表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約者に捨てられ、親友に裏切られた私ですが――どん底からのストーリー  作者: ワスレナ
第五章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

79/90

第63話 夢の続き、影を落とす記憶

 その日の深夜だった。


 どこか懐かしい香りがする。


 柔らかな春の風。


 陽だまりの下で、母が笑っている。


 その隣には、優しく手を振る父の姿。


(あ……お父さん、お母さん……)


 声を出そうとしても、喉が震えるだけで音にならない。


 二人の姿がゆらゆらと光に溶けていく。


 その向こうに、――伽耶(かや)と浩康の背中が見えた。


 二人は一瞬こちらを振り返り、そのまま歩み去っていく。


「……行かないで」


 手を伸ばした瞬間、光が弾けた。


 目を開けると、天井が見えた。


――夢だった。


 冷たい汗が首筋を伝っていた。


 朝の光がカーテンの隙間から差し込み、時計の針は六時を指している。


 けれど、胸の奥がざわついて止まらなかった。



◆◆◆



 その日も、オフィスの空気は慌ただしかった。


 資料の山、電話の音、上司たちの声。


 いつもならその喧騒にすぐ慣れるのに、今日は息苦しかった。


「師匠、大丈夫ですか?」


 莉子ちゃんが私のことを察してくれたみたいだ。


「えっ、あ……ごめんなさい。少し疲れてるみたい」


「少し休んでくださいね」


 莉子ちゃんが心配そうに見つめる。


「いつもありがとうね、莉子ちゃん」


 私は笑顔を作りながら、パソコンの画面に視線を戻した。


 けれど、一瞬指が止まってしまう。


 私は普段なら忘れて気にも留めないことを、思い出していた。


(……伽耶(かや)。あなたは今、どこにいるんだろう)


 あの時、彼女に何もできなかった。


 失って初めて気づいた――本当に、私の中で特別な人だったこと。


 そして、浩康。


 彼に裏切られた痛みはもう癒えたと思っていた。


 けれど、夢のせいか、また胸の奥で(うず)き始めていた。


(……何で今さら、辛い過去を思い出さなきゃいけないの?)


 彼にはもう未練は全くない。


 なぜ脳裏によぎったのか……。


 そうだ、何となく思い出す。


 あの頃、会えそうでなかなか会えなくて……。


 けれど、会えた時は優しくしてもらえた。


 彼がどうとかじゃなくって……それが今の状況と重なるんだ。


 それに気がついて、ストンと()に落ちた。


 その感情は桐生さんが(そば)にいない時、不意に再び忍び寄ってきたのだった。



◆◆◆



 その日の夜。


 帰りの電車の窓に映る自分の顔が、どこか他人のように見えた。


 化粧は少し落ち、目の下に薄い影。


 それでも、笑っている“ふり”をしている。


 ポケットの中のスマホが震える。


 出張中の桐生さんからのメッセージ。


《会議は終わった。もうすぐ帰れると思う。無理せず休め》


 ……優しい。


 それなのに、心が晴れない。


 彼の言葉を信じたいのに、どこかで“失う恐れ”を感じてしまう。



 電車の窓の外に、通り過ぎる街の灯りが流れていく。


 まるで過去の記憶が一つずつ遠ざかっていくみたいに。



 帰宅して、明かりをつける。


 部屋の中は静かだった。


 スーツを脱いで、ソファーに座る。


 ふと、昔のフォトフレームが目に入った。


 母と父と、まだ中学生だった私。


 あの頃の笑顔がそこにある。


 写真の前で小さく(つぶや)く。


「……ねえ、お母さん。私、ちゃんとできてるのかな」


 答えは、もちろん返ってこない。


 けれど、不思議と心が軽くなった。



 あの夢は、ただの記憶の再生じゃない。


 きっと、まだ“伝えたいこと”が残っている。


 そんな気がした。


(ちゃんと向き合わなきゃ。過去にも、自分にも)


 胸の奥で、静かに小さな決意が芽生えたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ