第23話 常務に同行、ハラハラの秘書業務
翌朝。
私はいつもより早めに秘書課に来て、書類の整理をしていた。
「有動さん」
ドキッとして、思わず背筋が伸びる。
「は、はいぃ!」
上ずった返事に、しまったと思いつつ振り向く。
桐生さんが真っ直ぐ私を見て言ってこられた。
「今日は外回りに同行してもらう。準備をしてくれ」
「えっ、わ、私もですか!?」
「今日は重要な交渉がいくつかあってな。君がいてくれた方が助かると思っている」
落ち着いた口調に、胸の鼓動が高鳴る。
「……お、お役に立てるのでしたら。わかりました」
昨日の“麗華さんショッピング”の疲れが残っているけれど、そんなこと言っていられない。
車に乗り込む際、ふと桐生さんがこちらを見て言った。
「昨日……九条に付き合わされたと聞いたが、大丈夫だったか?」
「は、はい……いえ。正直、色々あって、ぐったりでした」
俯き加減でそう答えると、桐生さんがわずかに口元を和らげた。
「そうか……それは大変だったな」
たったそれだけの言葉なのに、不思議と心が軽くなった。
◆◆◆
最初の営業先。
専務の方を前に、桐生さんが交渉を進めていく。
「ここの部分の商品の卸ですが、この数字でどうでしょう?」
桐生さんが資料を指さし、反応をうかがう。
しかし相手の顔はどこか渋い。
「うーん、そうだなぁ」
(どうしよう……この雰囲気)
そう思った矢先、資料の金額に違和感を覚えた。
勇気を振り絞り、小声で桐生さんに伝える。
「あの……ここの金額、桁がひとつ……」
私のささやきに桐生さんが確認する。
人為的ミスだろうか……確かに数字が違っていた。
「あ……この部分ですが、記載ミスでした。大変申し訳ございません……」
桐生さんがその場で修正すると、相手の表情が一気に和らぐ。
「なるほど、これなら話を進められそうです。よく指摘してくれたね、君は優秀な部下を持ったようだね」
専務さんが笑顔で私を見て言われた。
じんわり血流が体を駆け巡り、少し照れくさくなった。
――交渉は円滑にまとまっていった。
専務さんも穏やかで柔らかい雰囲気になった。
交渉が終わり、専務さんが笑顔で桐生さんと握手を交わす。
「今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」
退室し、一礼して扉を閉めた直後。
桐生さんがぽつり。
「有動……お手柄だ」
短い一言。
けれど、私の中で何とも言えぬ感覚が芽ばえ、胸の奥がじんわり熱くなる。
「はい。お役に立ててよかったです」
少し照れながら、桐生さんに微笑み返した。
◆◆◆
次の営業先へ向かう途中。
突然、カーナビがフリーズしてしまった。
桐生さんは一旦路肩に寄せ、車を止めた。
険しい顔でカーナビの画面を見つめている。
「マズいな……どうするか」
私は咄嗟に口を開いた。
「この先の細い道を行った方がいい気がします。大通りは混んでそうで……」
「……根拠は?」
そんなの決まってるじゃない!
「直感、です!」
自分でも無茶な答えだと思う。
桐生さんは眉を寄せたが、やがて小さく息を吐いた。
「……信じてみるか」
結果、目的地には少し遅れて到着。
「すみませんでした。いい加減なことを言ってしまって……」
「気にするな。それより、急ごう」
負い目を感じつつ、得意先の担当者のもとへと急いだ。
「遅くなってしまい、申し訳ございません」
桐生さんが深く頭を下げ、事情を説明する。
けれど、交渉相手は少し笑みを浮かべながらこう答えた。
「大通り? ああ、事故で通行止めになっていたよ。そっちから来たら一時間は遅れただろうな。この程度で済んでラッキーだったね」
私たちは目を見合わせ、驚いた。
交渉相手とは終始和やかな雰囲気で事が進んだ。
そして去り際、桐生さんがぽつり。
「……君の勘、侮れんな」
耳まで赤くなりそうで、思わず顔を背けてしまった。
車に戻り、エンジンをかけると、カーナビは復活していた。
「機械なのに気まぐれだな。……まるで「女心と何とやら」だ」
珍しい桐生さんの発言に、思わずプッ、と噴き出してしまった。
◆◆◆
最後の営業先に着くと、そこでは工場の前で社員総出の大騒ぎだった。
代わる代わる、段ボールを次々とトラックに積み込んでいる。
「お越しのところ、申し訳ありません。納期が迫ってるんです! でも人手が足りなくて……!」
弁明する営業先社員の必死の声に、私は反射的に体が動いた。
「私も手伝います!」
「なっ、有動!」
桐生さんの声も耳に入らず、段ボールを抱えて列に加わる。
汗だくになりながら声を掛け合い、次第に作業はスムーズに。
私の軽やかな動きに、社員たちも驚きの目をしながら動いていた。
桐生さんまで手伝ってくださり、気がつけば予定より早く作業が完了したみたいだ。
「ルミナリエさんには本当に助けられました!」
担当者が感謝を述べる。
彼らの安堵する笑顔を見て、疲労よりも充実感が体中にこみ上げるのだった。
◆◆◆
帰りの車内。
心地よい疲れに抗えず、瞼が重くなる。
気づけば、助手席でうとうとと眠り込んでしまっていた。
運転席で、桐生さんがちらりとだけ視線を送る。
「さすがに疲れたか……本当に、不思議な子だ」
淡々とした声が車内に溶けた。
けれど私は睡魔に勝てず、その言葉がほとんど聞き取れなかった。
会社に戻ると、眠気眼の私に桐生さんが短く言った。
「今日はよくやってくれた。お疲れ様」
「はい。桐生さんもお疲れ様でした」
そのまま執務室に戻っていく背中を見送りながら、私は小さく拳を作った。
(よかった……もっと頑張りたい。秘書として、桐生さんのお役に立てるように)
胸の奥に、さらなる決意が芽ばえていた。
――こうして、ハラハラ心も体も揺れ動いた一日が終わったのだった。




