第22話 お、お嬢様とデートですってぇ?
土曜の午前十時。
スマホの通知音が鳴り、小鳥の羽ばたきのように震える。
SNS画面に麗華さんの名前が咲いた。
何事かと思い、覗き見る。
《未春、今日はオフよね? 付き合いなさい。待ち合わせは銀座三丁目、十一時。ワンピース推奨。以上》
以上――て、命令文?
思わずため息をつきつつ、既読だけ残してソファに沈む。
なにこれ……行く義理、ある?
ないよね?
――と、そこで脳裏に昨夜の桐生さんの一言が浮かぶ。
「行ってこい。場数は多いほどいい」
気分転換――と淡々と背中を押され、拒否権がどこかへ消えたのだった。
よし、覚悟を決めよう。
ワンピース推奨なら、やりすぎない淡いベージュで……。
◆◆◆
銀座の空気は、いつもよりキラキラ眩しく見えた。
時計を確認していると、通りの端がふっと色を変える。
艶のある黒髪、揺れるピアス、蜂蜜色のシルクワンピース。
周りに少し人だかりができてるのは、見間違いじゃなさそう。
――九条麗華さんに間違いない。
「遅くないわ。合格」
「な、何の採点ですか……」
「準備。女は八割、支度で決まるものよ」
こちらの震える笑顔を軽く受け流し、麗華さんは踵を返す。
向かう先は百貨店の宝飾フロア。
ガラスと光の海、店員さんの笑顔の角度まで完璧だ。
「ダイヤは昼より夜。今日は見取りだけで充分ね。――ところで有動さん、普段はどんなアクセを?」
「え、えっと……職場では小さめのパールとか、少し繊細なものを」
「なるほど。首が綺麗だから、縦に落ちるモチーフが似合うわ」
あれ、てっきり一方的自慢タイムかと思ったら、こちらの好みを次々に聞いてくる。
ピアス、香水、靴のヒール高、休日の色。
質問は矢継ぎ早なのに、圧迫感は不思議とない。
「甘いだけは退屈よ。未春には“凛”が似合うと思うの」
え、呼び捨て?
確かにSNSじゃそうだったけれど……
「り、凛……?」
香水のことかな?
「そう。――次、コスメ」
エスカレーターを降り、コスメフロア。
新作のリップを試しながら、仕事の話にも触れられる。
「開発部で意見したんですって? 尚也が珍しく褒めてたわよ」
「えっ、褒め……」
「“理屈で押し切った珍しい新人だ”って」
心臓が変な跳ね方をした。
――あの淡々常務が、そんなことを……。
「安心なさい。褒め言葉を伝えたのは内緒にしておく」
「な、なんでですか?」
「人は、秘密を一つ持っている方が、強くなれるから」
「は、はぁ……」
笑いながら言うけれど、瞳の奥は真剣でした……よね。
◆◆◆
昼はホテル併設のカフェ。
メニューに踊るフランス語に気圧されつつ、私はサラダとスープのセットを注文。
てっきり華麗なる自慢大会が始まると思いきや――
「未春、休日は何を食べてる?」
「簡単に作れるものです。野菜多めで……最近はお味噌汁が好きで」
「出汁は?」
「昆布と鰹……たまにいりこで」
「いいわね。誠実な香りがする」
(えっ? 味噌汁、褒められた)
そうこうしている間に、話題は音楽、映画、本。
麗華さんは私の答えを“値踏み”するのではなく、“拾って並べ直す”。
会話のリズムが心地よく、無口を装ってもつい喋ってしまう。
「未春は“静かな熱”を持っているわね。――それは大抵、男の心を燃やすのよ」
「えっ、あ、あの……」
「顔が赤い。可愛い」
さらっと人を赤面させるの、やめてほしい。
◆◆◆
店を出た瞬間、風を切る足音。
視界の端で、黒い影が麗華さんのバッグに手を伸ばす――!
「危ない!」
反射的に声が出た時には、もう遅い……はずだった。
けれど次の瞬間、麗華さんの身体がしなる。
手首を返し、重心を送り、刺客の足を払う。
ひったくりの男は、音もなく舗道に転がった。
「いった……な、何だよ!」
「本気を出せば、骨が三本は折れたわ。今日は見逃してあげる」
涼やかにバッグを取り返し、男の手を離す。
通行人のざわめき。
男は捕まるまいと、スゴスゴと走り去った。
「れ、麗華さん……今の、何者……」
「護身術。女には必須科目よ」
さらっと言わないで。
心臓に悪い。
怪我がなくてよかったけれど……。
でも――正直、格好よかった。
「未春は大丈夫だった? 怖かったわね」
「い、いえ。あの……ありがとうございました」
「守るだけじゃない。未春にも“守れる自分”を。後で稽古、つけてあげる」
「え……遠慮しておきます」
やっぱりこの人、只者じゃない。
◆◆◆
午後はウィンドウショッピング。
庶民的な雑貨屋にもふらりと入ってくれて、私は少し肩の力が抜けた。
私の手には、小さな紙袋がひとつ。
中身は、淡い空色の小さなスカーフ。
――会計の時、麗華さんが「これは私から」とプレゼントされた。
◆◆◆
「今日は長く付き合わせたわね。有動さん、ありがとう」
結局、三店舗を隈なく見て回ってしまった。
「い、いえ。なんだか、勉強になりました」
「ふふ。今日付き合ってくれたお礼に、ひとつだけ教えてあげる」
夕暮れの風が、歩道の木々を揺らす。
さっきまでの軽やかさが消えて、代わりに研ぎ澄まされた静けさが立つ。
麗華さんはまっすぐ私に目を向ける。
「私は、尚也の“昔”を知っている。癖も、沈黙の意味も、弱さも」
「……はい」
「未春は、尚也の“いま”を変えた。気付いていないなら、覚えておくといいわ」
「は?」
胸の奥で、何かが小さく鳴る。
どういうこと?
――不思議な感覚。
一瞬、胸がぞわっとしてちょっと怖くなる。
「それと――」
麗華さんは少し口角を上げ、扇子を閉じた音を合図に言う。
「正々堂々、あなたは恋のライバルになるかもしれないわ。覚悟はある?」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください。私そんな、今は恋とか――」
「冗談を。本気で人を支えるって、覚悟がいるの。未春にそれがあるか、確かめたかっただけ」
さらりと爆弾を落とさないでほしい。
「む、無理です!」
「……そう。失礼したわね」
麗華さんは髪をかき上げながら、さらりと流す。
「……」
キラキラと輝き、香水の香りさえまぶしい。
すると、一台の車がこちらへ向かってくる。
「今日はここまでね。続きはSNSで」
黒塗りの車が麗華さんの横に止まり、ドアが開く。
乗り込む前、麗華さんは不意に振り返る。
私に向けてたった一言。
「――未春の“凛”、私は嫌いじゃないわよ」
「はぁ?」
麗華さんを乗せた車は、風のように去っていった。
残された私は、歩道の植栽を見つめ、へなへなと心がしぼむ。
「今日はなんだか……疲れたな……」
けれども、不思議だ。
うんざりもしたし、振り回されたのに――胸の奥では、少しだけ誇らしい。
名家のお嬢さまと会話ができたから……かもしれない。
紙袋の空色が、夕焼けにやさしく溶けて見えた。
(桐生さんの“いま”を、変えた? 私が?)
――麗華さん、結局のところ、私に何を言いたかったんだろう……。
家路に就きながら、答えのない問いだけが、何度も胸の内で繰り返された。




