆◆
車が町を抜ける頃、私は小さく呟いた。
「……尚也さん」
「ん?」
「私ね、昨日からずっと思ってたんです。“愛される”って、こういうことなんだなって」
「……?」
「ただ優しくされるんじゃなくて、傍にいてくれるだけで、心が穏やかになること。何も言わなくても、安心できる人がいること」
彼は少しだけハンドルを握る手を緩める。
そして私の方をちらっと見て、穏やかに笑った。
「……それなら、俺も同じだ」
「え?」
「未春といると、不思議と心が静かになる。今まで出会った人の中で、こんな気持ちになったのは君だけだ」
その言葉に、胸が温かく満たされた。
私はそっと、彼の左手に自分の右手を重ねた。
指先が触れた瞬間、彼の温もりをひしひしと感じた。
あの時、墓前で誓った手の温もりが、もう一度蘇った。
(ああ、幸せって……こういうことなんだ)
私は心の中でそう呟きながら、流れる風景を見つめ続けた。
その頬には、いつの間にか微笑みが浮かんでいた……。




