第60話 再会の夜、重なり合う想い
会社からの承認が出てから一週間後。
私は飛行機でアメリカに飛んでいた。
ニューヨーク。
摩天楼の明かりが、目の前に広がっている。
見慣れない土地の、空港のエントランスに降り立つ。
タクシーを降り、キャリーケースを転がす。
高級ホテルのエントランスに立った瞬間、心臓がまた高鳴った。
「有動!」
向こう正面から声がした。
そこには、スーツ姿の桐生さんの姿。
「尚也さん……!」
言葉より先に、体が動いた。
彼の胸に飛び込むと、尚也さんの両腕が強く私を包み込んだ。
「よく来たな」
「はい……会いたかったです」
胸の奥から、こみ上げるものが溢れた。
少し離れて彼の顔を見上げる。
「ずっと頑張ってたな。開発の報告は全部見ていた」
「桐生さんも……現地の新聞にも大きく載ってました」
「君のサポートのおかげだ……ありがとう」
二人で見つめ合い、自然と笑みがこぼれる。
私たちを遮るものは、もはや何もなかった。
◆◆◆
その日の夜。
高層ホテルの窓から、無数の光が星空のように瞬いていた。
静かな音楽と、遠くで響く車の音。
「……不思議ですね。離れてたのに、こうしてまた隣にいるなんて」
「距離なんて、関係なかったんだよ」
桐生さんの言葉に、胸の奥がふわりと温かくなる。
そして――。
そっと唇が重なった。
長い時間を経て、やっとたどり着いた場所。
涙が、自然にこぼれた。
(ああ……やっと、ちゃんと“ここ”にいるんだ)
互いの呼吸がゆっくりと重なり、世界が音を失っていく。
何も言わなくても分かる。
この瞬間が、全ての答えだった。
◆◆◆
翌朝。
カーテンの隙間から、ニューヨークの朝陽が差し込む。
尚也さんの隣で目を覚ます。
時差で少し眠いが、このくらいなら大丈夫そうだ。
彼は疲れているのか、穏やかな顔で寝息を立てている。
私は静かに心の中で呟いた。
(私、この人と同じ未来を見ていくんだ……)
ベッドサイドの時計が静かに時を刻む。
新しい一日の始まり。
そして――ここまでの成果が結実する始まりでもある。
プロジェクト「JAPAN BEAUTY GLOBAL」――
その最終成果発表会は、ニューヨーク・本社ホールで行われる。
私たちは開始時刻一時間前に到着し、段取りを行う。
そして開始時刻になった。
各国のパートナー企業が集まり、世界中のメディアが注目する中――。
桐生さんが壇上に立つ。
淡々と報告を紡ぎ出していく。
「――以上で、全工程を完了といたします」
いつもの落ち着いた声。
すべてを終えた瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
彼の表情には、ほんの少しだけ安堵の笑みが浮かんでいた。
私はその姿を見つめながら、胸の奥が熱くなった。
(桐生さん……本当に、やり遂げたんだ)
各国の企業のトップが次々と興奮しながら、契約の握手を交わしに来た。
「JAPAN BEAUTY GLOBAL」発表会は成功裏に幕を閉じた。
現地スタッフたちが次々に駆け寄る。
「桐生副社長、本当におめでとうございます!」
「あなたのリーダーシップなしでは成功しなかった!」
会場の隅で見守っていた桐生社長が、ゆっくりと近づいてきた。
「桐生尚也専務――君の手腕を、改めて評価する。本日付けで、ルミナリエ化粧品株式会社、代表取締役・副社長への昇格を正式に決定した」
その言葉に、周囲が一瞬静まり返る。
その後、一斉に拍手が起こった。
「おめでとうございます、専務!」
「最高のチームリーダーです!」
その輪の中で、私は静かに微笑んだ。
(桐生さん……本当に、おめでとうございます)
彼の目が一瞬こちらに向く。
その瞳の奥に、“ありがとう”の気持ちが私に対して発せられていた。
◆◆◆
夕暮れが闇に消えていく。
プロジェクトの打ち上げが終わり、関係者が次々とホテルへ戻っていく。
私も帰ろうとしたその時――背後から声がした。
「有動」
振り返ると、夜風の中に立つ桐生さんがいた。
「少し、時間あるか」
「……はい」
案内されたのは、ニューヨーク湾を一望できる展望テラスだった。
遠くには自由の女神像、夜空には星が瞬いている。
桐生さんはしばらく何も言わず、夜景を見つめていた。
「……長かったな」
「はい。本当に、いろんなことがありました」
眼下のニューヨークの夜景の光がまばゆく映る。
「街並み……綺麗ですね」
私が呟くと、尚也さんは静かに頷いた。
「よく頑張ったな、有動。京都も、ニューヨークも、そして本社も。君がいなかったら、すべて成り立たなかった」
「いえ、そんな……私なんてまだまだです」
そう否定した直後、彼の手が私の手を包み込んだ。
その温かさに、心臓が跳ねる。
「もう、“まだまだ”なんて言葉、君には似合わない」
「えっ?」
「有動の頑張りは、会社全体が認めるところだ。堂々と胸を張っていいんだよ」
「桐生さん……」
思わず涙がこみ上げてくる。
私、ちゃんと役に立てたんだ……。
柔らかく笑う彼の声が、夜気に溶けていく。
しばらく沈黙が続いた。
けれど、ちっとも不安にならない。
二人だけの特別な時間。
すると、彼がポケットから小さな箱を取り出した。
――まさか。
心臓が、跳ねた。
「未春」
名前を呼ぶ声が、いつも以上に穏やかで優しい。
「俺は、君と出会ってから、いろんなことを学んだ。信じる強さも、許す勇気も、前を向く力も。全部、君が教えてくれた」
手のひらの小箱が、静かに開かれる。
中には、黄金色のリングに、一カラットのダイヤモンドが輝いていた。
私の心臓がさらにドクン、と跳ねる。
「今回の出張で痛いほど思い知った……。俺はもう、仕事でも、プライベートでも、君なしの人生なんて、考えられないんだ」
「尚也さん……」
「――これから先、どんな道を歩んでも、俺は君と一緒にいたい」
「……」
ダイヤが、指輪に反射してきらめく。
「未春。俺と、結婚してくれ」
その言葉を聞いた瞬間、涙がこぼれた。
「私なんかで、本当にいいんですか?」
尚也さんはまっすぐな瞳で私を見つめながら、ゆっくりと答えた。
「ああ。君じゃなければ、ダメなんだ」
しばらく、体が動かなかった。
頬を涙が伝う。
沈黙が流れる。
やがて、腕に力が入ると、右手で涙を拭った。
そして、尚也さんの目を見据え、答えた。
「……はい」
声にならないほどの震えの中で、やっと言葉が出た。
「私も……ずっと、あなたと歩いていきたいです」
頬を伝う涙を、尚也さんの指がそっと拭う。
「ありがとう」
彼が微笑み、指輪を私の左手の薬指にゆっくりとはめる。
指輪はぴったりとはまった。
金属の冷たさよりも、尚也さんの手のぬくもりが強くて――胸の奥まで熱くなる。
指輪はキラキラと、黄金色の輝きを反射して照らし出す。
私ももう一つの指輪を手に取る。
そして、尚也さんの指にそっと指輪をはめる。
尚也さんは手を重ねながら微笑んだ。
「これからも、一緒に生きていこう」
「はい……こんな私ですが」
「そのままの君が……いいんだ」
遠く、自由の女神が照らす光が、私たちをいつまでも包み込んでいた。
「ねぇ、尚也さん」
「ん?」
「この景色、絶対に忘れません」
「……俺もだ」
そう言って、彼がそっと私を抱きしめた。
その腕の中で、私は静かに瞼を閉じる。
風が髪を揺らし、心が深く安らいでいく。
あの日から続いてきた、たくさんの涙と迷い。
それらすべてが、今この瞬間に報われていくようだった。
あの日、私が夢見た景色。
あの時は裏切られたけれど、今日、尚也さんが叶えてくれたんだ。
(きっと、これが望んでいた“幸せ”なんだ)
私は彼の胸の中で、報われたと笑い泣いた。
「……これからも、よろしくお願いします。尚也さん」
尚也さんの顔を見上げる。
「後悔させないと誓うよ、未春」
彼の顔が近づき、私は再び瞼を閉じた。
唇が触れ合う。
もう、迷いも、恐れもなかった。
それは、永遠を誓うキスだった。
ホテルへの帰り道。
尚也さんと並んで歩く。
夜空を見上げながら、心の中で呟く。
(この手を離さない。何があっても)
頬を伝う涙が、光を反射してきらめく。
これで、終わりなんかじゃない。
すべては、ここから始まるんだ。
――未来に期待を膨らませる私。
人生の幕の区切りは、確かに迫っていた。
◆第四章 完◆




