第65話 彼女の気持ちに報いるために
【Side 桐生尚也】
病室の窓から、朝の光が差し込んでいた。
白いカーテンがゆっくりと揺れている。
その向こうで、未春は穏やかに眠っていた。
昨日、彼女が倒れた瞬間――心臓が止まるかと思った。
あの笑顔が消えることだけは、絶対に耐えられなかった。
今は静かに寝息を立てている。
少しやつれ気味の頬。
だが、その寝顔はどこまでも美しかった。
仕事のために無理をして、限界まで走ってきた証が、そのまま彼女の中に刻まれていた。
(……もう、無理はさせない)
小さく息を吐いて、彼女の髪を指で撫でた。
その柔らかさに、胸が熱くなる。
どんな言葉よりも、この温もりが“生きている”証拠だった。
◆◆◆
十時過ぎ、巡回してきた医師の診察を受けた。
「過労による一時的な意識喪失です。少し休養が必要ですね」
その言葉に、ほっと胸をなで下ろした。
病室を出ると、秘書の中谷君が廊下で待っていた。
「桐生副社長……有動さん、落ち着かれましたか?」
「ああ。君たちがすぐに対応してくれたおかげだ。ありがとう」
中谷君はほっとしたように微笑んだ。
「よかった……でも、師匠、無理しすぎなんですよ。仕事も人も、全部抱えちゃうんです」
「……そうだな。彼女のそういうところを、俺はずっと支えきれていなかった」
自嘲のように言葉が漏れた。
中谷君は小さく首を振り、優しい声で言った。
「でも、桐生さんが師匠を支えたいって思ってること、ちゃんと伝わってます。だから自身をあんまり責めないでください」
その言葉が胸に残った。
「ありがとう。その言葉で救われる」
彼女の“支える力”が周りにも届いていると感じた。
「会ってやってくれ。きっと喜ぶ」
「わかりました。では会ってきます」
中谷君を中に入れ、俺は入れ替わりで外で待つことにした。
◆◆◆
それから一時間後。
少し疲れて寝ていた未春が目を覚ました。
ぼんやりとした表情で、俺を見つめる。
「……尚也さん?」
「起きたか。気分はどうだ?」
「……うん。まだちょっと、ぼーっとしてるけど……」
彼女は、視点がまだ合わない目をして呟いた。
顔色は少し赤みを帯び、やつれていた頬は回復している。
その様子に少し安堵する。
俺は椅子を近づけて、そっと手を取った。
「仕事のことは心配するな。今は休むことだけ考えろ」
「でも、私がいないと、皆に迷惑が――」
「そんなこと言うな」
少し強い声が出た。
彼女が目を瞬き、少し見開いた。
「君が倒れた時、俺は自分を責めた。支えるどころか、苦しみに気づけなかった。そんな自分を、もう二度と許したくない」
「そ、そんな……尚也さん」
俺は静かな声で続けた。
「だから――動けるようになったら、一度、君の故郷に行こう。心も体も、ちゃんと癒す時間を作ろう」
「……え?」
「前も話したが、未春の故郷に、俺も一緒に行きたい。君の両親にも挨拶したい。過去も、想いも、ちゃんと知りたいんだ」
彼女はしばらく言葉を失い、やがて涙が頬を伝った。
俺は黙って、彼女の手を握った。
彼女の指先が小さく震えている。
その震えが、まるで心の奥の声のように伝わってきた。
「……ありがとう、尚也さん」
わずかに掠れる声。
だがその一言に、彼女のすべての想いが詰まっていると感じた。
彼女は再び眠りについた。
俺はベッドの傍に座り、窓の外の空を見上げる。
(未春を守る。今度こそ、支え切る)
そう誓いながら、彼女の手をそっと握った。
指先の温もりが確かにそこにあった。
もう大丈夫だ。
そう信じた俺は、席を立ち、病室を出た。
――俺をここまで支えてくれた未春を、改めてもっと知りたいと思った。




