第57話 遠距離のはじまり、すれ違う二人の関係
京都プロジェクトの成功は、社内の空気を一気に明るくした。
――“復活の桐生”。
業界誌の見出しを見た瞬間、胸がいっぱいになった。
やっとここまで来たんだ――そう思えた。
でも、その余韻を楽しむ間もなく、新しい知らせが届いたのは週明けの朝だった。
用事があり役員フロアを通りかかると、経営戦略室の佐伯さんが、息を弾ませながら駆け寄ってきた。
「有動さん、聞いた? 桐生専務が――」
「え?」
「アメリカ行きよ! 第二弾プロジェクト“グローバル展開”の統括責任者に決まったって!」
「あ……アメリカ……?」
心臓がドクンとと跳ねた。
うれしさと寂しさが同時に胸に押し寄せる。
私の持つ運の力でも、どうにもならなかったのか……。
けれど、こればかりは仕方がない。
こうなったことにも、きっと何か意味があるんだろう。
夕刻、専務室に入ると、桐生さんはせわしく資料を整理していた。
デスクの上には、航空券。
「桐生さん、アメリカへ行くって本当なんですか? 私、今知りました」
「ああ、そうだ。黙っていてすまない」
「……そうなんですね」
「次のプロジェクトはニューヨーク本部で進める。現地との調整が必要で、半年ほど滞在になる」
「半年ですって! ……どうして」
「すまん」
京都とは訳が違う。
飛行機で十数時間、時差まである。
「私は、同行できないのでしょうか?」
思わずそう尋ねると、桐生さんの瞳は寂しげに変化した。
「ああ。俺も社長に直訴したのだが、だめだったんだ……」
「え? 一体なぜ?」
私の問いに桐生さんはまっすぐに見据え答えた。
「君が優秀すぎたんだ。俺ではなく、君を会社は選んだんだ」
「ど、どういうことですか?」
「開発部で新商品の研究プロジェクトが進んでいるだろう?」
「ええ……まあ」
「そこに君がどうしても必要なんだそうだ。開発部の連中全員一致で、上層部に志願があったそうだ」
「そんな……」
「あのプロジェクトは会社に莫大な利益をもたらす。俺の一存では、どうにもならなかったんだ」
そう言って、珍しく桐生さんが肩を落とした。
「そうだったんですね。尽力してくださって、ありがとうございます」
「いや、力及ばず、本当に申し訳ない。俺も君を手放したくなかったんだ」
「桐生さん……」
しばらく、沈黙が流れた。
「寂しく……なるな」
そう言って、目を逸らし俯いた。
発表会ではあれだけ凛々しく振舞っていたのにもかかわらず。
彼の悔しさを、私はひしひしと感じた。
「向こうでも忙しいと思いますし、私はこちらで頑張らなきゃですね」
「……ああ。お互い忙しくなるが、頑張ろう」
「はい。これを乗り切れば、きっと素敵な未来が待っていますよ」
影が差していた桐生さんの瞳に光が戻る。
「君にはいつも驚かされる。そのポジティブさ、分けてほしいよ」
その言葉が、さざ波のごとく胸に沁みた。
けれど――本当は、「行かないで」と言いたかった。
「……有動」
「はい」
「俺は、向こうで必ず成果を出す。だが、何があっても――君と俺は共にいることを忘れるな」
まっすぐな言葉。
嘘のない瞳。
私の胸の奥が熱くなる。
「……信じてます。私もちゃんと頑張りますから」
そう言った瞬間、彼の腕が、私をそっと包み込んだ。
長い、長い抱擁。
何も言葉はいらなかった。
離れても、心は繋がっている……
――そう信じるために。
◇ ◇ ◇
翌朝、東京国際空港。
報道陣のライトがまぶしい中、桐生専務は新設子会社「KIRYU GLOBAL INC.」の統括として、アメリカ・ニューヨークへと旅立つ。
私は秘書として搭乗手続きを済ませた。
桐生さんが出発ロビーで佇んでいる。
「手続きは終えましたので、これを」
私は搭乗券とパスポートを手渡した。
「すまないな。じゃあ、行ってくる」
凛々しい表情の桐生さん。
「いってらっしゃい……。あとはSNSでお話ししましょう」
互いに少し見つめ合った。
そして桐生さんは手を振り、搭乗入り口改札に向かって歩き出した。
スーツ姿の背中が、人の波に飲まれていく。
その姿が見えなくなるまで、私は手を振り見送った。
◇ ◇ ◇
それから数日後。
上層部から受け取った通達書を見て、思わず声が出た。
「開発部と兼任! このことだったのね」
新商品ライン“LUMIERE NEO”の企画チーム――桐生社長直々の抜擢。
私は秘書課の仕事をこなしつつ、開発にも携わる。
二足の草鞋だって。
信じられない!
「これ……とんでもないことになってきたなぁ」
机に頬をつけて、苦笑する。
けれど、心の奥には、高揚感だけでない寂しさがあった。
“遠い地で頑張っている桐生さんに対して、恥ずかしくないように”。
◆◆◆
夜、帰宅してすぐ。
スマホが小さく震える。
《無事到着した。NYの夜景はすごいぞ》
たったそれだけのメッセージ。
けれど、思わず笑みがこぼれた。
《負けませんよ。日本も頑張ってますから!》
そう送ると、数秒後に返信が届く。
《ああ、君ならきっと大丈夫だ》
キャッ!
恥ずかしくて、思わずクッションにダイブする。
短い言葉なのに、胸がじんわりと温かくなる。
まるで、遠い空の下で、彼の手が背中に触れてくれるみたいだった。
私は机の前に戻り、ペンを握る。
「桐生さん……遠くから見ててくださいね」
手帳には、小さく書き込んである。
『遠くても、心は同じ場所にある』
見返して、胸がじんと熱くなるのを感じる。
私は白紙のページにペンを走らせる。
仕事のパートナーとしても、恋人としても、私たちの遠距離関係は、まだ始まったばかり。
これを乗り切った先には、きっと明るい未来があると信じて……。




