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婚約者に捨てられ、親友に裏切られた私ですが――どん底からのストーリー  作者: ワスレナ
第三章

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第35話 合わさる歩調、あと少し足りない……

 朝のオフィス。


 私はいつもより早く出社した。


 デスクに向かっていると、不意に背後から声が。


「有動、おはよう」


 桐生さんだった。


「おはようございます」


 昨日の夜、あんなやり取りがあった翌日。


 少し気後れしてしまう。


「……昨日の資料、助かった」


 ふとしたこと――淡々とした口調。


 けれど、その目は一瞬だけ柔らかさを帯びていた。


「い、いえ……! 私、まだまだで……」


 どぎまぎしている心のまま、返事した。


「あれがなければ交渉が遅れていた」


 短いけれど温かい言葉。


 それだけで心臓が跳ね上がる。


(……こんなことで、うれしくなるなんて)


 私は深く一礼し、コーヒーを()れる準備をした。



◆◆◆



 お昼休み。


 食堂で莉子ちゃんと並んでお弁当を広げる。


 彼女がニコニコしながら話を振ってきた。


「師匠、最近いい顔してますよ」


「えっ!? ど、どういう意味?」


「ふふ、何となくそう思っただけですよ」


 悪戯(いたずら)っぽい笑顔に、ますます頬が熱くなる。


「ベ、別にそんなことはないよ」


(……やっぱり、顔に出てるのかな)


「そういう師匠も、私は好きですよ」


「もう、からかわないでよ。莉子ちゃん」


 これじゃあ、どっちが師匠だかわかんない。



◆◆◆



 午後の商談。


 相手先が厳しい条件を突きつけてきて、場が凍りつく。


 桐生さんが相手に説得を始めた。


 だが、そう簡単にはいかない。


 しばらくの後、何かが下りてきて、思わず私は口を開いた。


「……御社の長期的な利益を考えるなら、こちらの案の方が確実だと思います」


 一瞬の沈黙。


「何を根拠に?」


「それは……」


 私は閃くままに交渉相手に説明を展開した。


 すると、段々と相手の表情が少し和らいでいった。


「なるほど……検討の余地はありそうだな」


 場の空気が動き出し、交渉に拍車がかかっていく。


「ご検討のほど、よろしくお願いいたします」


 桐生さんが頭を下げ、相手に臨む。


「わかりました。社に持ち帰り、前向きに検討しましょう」


 交渉相手は立ち上がり、私たちは一礼して見送った。


 そのあと、桐生さんがちらりと私を見る。


 言葉はなくても、その視線だけで胸が熱くなった。



◆◆◆



 会社への帰りの車内。


 窓の外の街並みが流れていく。


 沈黙が続いた後、桐生さんがふと口を開いた。


「……今日は、歩調を合わせてくれて助かった」


「え……」


 思わず振り返ると、ちょうど前方の信号が赤に変わる。


 車は速度を落とし、やがて停止する。


 桐生さんは前だけを向いたまま続けた。


「俺はつい急ぎすぎてしまう。だが、君がいると、余計な摩擦が減る」


 淡々とした声。


 けれど、胸に真っ直ぐ届いた。


「……ありがとうございます」


 小さな声で返すのが精一杯だった。


「助かっている。これからも頼む」


「は、はい」


 信号が青に変わる。


 桐生さんは再び車を走らせるのだった。



◆◆◆



 家に帰り、疲れてそのまま布団に潜り込む。


 天井を見上げながら、今日の一言が頭をよぎる。


『歩調を合わせてくれて助かった』


 歩調を……合わせてくれるって……


 ただ、桐生さんの役に立ちたかったの。


 その思いが桐生さんに届いた――そう思えた。


《私は……まだ恋人になるって答えは出せません》


 昨日はそう言って桐生さんに待ってもらった。


 今日の私はどうだっただろう……


 仕事では歩調を合わせられた。


 けれど、まだあと少し、踏み出す何かが足りていない。


 このまま桐生さんの懐に飛び込んでいい……。


 難しくないはずなのに、何かがつっかえてできない。


「うーん、もどかしいなー」


 そうしていると、睡魔が突然襲ってきた。


 化粧も落とさないまま、私は眠りに就いてしまうのだった。


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