第35.5話 さらなる転落地獄の二重奏
俺は実小路浩康。
九条幸代と結婚して二週間が経過した。
俺は「九条家の婿」という肩書きを武器に、もう一度立て直すつもりでいた。
だが――現実は甘くなかった。
◆◆◆
――大手取引先との会食での出来事。
必死に頭を下げ、どうにか関係をつなぎ直そうとした俺の横で、幸代が笑顔を浮かべる。
「ねぇ、この契約、もっと安くしてよ。九条家とつながれるんだから当然でしょ?」
相手の顔が一瞬で凍りつく。
俺は血の気が引き、慌てて口を挟んだ。
「申し訳ありません。そんな意味ではないんです」
「何よ。婿のくせに私の顔を潰すの?」
場は最悪の空気となり、交渉は決裂。
その後、会社に苦情が入り、俺の信用は地に落ちた。
◇ ◇ ◇
さらに追い打ちをかけるような出来事が起こる。
ある日、幸代が会社の社員食堂に現れた。
専用車で乗りつけ、わざわざ昼食を摂りに来たのだ。
「えっ、実小路さんの奥様が……?」
「本当に……?」
社員たちがざわつく。
幸代は窓口で出され、トレイに載せられた日替わり定食を前に、眉をひそめた。
「なにこれ? 貧乏くさ。九条家の娘にこんなもの食べさせる気?」
その言葉は食堂に響き渡った。
社員たちの表情が一気に冷え込む。
俺は慌てて幸代を外へ連れ出したが、午後には匿名の告発がSNSで拡散されてしまう。
《わがまま奥様》
《九条家の恥》
SNS上では、見事に炎上騒ぎになっていた。
◆◆◆
その夜。
帰宅した俺を待っていたのは、またも幸代の要求だった。
「あなた、SNSで私の悪口書かれてたわよ? すぐ削除させて」
「できるわけないだろ!」
「はぁ? 九条家の名前がかかってるのよ! 動きなさいよ!」
俺の怒鳴り声も、幸代にはまったく通じなかった。
彼女は当然のようにワインをあけ、宝飾品のカタログをめくっている。
その目は欲望に眩んでいた。
俺はベランダに出て、タバコに火をつける。
胸の奥で何かがポキリと折れる音がした。
(……未春と一緒だった頃は、違った)
あの子が笑ってくれるだけで、仕事もうまくいった。
社員もついてきた。
全部……全部うまく回っていたのに。
今は何もかもが逆さまになっている。
「俺が……俺が一体、何をしたって言うんだ……!」
――声にならない叫びが、夜空に吸い込まれていった。




