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婚約者に捨てられ、親友に裏切られた私ですが――どん底からのストーリー  作者: ワスレナ
第一章

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第4話 黄色のカプセルと、始まりの“ご縁”

――カシャン。


 検査機器の音が止み、技師さんが軽く手を振った。


「お疲れさま。全身MRIも異常なし。これなら退院できますよ」


 ほっと胸をなで下ろす。


 事故だったのに、骨折も打撲もない。



 奇跡みたいだ。


 ベッドで目覚めたのは、あとで聞いたら病院に運ばれた翌日だった。



 彼から別れを切り出されてから、色々あって、少し時間が経ったからだろうか。


 ほんの少しだけ、傷んだ心が癒えてきたのを感じる。



 ベッドに戻ってから、今日一日の出来事を思い返す。



――自販機でお茶を買ったら、もう一本出てきた。


――昼食が偶然にも全部、私の好物だった。


――廊下で転びそうになった瞬間、職員さんが台車で通りかかり、支えてくれた。


「なんか、変にツイてる?」


 あの黄色のカプセルを飲んでしまった瞬間から、胸の奥がずっとじんわり熱い。


――これが“運”なのかもしれない。



 その時、スマホが震えた。


 画面には、昨日SNSを交換した老婦人のアカウント。


 “A.K.”というイニシャル。


《退院と伺いました。

もしよければ少しお会いできませんか? 

改めてお礼をしたいのです》


 胸の奥がじわりと温かくなる。


――偶然? それとも、これも“運”なの?



 ◇ ◇ ◇



 晴れて退院となった。


 病院を出ると、玄関前に黒塗りの車が停まっていた。


 運転手がドアを開け、和服の老婦人がゆっくりと降りてくる。


 彼女は軽く手を払い、車は走り去る。



 彼女は私に気づくと、手を振りこちらへゆっくり歩いてきた。


「未春さん」


 私は立ち止まり、思わず声を詰まらせる。


「あなたにどうしてもお礼を言いたくて。少しだけお時間いただけますか?」


 微笑む老婦人に導かれ、私は近くの喫茶店へと足を運んだ。



◆◆◆



 落ち着いたクラシック調の店内。


 木の香りが漂い、マスターが二人分の席を整えてくれる。


 まるで最初から私たちを待っていたかのように。



 席について間もなく、老婦人が小さく手を打った。


「そうでしたわ、まだきちんと自己紹介していませんでしたね。私は綾乃(あやの)と申します」


「私は有動未春です。今さらですけど」


 互いに微笑んで、それだけで少し距離が縮まった気がした。


 カップに口をつける前に、綾乃さんが静かに言った。


「大したことじゃない、と思っているでしょうけれど……。あなたは自分の命を投げ出して、私を(かば)ってくれたのですよ。それがどれほど尊いことか」


 胸が熱くなり、言葉が出ない。


「……でも、私……全部を失って。何の価値もないのに」


 本音がこぼれる。


 綾乃さんは紅茶を一口含み、穏やかに微笑んだ。


「価値がない人なんていませんよ。特に――命を救ったあなたに、ね」


 その眼差しは、アフロディーテ様に似ていた。


――『選ばないあなたの行く末を、私は楽しみに見ていますよ』


 胸の奥で、ふたつの声が重なった気がした。



 少し沈黙が落ちた後、綾乃さんは言葉を選ぶように切り出した。


「……未春さん。先日、お仕事を辞められたと仰っていましたね」


「え、あ……はい。実は婚約まで決まっていたんです。それで……。でも、後悔してないです。いや、してるかも……」


 私のしどろもどろに、綾乃さんはふふっと笑った。


「強制ではありませんが……もしよければ、私の知人が募集している職があります。若い方を求めているところでね。あなたのような方なら、きっと力になれるはずです」


「……私が、ですか?」


 驚きで声が裏返る。


 失ったばかりの自分に、そんなことを言われるなんて。


如何(いかが)かしら? もちろん、無理にとは申しません。あくまでご縁があれば、という話です。ご縁とは、掴むか掴まないか――結局は本人次第ですから」


――“ご縁”。


 その言葉に胸が震えた。


「もし、ご迷惑でなければ……そのお話、詳しく伺いたいです」


 気づけば、お願いしていた。


 綾乃さんは柔らかく(うなず)き、カップを置いた。


「ええ、また日を改めましょう。焦らずに。あなたに合う形でお話できるようにいたします」


 その声はとても柔らかで、ただ静かに背中を押していた。


――『選ばないあなたの行く末を、私は楽しみに見ていますよ』


 アフロディーテ様の言葉が再び胸に響く。


 私は初めて、自分の未来にほんの少しだけ“興味”を覚えた。



◆◆◆



「あの、今日は本当にありがとうございました!……その、ご馳走にもなってしまって」


「いいのよ。このくらいは私にさせて頂戴(ちょうだい)。満足していただけて、うれしいわ」


「はい!」


 二人で笑いあった。


「車を呼ぶから、家までお送りさせて」


「そ、そんな……」


「遠慮しないでいいから。ね?」


「……はい。よろしくお願いします」


 私の返事に綾乃さんはにっこり微笑んだ。


 車はすぐに喫茶店の前にやって来て、私たちを乗せてくれた。



 私は後部座席で綾乃さんの隣に座った。


 病院の時と同じ、とても淡いいい香りがした。



 私は運転手さんに行き先を聞かれ、マンションの住所を説明した。


 運転手さんはこくりと頷き、滑るように車を発進させた。



 綾乃さんはその後、私の隣でうとうとし始めた。


 きっと疲れが出たのかなと思い、起こさないように努めた。



 彼女の寝顔を見て、あの時、体が動いて本当によかったと、心から思った。



◆◆◆



 二十分後、車は私のマンションの前に到着した。 


 私は綾乃さんを静かに起こし、到着したことを報告した。


「ごめんなさいね。つい寝てしまったわ」


「いいえ、お疲れのところ、来てくれてありがとうございました。そして送って下ったことも」


 私のお礼の挨拶に、綾乃さんは笑顔で応えてくださった。


 車を降り、一礼する。


 運転手さんがトランクから荷物を出して、私に渡してくださった。


「お仕事の件、改めてSNSで詳細を送ります。待っていてね」


 車越しに綾乃さんが私に伝えてくる。


「はい。ありがとうございます」


 車のガラスが閉じ、綾乃さんが手を振る。


 私も応えて手を振ると、車は走り出していった。


「綾乃さんからの紹介、どんなお仕事なんだろうな……」


 そんなことを思いながら、私は家へと戻るのだった。


 胸の奥で、またじんわりと熱が広がった。



――運命は、まだ始まったばかりだ。

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