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婚約者に捨てられ、親友に裏切られた私ですが――どん底からのストーリー  作者: ワスレナ
第二章

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18/90

第16話 急な接待、からの急接近

 ある日の夕刻。


 私は桐生さんに同行し、高級料亭の一室へと足を踏み入れた。


 静かで上品な和室、並べられた料理の香りに、思わず背筋が伸びる。


「こ、こんな場所に……私まで同席していいんでしょうか」


 小声で(たず)ねると、桐生さんは淡々と答えた。


「秘書が場を学ぶのは当然だ。気にするな」


 その一言に、不思議と心が落ち着いた。


 ただ、これから会う相手は懇意にしていただいている取引先の重役だ。


 粗相(そそう)のないよう努めなきゃと思うと、緊張してしまう。


「有動どうした? 顔に緊張が出ているぞ」


「……でも」


「ちゃんとフォローはしてやる。いつも通りでいいんだぞ」


「は、はい」


――そう言われると、余計緊張するんですが……。



◆◆◆



 到着すると、すでに席には取引先の重役さんが座っていた。


 私たちは深く一礼し、用意された席に着いた。


 桐生さんと談笑を始めると、重役さんはふと私に目を向ける。


「お嬢さん、秘書さんか。若いのに、しっかりしてそうだな」


「い、いえ……まだまだ勉強中です」


 思わず恐縮する私に、重役さんは笑みを浮かべた。


「ハハハハ。これは一本取られたな。そういう素直なところがいいんだよ。桐生君、いい秘書を持ったな」


 私は顔を赤らめ、桐生さんの横顔を見た。


 いつも通りの無表情――のはずなのに、ほんの一瞬、口元が和らいだように見えた。



 会食は和やかに進んだ。


「うわぁ! すごい料理ですね。初めて見るものもあります」


 料理の美しさに目を輝かせる私に、重役さんが言った。


「そうかそうか。いっぱい食べるといい。若いっていいね」


 そしてクスっと笑われた。


 何かやっちゃったかと、少し気まずい思いになる。



 その時、桐生さんは軽く咳払いし、さりげなく話題を戻してくれた。


 それは冷静な仕事ぶりに見えたが、どこか私を(かば)うような響きがあった。



 途中、給仕の人が慌ててワゴンを切り返し、赤ワインのグラスが危うくテーブルに倒れそうになった。


 私はすっとナプキンを添え、こぼれかけたワインの(しずく)を受け止める。


「助かりました……!」


「いえ、私もよくやらかすので」


 小さな笑いが広がり、緊張がひとつ解けた。


 それだけのこと。


 けれど、会話の温度が少し上がるのが分かった。



◆◆◆



「今宵はお時間をいただき、ありがとうございました」


「今日は楽ませてもらったよ。今後ともご贔屓(ひいき)に」


 そう言い残して重役さんは先に退出していった。



 部屋には私と桐生さんだけが残った。


 桐生さんが少し優しい目になり、一言発する。


「……さっきの受け答え、悪くなかった」


 ぽつりと落ちた言葉に、私は驚いて顔を上げる。


「え……私、そんなに上手くは……」


「重役は笑っていた。俺もあの人と知り合って長いが、あんなに和やかな姿は初めて見た」


「そう……ですか」


 一呼吸置いて、桐生さんは視線を外し、小さく息を吐いた。


「……君は場を柔らかくする。不思議だな」


 その声音は淡々としているのに、どこか意外そうで、私は胸が熱くなった。



 部屋を出て廊下を並んで歩く。


 私は一歩後ろに下がってしまいがちだったが、桐生さんが私に振り返る。


「歩調を合わせろ」


「……はい」


 しばしの沈黙のあと、桐生さんがふっと口を開いた。


「……今日は助かった。ありがとう」


 それだけ。


 役員らしい硬い口調でもなく、ただの素直な言葉。


――それでも。


 胸の奥がぽっと温かくなる。


「いえ……私こそ。もっと、お役に立てるように頑張ります」


――この人に、必要とされたい。


 優秀な秘書としてだけじゃなくて、一人の人間として。



 胸の奥に、かすかに芽生えた思いを抱えたまま、私は静かに桐生さんの隣を歩いていた。

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