第26.5話 新人秘書、有動未春の話①
俺は桐生尚也。
ルミナリエ化粧品の常務取締役にして、桐生社長の次男坊。
だが、優秀な長男長女と比較され、俺の子供時代は悲惨なものだった。
大学卒業後、ルミナリエ化粧品に入社し、スパルタともいえる帝王教育を学んだ。
毎日必死に食らいついたが、兄たちには及ばなかった。
数年後、努力が実り出し、俺は営業部長にまで昇進した。
周りは俺をエリートだと褒めそやしてくれたが、それに甘んじることはできなかった。
――兄と姉の存在。
それが俺を卑屈にさせた。
それでも何とか今年、常務にまで昇進し、順調かに思えた。
だが、それまでとは段違いの重責がのしかかり、俺は本来の力を発揮できなかった。
全くうまくいかず、噛み合わなかった日々。
いつしか俺は酒に溺れ、やさぐれる生活が続くようになった。
周囲にいた者たちもそんな何かを察したのだろう。
俺の周りから離れ、気遣うようになっていた。
◇ ◇ ◇
そんな精神状態のある日、転機が訪れる。
俺は朝早くに出社し、重要な会議に臨むためエレベーターに乗っていた。
その時は、自分にとって少しマズいデータを発表しなければならず、気が立っていたのもある。
目的の階に止まり、ドアが開いて出て行った時だった。
突然目の前に、勢いよく走ってきた女性が現れ、接触しそうになった。
「……あっ!」
「おい! 危ないだろ!」
思わず怒りに任せた言葉を発してしまう。
誰かも確認せず、自分でもマズい対応をしたなと感じた。
そして目の前の状況を確認した。
見たことの無い女性が書類を小脇に抱えて立っていた。
瞬間、俺の脳裏に雷が落ちたような衝撃を感じ、体中に電流が走った。
――今までに経験したことのない感覚。
だが、俺はその前に感じた怒りの感情を目に宿していた。
そしてそのまま彼女に向けていた。
もう、遅い。
「す、すみません。急いでいたもので……」
たどたどしい雰囲気。
新入社員か、今年入ったばかりの者だとすぐに察した。
だが、彼女の申し訳なさそうな顔は今も覚えている。
それ以上に、なぜか安らぎを覚える顔。
全身から漏れ出る、幼くも励まされるようなオーラ。
瞬時にただの不出来な人間でないことを感じ取った。
だが、ここで舐められるわけにはいかない。
少し気が立っていたことも手伝い、俺は感情を乗せて彼女を叱りつけてしまった。
彼女の方も急いでいたのか、俺にしっかり反論してきた。
――こうして俺たちは、怒りをぶつけあう最悪の形で、初めての出会いを果たしたのだった。
◆◆◆
会議を何とか乗り切り、俺は執務室で今日の予定を確認していた。
十三時半から新人秘書が挨拶に来る。
実は、前に付いてくれていた優秀な秘書が先日、寿退社してしまった。
それで秘書課に募集をかけていたんだ。
しばらく秘書がいない状態で仕事を続けていたが、なかなかに大変だった。
「有動未春……というのか」
資料に記載されていた名前。
どうやらこの子が新しい秘書のようだ。
そのほかの予定をスマホでチェックしていると、時間の二分前に、彼女は現れた。
俺は少し焦ったが、平静を装うつもりで、そのままの体勢を続けた。
「どうぞ」
ノックの音に声をかけ、中に入れる。
「失礼いたします」
一言の挨拶のあと、ドアが開いて中に入ってくる。
「……あの、秘書として配属になりました、有動未春です。本日からよろしくお願いいたします」
この声、聞き覚えが……
朝のあの子か!!
俺の心は激しく動揺した。
深く頭を下げた彼女は、パリッとしたスーツ姿で背筋もピンと伸び、キラキラオーラを発していた。
頭を上げた彼女の姿は、今までのどの女性社員、いや、女性たちとも異なって映った。
思わず目を見開いてしまうが、仕事モードに表情を戻した。
「何! お前だったのか!」
それでも本音は隠せず、口を突いて出てしまっていた。
――最悪の第一声。
やってしまった……
これから毎日、業務の成功のため、共に仕事をしてくれるパートナーに対して、無礼な態度を取ってしまった……。
だが、最悪なのはここではなかった。
今までの仕事でのストレスが溜まっていたのだろうか……。
次の瞬間、俺は彼女に対して、悪態をついてしまった。
「川本課長が得意げに期待してくれと言っていたが……これは参ったな。クレーム入れなきゃいけないぜ」
俺も自分の言葉にハッとしてしまう。
何ということを言ってしまったのか!
自分の感情がコントロールできなくなっていた。
当然、彼女は目を丸くし、怒りの感情を露わにしてきた。
「な、なんですってぇー! 失礼ね。課長は悪くないでしょう!」
彼女の怒りはもっともだ。
俺は表情は変えず、彼女に謝罪した。
「まぁ、……そうだな。失礼は認める。川本さんには言わないようにしておく」
「わかればいいのよ」
だが、その言葉になぜか反応してしまった。
「しかし、何様のつもりだ。お前の立場は何なんだよ?」
またやってしまった!
彼女は立場をわきまえ、謝罪してきた。
だが俺が求めていたのはそんなことじゃない。
俺が謝るべきだった。
――もう、俺が俺でない感覚だった。
感情を見つめ直し、彼女につらく当たるのをやめるようと思った。
だが、しばらくして別のことが頭をよぎる。
『彼女に対して甘い顔を見せるな。舐められてしまうぞ』
『それに、新人教育はしっかり行わなければ使い物にならなくなる』
会社の利益のため、また、仕事のパートナーとして、当然のことだ。
俺は頭を冷やすことにした。
――これからはこの子に甘い顔を見せず、しっかり秘書の業務を覚えさせ、共に成長できるパートナーに育て上げよう――
俺はこの時、そう心の中で決めたのだった。
そしてその通りに彼女に接し、振るまった。
――有動未春。
俺はこの子に、心の奥底で、言い知れぬ何かを感じていた。
だがその時は、それが何なのかはわからなかった。
そしてまだ、俺はこの子が自分にとって、人生を変えるほどの存在だとはまったく気付かなかった。
――これが俺、桐生尚也の“有動未春”に対する初日の出会いの印象だった。




