第55.5話 九条麗華は再び輝く
週のはじまり。
朝からオフィスは、どこかそわそわした空気に包まれていた。
「今日、九条麗華さんがまた来社されるんですって」
「えっ、あの九条麗華? いったい何をしに来るのかしら?」
久しぶりに耳にするその名前に、胸の奥が少しざわめいた。
ルミナリエと九条グループの交渉が決裂して以来、彼女はやって来ていない。
あれ以来、麗華さんとはSNSでたまに連絡を取っていたけれど、実際に会うとなれば、二か月ぶりになる。
あの日、“正々堂々と戦いましょう”と宣言して去っていった人。
(……どうして今、またここに?)
疑問が浮かぶ間もなく、エントランスがざわめいた。
ゆっくりと歩いてくるその姿は、以前と変わらない――
いや、むしろ前よりも強く、美しくなっていた。
「桐生専務。ご無沙汰しております」
静かに一礼する麗華さん。
その所作は洗練されていて、まるで舞台女優のよう。
「こちらこそ、久しいな」
桐生さんが微笑む。
久しぶりに並ぶ二人の姿に、オフィスの空気が一瞬で変わった気がした。
◆◆◆
会議室に通された麗華さんは、今回の目的をしっかりと告げた。
「九条グループとして、桐生グループとの新たな事業連携を提案したいのです。テーマは“日本の美を世界へ”。化粧品、文化、芸術を融合させたプロジェクトです」
その声には、確かな自信と情熱があった。
以前よりずっと“大人の女性”になっている。
私はメモを取りながら、その横顔を見つめた。
(……麗華さん、やっぱりすごい)
会議は建設的に進み、最後に桐生さんが締めくくる。
「非常に興味深い提案だ。前向きに検討しよう」
会議が終わると、麗華さんが私の方へ歩み寄ってきた。
「……久しぶりね、有動さん」
「はい。お久しぶりです、麗華さん」
自然と頭を下げる。
でも、あの時のような“圧”はもう感じなかった。
代わりに、穏やかな眼差しがあった。
「あなた、本当に変わったわね」
「え……?」
「前会ったより、ずっと綺麗になったわ」
不意の言葉に、胸の奥がカッとが熱くなる。
「そ、そんなことありません!」
「ふふ、照れるところは前と同じね」
そう言って微笑む麗華さんの目元には、どこか懐かしさと、少しの寂しさが混ざっていた。
◆◆◆
その日の夕方。
資料を整理していると、桐生さんが声をかけてきた。
「有動。九条の提案、どう思う?」
「完璧で……正直すごいと思います。麗華さん、覚悟が違いました」
「そうだな」
桐生さんが小さく息をついた。
「麗華も、九条家内で色々あったらしい。だが、あの目はまだ死んでいない」
「え?」
「彼女は再起を賭けている。……昔の彼女を知っている者として、応援したいと思った」
その横顔を見て、私はふと気づく。
彼が“彼女”と言う時、そこに恋の名残ではなく――尊敬と信頼が宿っていた。
(……そうか。もう、そういう関係なんだ)
胸の奥で、静かに何かがほどけた気がした。
◆◆◆
帰り際。
社屋ビルの外に出ると、麗華さんが電話をしていた。
夕暮れの優しい風が彼女の髪を揺らす。
「……ええ、順調よ。桐生専務も前向きだったわ」
そして、通話を終えると、まるでこちらを察していたように振り向いた。
「聞いてた?」
「い、いえっ! あの、ちょっと通りかかっただけで!」
「ふふ、いいのよ。有動さん」
「はい」
「直接言いたくて、あなたを待っていたの」
麗華さんは軽く笑って、私にまっすぐな瞳を投げかける。
「尚也のこと、よろしくね」
「え……」
「昔は私が彼を支えるつもりだったけど、今はあなたがその役目ね」
そう言って、優しく微笑んだ。
「まあ、大丈夫とは思っているわ。私もあなたを認めているから」
その笑顔は、もう“恋のライバル”ではなく、“信頼する友人”のそれだった。
「ええ、しっかり承りました」
夕暮れの風が、心地よく頬を撫でる。
やがて黒い車が止まり、彼女はその中に吸い込まれていった。
遠くのビル群の明かりの中に、彼女を載せた車が遠ざかっていった。
(麗華さん……色々とありがとう)
そう思うと、胸の奥がほんの少し温かくなった。
彼女の気持ちに報いるためにも、キュッと身が引き締まる思いになったのだった。




