第19話 クレームからの、大事件?
今朝の営業部は、沈痛な雰囲気に包まれていた。
「またヤサカ商会の篠田様からクレームが……」
営業部長が桐生さんに状況を説明する。
「謝罪しても納得してくれません。今にも取引を切られそうで……」
その場にいた桐生さんが、低い声で言った。
「俺が行く。……有動も同行しろ」
「えっ、わ、私がですか!?」
「現場を知るのも秘書の仕事だ」
「はい。同行します」
緊張で喉が鳴る。
けれど、もう覚悟を決めるしかなかった……。
◆◆◆
ヤサカ商会の応接室。
豪奢なソファにふんぞり返った篠田様は、開口一番怒鳴った。
「やっと来たの!? 客を待たせるなんてどういうつもり!」
桐生さんと営業部長が必死に頭を下げる。
「大変申し訳ございません……!」
「誠意があるなら、土下座のひとつでもするのが筋でしょう!」
けれど、彼女はテーブルを叩き、さらに声を張り上げた。
「この化粧水で顔が真っ赤になったのよ! どう責任を取るつもり!?」
テーブルの上には当社製品の化粧品が並ぶ。
その中の一つ、基礎化粧品を指さす。
「申し訳ございません。真っ赤になるというのは……」
営業部長が篠田様に何かを聞き出そうとする。
「謝れば済むと思ってるの!? 誠意が足りないわ!」
けれど、篠田様が話をさえぎって怒りをぶちまける。
営業部長が必死に頭を下げるが、奥様はテーブルを叩いてさらに声を荒らげる。
場の空気はどんどん険悪になっていった。
そんな中、桐生さんは沈黙を守っている。
見るに耐えきれず、私は胸の鼓動を抑えながら、一歩前に出た。
「篠田様、お話しのところ失礼します」
「はん? あんた誰よ?」
派手な赤を基調としたドレス。
大小整ったパールのネックレスをつけ、右手中指にサファイアの指輪。
中肉中背だが、背筋は伸び、バッチリメイクの大きな目を見開き、私に対して睨みを利かせる。
「失礼。私は常務取締役の桐生尚也です。彼女は私の秘書、有動未春といいます」
桐生さんが横から助け船を出してくれた。
「ふん、それでどうしたのよ!」
「……失礼ですが、奥様がその商品をお選びになった経緯をお聞かせいただけますか?」
「経緯? そうね……最初はアドバイザーに高い方を勧められたのよ! でも私は“安い方で十分”だって言って安いのを買ったのよ。それなのに、こんなことになるなんて!」
私は小さく頷き、ゆっくりした口調で答えた。
「奥様がそうお考えになったのは自然なことです。ただ……アドバイザーは、なぜ高い方を勧めたのかを丁寧に説明すべきでした」
「どういうこと? 確かに何か言っていたけど、よく聞いてなかったわ」
「そうですか。アドバイザーは、お客様の肌を診て高いのを勧めたと考えられます。こちらには肌に優しい成分が入っています。そのためお値段が高くなっているのです」
「そうだったの……私が高いからこっちのにしてくれって言ったの」
篠田様のトーンが下がった返事に、私は釈明した。
「いえ、アドバイザーがきちんと説明し、正しいものを勧めるのが筋です。それがお客様のためになりますからね」
営業部長がさらに付け加える。
「我々がもっと徹底すべきところを指摘いただけました。お詫びと共に、感謝します」
「そんな……感謝だなんて」
「お肌に必要なのは価格ではなく成分です。奥様のお肌には、もっと優しい処方のものが適していたんです。説明不足は、私たちの責任です」
私の静かで丁寧な言葉に、奥様の表情が少しずつ和らいでいった。
場の淀んだ空気が収まりかけていた。
――けれど、私はその時、ふと彼女が赤くなったというところに引っかかった。
営業部長に確認を促すため、声をかける。
「あの……先ほど篠田様に何か言いかけませんでしたか?」
営業部長が口を開く。
「ああ。お客様が肌が赤くなったという点がどうもおかしいと思ったので……詳しく聞こうかと」
「やっぱり、そうですか」
その言葉に少し緩んだ篠田様の表情が再び険しくなる。
「何ですって! どういうことよ」
彼女が再び私たちを睨む。
私は篠田様に話を切り出した。
「ええ。確かに肌質の弱い方に赤みが出ることはあります。ですが、真っ赤になるとなれば話は別です。何らかの不具合があると彼は想定したのです」
「不具合って?」
「例えば……成分上のもの。人肌を害する危険なケースです」
「……」
「そう、まさに篠田様が今回指摘されたこと、そのものが考えられるのです」
「な、何ですって!」
私は改めて篠田様に向き合う。
「この度は誠に申し訳ございません。――どうかお時間を頂けないでしょうか」
私は営業部長と共に、深く頭を下げた。
「……なっ!」
篠田様がそこまで発言した時、桐生さんが割って入った。
「篠田様、今回の件、弊社で徹底的に洗い出します。どうかお任せいただけないでしょうか」
「そ、そんな……」
「医療費や診断書等を弊社に送付願いますまた、ご都合のつく時に今回の件での賠償等、法務部を通して手厚く行わせていただきます。なお、本件は原因が判明次第、必ず世間に公表し、謝罪の上回収を急ぐことをお約束いたします」
「そんな大事なことをここで決めてしまっていいの?」
「はい。本件はお客様へのトラブルとみて、重大な事案と受け止めました。貴方の主張通り、弊社として、お客様目線に立った行動を早急に取らせていただく所存です」
桐生さんはそう言い終えると、篠田様に対して深く頭を下げた。
営業部長と私も同様に頭を下げ、謝罪をした。
「……わかったわ。そういうことなら、しっかりやってちょうだい」
篠田様の言葉に私たちは頭を上げ、彼女に目線を合わせた。
怒りは消え、目に光が差している。
「ありがとうございます」
「私でできる事は協力させてもらうわ。今後の動向もしっかり見ているからね」
「かしこまりました」
一礼し、桐生さん達のあとに続いて、私は部屋を出た。
その直後だった。
「……あっ」
全身の力が抜け、意識が遠のく。
重心がふらつき、前のめりに倒れる。
桐生さんと営業部長が私の異変に気付く。
――目の前が真っ暗になり、そこで意識が途切れた。




