第18話 波打つ心、嵐の予感
翌日。
オフィスの空気はまだ、昨日の会議の余韻を引きずっていた。
「九条麗華様、本当にお綺麗だったわね」
「桐生専務と並ぶと……やっぱり特別感がある」
囁きが耳に入るたび、胸の奥がざわめく。
昨日のSNSの交換を知っているのは桐生さんだけ。
まだ信じられない思いでドキッとする。
みんなの噂話は気にしない、そう言い聞かせても心は静まらなかった。
◆◆◆
午後。
急な来客対応で桐生さんと共に応接室へ向かう。
取引先の役員さんが、再び契約条件について確認に来ていた。
桐生さんが対応するが、会話は平行線で進展せず、相手の顔が渋くなる。
その様子を見ていて黙っていることができず、思わず私は口を開いていた。
「……御社の市場拡大を考えるなら、条件を緩やかに調整する方が、結果的に利益に繋がると思います」
少しの沈黙の後、相手の表情が和らいだ。
「……なるほど。若いのに鋭い視点を持っておられる」
交渉は和やかに終わり、取引先の役員は帰っていった。
部屋が静寂を取り戻すと、私は頭を下げる。
「出過ぎたことをしてしまい、申し訳ありませんでした……」
頭を上げると、桐生さんは私の目を黙って直視している。
そして一言ぽつり。
「いや……助かった」
それだけの言葉だったが、心臓が跳ねる思いがした。
「お役に立てたなら……何よりです」
私はホッと胸をなでおろすのだった。
◆◆◆
会議室での商談のあと、再び麗華さんが打合せでやって来ていた。
彼女が、にっこりと微笑んで私に歩み寄ってきた。
「昨日は交換ありがとう。でもまだ見てくれてないようね」
「え?」
「送信したのに、返事がなかったわよ。いい気なものね」
「す、すみません。あとで返事します」
声は柔らかいのに、どこか見下すような調子だった。
「尚也とは小さい頃から一緒なの。彼のことなら誰よりもよく知っているわ」
「……そ、そうなんですか」
「ええ。あなたが知らない昔の癖も、好きな食べ物も……全部ね」
優雅な仕草で笑みを浮かべる。
完全に“優位”を示す態度だった。
「そ、それは素敵ですね。ホホホ……」
(うわ……めんどくさっ)
私は心の中で舌打ちしたい衝動を抑え、笑顔を保った。
「ですが……私は秘書として、桐生さんにお仕えしているだけですので」
精一杯、冷静に返す。
だが次の一言で、心臓が大きく跳ねた。
「……でも、彼のことを“ビジネスパートナー”以上に意識しているんじゃなくて?」
「っ……! そ、そんなことはありません!」
私は慌てて否定する。
「ふふ、冗談よ。かわいい子ね」
麗華さんは涼しい顔で私のことをたしなめる。
その背中を見送りながら、胸の奥に針を刺されたようなざわつきを覚えていた。
◆◆◆
いつもの専務室。
私は思い切って口を開いた。
「……桐生さん。九条さんとは、どういうご関係なんですか?」
私の質問に、彼は淡々と答える。
「家同士の付き合いだ。昔からの縁もある」
それだけかと思った次の瞬間、桐生さんは一拍置いて続けた。
「……あの人は、特別な存在だ」
「っ……!」
桐生さんの表情が緩み、あどけない笑顔が漏れる。
なぜだか胸が強く締め付けられた。
けれど、桐生さんはすぐに視線を外し、淡々と補足する。
「俺が昔……」
何かを言いかける。
と――その時、プルルルル……と電話が鳴った。
私は電話に出るため走った。
――結局、その日はそれっきりになってしまった。
桐生さんの会話は途中で打ち切られたまま、機会を逃しちゃった。
けれど私の胸のざわつきは続いていた。
(やっぱり……特別な人なの?)
◆◆◆
帰宅後。
布団に顔を埋めながら、心のざわめきに抗おうとした。
「何なの一体! ウザい女に絡まれただけ……なのに……」
脳裏に桐生さんのあどけない笑顔が再生される。
「……どうして、こんなに気持ちになるんだろう」
ふと麗華さんの言葉を思い出し、スマホを見る。
すると、麗華さんのアカウントに新着が数件溜まっていた。
中を見ると、私のことを聞くような内容ばかりだった。
「何なのこれ? 一体どういうことよ……」
何か私のことを恋のライバルとかって、勘違いしているのかしら……。
――だとしたらマジでウザすぎる。
「私のことなんて、ほっとけばいいのに……」
そう言って、ベッドに身を預けてスマホを放り投げる。
今日一日の疲れがどっと押し寄せ、睡魔に勝てない私は、そのまま目を閉じるのだった……。




