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婚約者に捨てられ、親友に裏切られた私ですが――どん底からのストーリー  作者: ワスレナ
第四章

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第55話 桐生グループの揺らぎ、新たなプロジェクト

 桐生グループは、ここ数ヶ月で大きな転機を迎えていた。


 化粧品ブランド「RUMINE」は順調に売上を伸ばし、業界紙でも“再生の象徴”と称えられるまでに回復していた。


 だが、その一方で――


 取引先との関係に、小さなほころびが生まれていた。



 朝の役員会議。


 いつになく重苦しい空気が流れていた。


「九条グループが、また別の外資系ブランドと接触を始めたとの情報があります」


 経営戦略室の部長が報告する。



 その名を聞いた瞬間、会議室がざわめいた。


 九条家――麗華さんの父が率いる巨大財閥。


 先日、交渉が決裂したばかりだ。


「真偽は?」


 桐生専務が淡々と問いただす。


「まだ確証はありませんが……少なくとも、契約の一部を外資へ再配分する動きが見られます」


 彼の瞳が静かに光る。


「何、焦ることはない。一度提携解除した相手だ。気にせず、他の提携先に目を向けるんだ」


 まるで氷のような言葉が、会議室を支配した。


「それで本当にいいんですか?」


「ああ。今懇意(こんい)にしてくれている相手を逃すな」


「承知いたしました!」


 会議は終了し、役員たちが部屋を出て行った。


「桐生さん、本当に大丈夫なんでしょうか?」


 私は思わず尋ねていた。


 桐生さんは小さくため息を吐き、言った。


「大丈夫だ。あの麗華さんのことだ。信じて待つのみだ」


 彼の瞳は深く澄んでいる。


 その言葉に、不安や偽りは無かった。



◆◆◆



 昼食を済ませ、午後の勤務時間。


 秘書課のデスクで、私は三日後にある複雑な案件の資料をまとめていた。


「有動さん、専務、今日かなりピリピリしてるね……」


「うん……多分、いいニュースじゃなかったんだと思う」


 先輩たちと小声で話す中、私の胸の中には、小さな不安が渦巻いていた。


(九条家……麗華さんのところ。何が起きてるんだろう)


 それでも私は、手を止めなかった。


 今は心配する時じゃない。


 桐生さんの隣に立ち、支えることが自分の役割だと知っているから。


「有動さん、頼まれてたデータ届いたから、送っておいたよ」


「ありがとうございます。助かりました」


 先輩に軽く会釈し、ジュースの差し入れをする。


「サンキュ。困ったことがあったらまた言ってね」


「こちらこそ。頼りにしてますよ」


 ファイルチェックと圧縮ファイルのウイルスチェックを終えて、得意先へ送信完了した。


 これで案件の山場は越えることができた。


 あとは桐生さんのさじ加減にかかっている。


(私ができるのはここまで。あとは頼みましたよ)


 桐生さんに完了報告を済ませ、次の業務に取りかかった。



◆◆◆



 夜の専務室。


 資料を届けに入ると、桐生さんは机に両肘をつき、静かにペンを転がしていた。


「もう遅い時間ですよ。少し休んだ方が」


「……いや、まだやることがある」


「でも、顔色悪いです」


 私は静かに近づき、デスクの隅にコーヒーを置いた。


 その香りに、桐生さんの眉が少しだけ緩む。


「……ありがとう」


 短い挨拶。


 でも、その一言に込められた信頼が、確かに伝わる。


「九条との関係は、まだ断たれてはいない。だが、現状では危うい」


 桐生さんの表情が険しい。


「もし彼らが俺たちから完全に離れれば……業界内での影響は避けられない」


「……ですが、桐生さんと麗華さんなら、きっと乗り越えられます」


 私の言葉に、桐生さんはうっすら微笑んだ。


「根拠は?」


「だって、私が信じてるので」


 一瞬の沈黙。


 桐生さんの驚く目。


 (こら)えきれず、彼はぷっと笑い出した。


「そ、そんなに笑わないで下さいよぉ」


「すまん……だが、心強いな」


「そう思うなら、休んでくださいますか?」


「ああ、君には負けたよ」


「じゃあ、コーヒーをお淹れしますね」


 立ち上がり、準備する。


「ああ、助かる」


 九条家のことは、麗華さんに任せればいい。


 私たちが思い悩んでもどうにもならないから。


 コーヒーを出し、一息ついてもらう。


 

◇ ◇ ◇



 翌日の桐生グループ本社。


 重厚な会議室の扉が閉じられた瞬間、中の空気は張り詰めていた。


「――九条グループ、取引停止を検討中とのことです」


 経営戦略室の報告に、ざわめきが広がる。


「九条が離れれば、広告塔としての影響は甚大です」


「ブランド価値が下がれば、国内シェアも危うい」


 役員たちの声が次々と飛び交う。


 その中で、ただ一人、桐生専務だけが静かに沈黙していた。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「――動揺する必要はない」


 その低く落ち着いた声に、会議室のざわめきが止まる。


「九条家の動きは想定の範囲内だ。我々が恐れるのは“相手の判断”ではなく、“自分たちの覚悟”が揺らぐことだ」


 その言葉は、淡々と、しかし鋭く響いた。


「九条が他社や外資と手を組むなら、我々は“日本発の力”を示せばいい。そのために――新しい合同プロジェクトを立ち上げる」


 少しの沈黙の後、再びざわめきが起こる。


「合同プロジェクト、ですか……?」


「「RUMINE」を核に、国内企業を巻き込み、“日本の美”を再定義する。製品だけでなく、文化・芸術・社会性をも含めた総合ブランドにする」


 その瞳は真っ直ぐに未来を見据えていた。


「それができるのは――我々しかいない」



◆◆◆



 嵐のような会議が終わった。


 役員が去った会議室には、静けさが戻っていた。


 私は資料を片づけながら、少し息をついた。


 誰もが、桐生さんの言葉に心を動かされた。


 けれど、誰よりもその気持ちを強く感じていたのは、私だった。


(桐生さん……やっぱり、すごい人だ)


 周囲が迷っても、恐れても、彼だけは前を向く。


 その背中に、人を動かす“信頼の力”が宿っていると感じられた。


 

◇ ◇ ◇



 専務室での休憩時間。


「失礼いたします。只今戻りました」


 ドアを開けると、桐生さんが資料に目を通していた。


「お帰り。疲れてないか?」


「はい。お陰様で少し休めました」


「そうか。それならよかった」


 優しい目を向けてくださっている。


 そうだ、言わないと。


「き、桐生さん。新プロジェクト案、素晴らしいと思います」


「そう思うか?」


「はい。きっと、桐生グループが本当の意味で“変わる”きっかけになるはずです」


 私の言葉に、桐生さんは静かに(うなず)いた。


「変わる、か……。俺自身も、まだ変わらなければならない部分が多い」


「そんなこと……」


 そう言ってから、ハッとなって私は口をつぐんだ。


「構わんよ。率直な意見を言ってくれれば」


「すみません――でも、桐生さんがそう思っている限り、きっと会社も良くなります」


 そう言葉にして、何だか曖昧(あいまい)なことを言ったなと反省してしまう。


 けれど、桐生さんはわずかに表情を和らげた。


「ありがとう。救われた気分だ」


 それは、上司から秘書への言葉ではなく――


 一人の“男”から“信頼する女性”への、真摯(しんし)な感謝だった。



◆◆◆



 私は帰宅し、今日の出来事を思い返していた。


(“合同プロジェクト”……か)


 桐生さんがあんな風に言葉を紡ぐのを見たのは初めてだった。


 力強くて、温かくて、そして――少しだけ寂しそうでもあった。


――桐生さんは、ずっと前を見ている。


 私は、その隣で何ができるだろう。


 手帳を開いて、メモのページを開く。


 そして、静かにペンを走らせる。


『信頼は、覚悟の形。桐生さんを支える力になりたい』


 書き終えて手帳を閉じた時、外の風が優しくカーテンを揺らした。


――その風が、まるで未来へ続く“追い風”のように感じられた。


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