第5話 青のカプセルから、動き出す運命
退院の日から二日後。
綾乃さんからSNSが届いた。
『秘書の求人を紹介します』
添付されていたのは「ルミナリエ化粧品株式会社」の採用情報。
丸の内の高層ビルに本社を構える大手化粧品メーカー。
誰もが知るブランド名が並んでいる。
私は画面を見つめ、小さく息を吐いた。
「秘書ぉ? 私なんかに務まるわけ……」
そう思いながらも、指先は自然と応募フォームを埋めていた。
履歴書も添付して送信、と。
「そうよね。やってみなきゃわからないよね。……せっかくの紹介だし」
一時間後、返信があり、面接日は明日の午後一時に決まった。
◇ ◇ ◇
面接日の朝。
スーツに着替え、机に用意していた準備物をカバンに詰めようとしていた。
ふと小箱に入れておいた二つの小さなカプセルに目が行く。
そのうちの一つ、淡く青い光を帯びている。
「あれは確か、――“知識”のカプセル」
それは何となくの衝動。
考えたわけじゃなかった。
「……飲んでも、問題ないよね」
半信半疑のまま口に含むと、苦味もなく溶けていく。
その瞬間、頭が少し冴えたような感覚と、不思議な安心感が広がった。
未知なるものへの不安は、完全には消えない。
けれど、足を前に出す勇気だけは残った。
◆◆◆
面接開始の二十分前。
私は会社の門の前までやって来た。
中へと入場し、ロビーの大理石の床に靴音が響く。
場違いに思えて足先まで震えるが、受付の女性が柔らかく声をかけてくれた。
「面接の有動様ですね? 承っております。こちらへどうぞ」
偶然のように救いの手が差し伸べられる。
応接室に通され待っていると、ドアが開いた。
「本日面接を担当する、川本です」
運命を左右するかもしれない面接官が現れた。
緊張の面持ちのまま、立ち上がり深く頭を下げた。
「有動未春です。本日はよろしくお願いいたします!」
ちゃんと声が出た。
そのことにホッとする。
着席後、面接は淡々と進んでいった。
自己紹介や志望動機も、つっかえずに言えた。
面接官の川本さんから質問が来る。
「人を立てるのは得意ですか?」
「……はい。自分を出すのは苦手ですが、相手を支えることなら、できます」
口にした瞬間、自分でも驚くほど自然な答えだった。
川本さんは頷き、即答する。
「――採用です。来週からお願いします」
耳を疑い、息を呑む。
「え? 本当ですか!?」
「ええ。詳細についてはSNSで送りますので、目を通しておいてください」
「……はい。ありがとうございます!」
胸の奥に、ほのかな灯がともった気がした。
帰宅途中、私はSNSで綾乃さんに採用報告と謝意を送った。
すぐに返信が届く。
『おめでとう。しっかり学んで、頑張りなさい。あなたなら大丈夫よ』
励ましのエールを頂いた。
すごくうれしい。
『……でも無理はしないでね。あなたのペースでいいから』
こんなにトントン拍子に決まって、なんだか怖いくらい。
綾乃さんには感謝してもしきれない。
◇ ◇ ◇
そして入社日当日がやって来た。
私は黒のスーツに身を包み家を出る。
大きな本社ビルの扉をくぐり、秘書課へと案内される。
面接をしてくれた川本さんがやってくる。
なんと秘書課の課長だと紹介を受けた。
隣にはもう一人、私と共に待っていた新人の女性がいる。
朝礼が始まり、私ともう一人の女性がみんなに紹介される。
「今日から配属の有動未春さんと中谷莉子さんです。色々教えてあげてください」
川本課長と目が合う。
「有動さん、自己紹介をお願いね」
「……は、はい」
緊張する。
みんなの視線が集まる中、私は自己紹介を口にする。
「有動未春です。わからないことだらけですが、精いっぱい頑張ります。よろしくお願いします」
一礼すると、みんなが笑顔で拍手をしてくれた。
「次は中谷さん、自己紹介お願い」
川本課長の号令で、もう一人の新顔が一礼する。
「中谷莉子です。一所懸命頑張るので、よろしくお願いします!」
みんなから拍手が起こった。
すごく可愛い子だ。
「大原です。何か困ったらすぐ呼んでね」
最初に声をかけてくれたのは、一年先輩の大原奈津子さん。
親しみやすい雰囲気に、思わず緊張が少し緩んだ。
最初の仕事は来客対応だった。
コーヒーのトレーを運ぶ途中で手が震えたが、大原さんがさっと支えてくれた。
「大丈夫。最初はみんな緊張するのよ」
その声に救われ、なんとか応接室までたどり着く。
その後のレクチャーの内容は、頭の中にすんなり定着していった。
明らかに、今までの自分と全然違うのを感じる。
あのカプセルの効果なのかもしれない。
昼休み。
社員食堂で並んでいた時、隣に立ったのは中谷さんだった。
「よろしく、一緒に頑張ろうね」
可愛い笑顔。
同期がいるのは心強いこと、仲良くしていきたいと思う。
「こちらこそよろしくね。美容栄養ランチ、これ気になるよね」
偶然最後の一食を二人で分け合い、笑い合う。
その時間だけは、不安よりも心地よさが勝っていた。
慌ただしくも充実した午後の業務は、あっと言う間に過ぎ去った。
帰り際、廊下ですれ違った営業部の杉浦さんから軽く声がかかる。
「お、今日からの人? よろしくな」
何気ない一言だったが、その温かさが未春の心に残った。
◆◆◆
仕事帰りの夕暮れ。
街の雑踏を歩いていると、ふと視界の端に見覚えのある横顔が見えた気がした。
彼女は一緒にいる男性に対し、にこやかに笑っている。
私は立ち止まりかける。
しかし、すぐに首を振り、足を速めた。
「伽耶……今はもう関係ない」
人混みに紛れながら、そう自分に言い聞かせる。
無理に心の奥底にしまい込み、振り払うようにその場を立ち去った。
辺りが薄暗くなってきた頃。
気付けば、少しだけ背筋が伸びていた。
「まだ不安だらけ。でも……立っていられる」
ふと一日を振り返る。
小さな偶然の積み重ねと、青いカプセルの効き目。
私の胸中には確かに、かすかな光が灯っていた。




