第62話 愛の揺れ、すれ違う日々
二週間後。
朝のオフィスは、冬の光が柔らかく差し込んでいた。
けれど、その温かさとは裏腹に、私の心はどこか冷えていた。
朝のオフィスで掃除していると、莉子ちゃんが出社してきた。
「おはようございます、師匠!」
「おはよう、莉子ちゃん」
「師匠、なんだか元気がなさそうですね」
「そ、そんなことないわよ」
笑顔で返したものの、心の奥にほんの少し小さな穴がある感じだ。
莉子ちゃんもそんな私に気付いたのだろう。
スマホの端には、未読のメッセージが一件。
画面には、昨夜遅く届いた桐生さんの短い言葉が表示されている。
《会議が長引きそうだ。夕飯は共にできない》
淡々と、断りの内容。
そこに“温度”が感じられなかった。
(……また、帰れないんだ)
仕事の忙しさは理解している。
彼の秘書だから、むしろ私がスケジュール管理しているし。
桐生さんが昇格してから、責任も範囲も大きくなった。
だから、仕方ないとわかっているのに――
胸の奥がきゅっと痛んだ。
――また、捨てられるんじゃないか。
心の奥底に、そんな小さな思いが芽生えようとしていた。
◆◆◆
夜の秘書課室。
デスクの上で書類をまとめながら、時計を見る。
すでに二十二時を回っていた。
(帰ろう、もう切り上げよう)
そう思って鞄を手にした時、スマホが震えた。
桐生さんからのメッセージだった。
《まだ会社か? 無理をするな》
短い文章。
けれど、それだけで涙が滲みそうになった。
《大丈夫です。もう少しで帰ります。ありがとう》
送信した後、スマホを見つめたまましばらく動けなかった。
たとえ短い言葉でも、繋がっていたい。
愛され、すがっていたい。
そんな自分の想いが、しばらく私の心を支配していた。
◆◆◆
翌日の昼休み。
休憩室で、莉子ちゃんがペットボトルを差し出してくれた。
「はい、師匠。温かいお茶です。少し顔色悪いですよ?」
「ありがとう。少し寝不足で……」
「まさか、また夜遅くまで仕事してたんですか? 桐生副社長に怒られますよ?」
その名前に、心が一瞬反応した。
「それが……最近、お互い忙しくて」
「うーん、すれ違いってやつですか?」
「そんな……たいそうなものじゃないよ。ただ、少しだけ……寂しいかも」
思わず口に出ていた。
莉子ちゃんは優しく頷きながら、目を輝かせて言った。
「でも、師匠の“待つ力”って、ほんとすごいと思います。どうか焦らないでください。ちゃんと届いてますから、師匠の気持ち」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなった。
「ありがとう、莉子ちゃん」
(そうだね……焦らない。信じよう)
そう思った矢先――スマホが震えた。
画面には《出張、急遽決定。数日空ける》の文字。
喉の奥が、ひゅっと鳴った。
「師匠、誰からです?」
「桐生さんから。出張が急に決まったって……」
「早速来ただけでもすごいです、師匠。通じ合ってますよきっと」
「そ、そうね……」
また――離れてしまう。
心の中に風が吹き抜けた。
「大丈夫ですよ、副社長は師匠のこと、愛してると思います」
「ありがとう、莉子ちゃん」
(そうよ、大丈夫。ちゃんと、信じていれば……)
莉子ちゃんの言葉を信じ、自分にそう言い聞かせる。
――けれど、心の奥には小さな影が、密やかに芽生えていた。




