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婚約者に捨てられ、親友に裏切られた私ですが――どん底からのストーリー  作者: ワスレナ
第四章

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第41話 時は流れて、“桐生さん”と“尚也さん”との距離感

 桐生グループが化粧品トラブルによる信頼を取り戻してから、約一か月が過ぎた。


 各部署が落ち着きを取り戻し、業績も回復の兆しを見せていた。


 あの騒動の中心にいたルミナリエ化粧品は、むしろ“誠実な対応”で評価を上げた。


 そして、桐生常務――いや、桐生尚也の名前は、業界誌でもよく見かけるようになった。



 その隣で秘書として働く私は、いつもと同じように出社して、いつもと同じように朝礼の資料を確認していた。


(“いつも通り”のはずなんだけど)


 視線の先には――会議室の奥に座る桐生さん。


 白いシャツの袖を少し折り曲げ、ペンを回すその仕草。


 誰よりも冷静で、頼りがいがあって……。


 けれど、“恋人”になってからは、その一つ一つの動作が、胸の奥をざわつかせる。


「有動」


 名前を呼ばれ、反射的に立ち上がる。


「は、はいっ!?」


 上ずった変な声が出た。


「次の資料、三枚目だ」


「あっ、す、すみませんっ」


 周囲の視線が瞬時に集まり、背中が熱くなる。


 クスクスと笑う声も少し聞こえた。


 彼は表情ひとつ変えず、ただ小さく頷いた。


(だ、だめだ……私、完全に動揺してる……!)


 ついこの前までは、何を言われても動じなかったのに。


 きっと今の私、顔真っ赤だ。


 もう普通に業務する自信がないよぉー。


――上司としての桐生さんと、恋人としての尚也さん。


 その境界が私の中で曖昧になるたびに、気が気でなくなる。



◆◆◆



 お昼休みの食堂。


 秘書課の同僚たちが談笑しながら食事を取っている。


 莉子ちゃんと一緒のテーブルにいる私にも、その内容が漏れ聞こえてくる。


『ねぇねぇ、桐生常務って、最近ますますカッコよくなったよね』


『ねー、なんか雰囲気柔らかくなった気がしない?』


『やっぱ恋人でもできたんじゃないの〜?』


――その瞬間、フォークを落としかけた。


 やめてーそういう話題……!


 そんなことを考えている時。


「師匠、顔赤いですよ?」


 莉子ちゃんからの鋭い指摘。


「な、何でもありませんっ!」


 気が気ではなく、取り(つくろ)って水を飲む。


 莉子ちゃんはぽかんとしながらも、私の取り乱す様子を興味津々(しんしん)の様子。


「マジですか、師匠?」


「うんうん。まじまじ」


 取り(つくろ)う気持ちをあざ笑うかのように、胸の奥がじんじんと熱くなっていた。



◆◆◆



 夕方。


 会議が終わり、桐生さんと資料の整理をしていた。


 日が落ちかけた窓際で、彼がぽつりとつぶやいた。


「……今日、少し疲れてたな」


「え?」


「会議の時、顔色がよくなかった。無理はするな」


「そ、そんな……ありがとうございます。平気です」


 彼は一瞬だけ優しい笑みを見せ、すぐに視線を資料へ戻した。


 その切り替えの速さに、胸がきゅっと締まる。


(ああ……仕事中は、“桐生常務”なんだ)


 分かってる。


 それが正しい距離。


 多分、サインを送っても気付いてくれないんだろうな……。


 “恋人”としての私は、その壁を感じるたびに、少しだけ寂しくなる。



◆◆◆



 帰りの電車で、スマホの画面に“桐生尚也”の名前が光った。


《今日は助かった。ありがとう。ちゃんと休め》


 たった一行の短いメッセージ。


 けれど、読むだけで胸がいっぱいになる。


《ありがとうございます》


 周りに人がいなかったら、たぶん私は顔を真っ赤にして笑っていたと思う。


(……ホント、ずるい人)


 仕事の顔も、恋人の顔も、どちらも本気でぶつけてくる。


 それに比べて、今の私といったら……。


 体はほてり、心臓は跳ねまくり。


 心の中はぐっちゃぐちゃにかき乱されてる。


 桐生さんだけあんな毅然(きぜん)としていて、ホントずるい。


 けれど、“桐生さん”と“尚也さん”との距離をちゃんと取りながら、これからは並んで歩きたい。


 今まではできてたんだ。


 きっとこれからもできるはず、うん。


(がんばれ、私)


 小刻みに揺れる車内でそんなことを考えつつ……私はスマホをぎゅっと握りしめた。


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