第15話 堕ちた男と女の再会
鉄の扉が重々しく開いた。
外の光を浴びた瞬間、私はぎゅっと目を細める。
(……まさか、こんなに早く出ることになるなんて。また鉢でも当たったのかしら)
心の中で毒を吐きながらも、表情には強がりを張りつづけていた。
警官二人に連れ添われ、拘留されていた警察署の正面出入口の自動ドアへと向かう。
(一体誰が私を保釈したのかしら……知り合いにも思い当たる節は無いし――)
ドアが開き、外の空気が身体に染みわたる。
だが次の瞬間、私は意外な人物の顔を目の当たりにし、思考が凍りつく。
「……まさか。アンタだったの……浩康」
迎えに立っていたのは、つい先日、別れを切り出されたばかりの男だった。
――そして何より、私が殺意を持って切りつけ、逮捕された原因そのもの。
彼は仕立ての良いスーツを身に着け、ぱっと見は立派に見えた。
だが近づけば、靴は土埃で曇り、シャツの襟元には皺が寄っている。
以前の自信に満ちた姿はなく、目にはうっすら隈が見られる。
全体的にどこか薄汚れた影を纏っていた。
「……迎えに来た」
低く絞り出す声に、私は思わず嘲笑を浮かべた。
「何でよ。貴方を殺そうとした女よ。それに、好きでもないから振ったんじゃないの? 全然意味がわかんないわ」
彼は私の挑発に満ちた言葉に動じることなく、自分を貫く言葉を吐く。
「――一緒に来てくれ。……全部話す」
「勝手なものね。断ったら?」
「頼む!」
少し深めにお辞儀してみせた。
浩康のやつれ気味の必死の形相に、抵抗する気も失せてしまう。
「……わかったわよ。ここじゃ目立つから、ちゃんとしたところに連れて行きなさいな」
浩康の目に光が差す。
「ああ、分かってる」
◆◆◆
人気の少ない高級カフェに入り、二人きりで座る。
「とりあえず、出してくれたことには感謝するわ」
「……ああ」
私は腕を組み、苛立ちを隠そうともしなかった。
「で? 何でわざわざ私を? そこから話しなさい」
浩康は苦い顔をして、俯いたまま語り始めた。
「俺の勤めてる会社が傾いた。投資に失敗し、取引先からも信用を失った。お前の保釈金を用立てはしてくれたが、父からも突き放され、女もみんな俺から去って行った」
浩康は情けない顔をしつつ、かろうじて続けた。
「……もう誰も助けてくれない。俺にはもう、伽耶さんしかいないんだ」
「ふぅん……」
――いい気味だわ、当然の報いよ。
そう思った。
私はもう、浩康に対してはまったく興味が湧かなかった。
けれど、ただ一点だけ、心の奥底で、“ついこの前まで好きだった男”が、自分に縋りついている事実――。
そこに妙な快感を覚えていた。
(――まだ、利用価値はあるか……)
その時、浩康が席を立ったかと思うと――。
私の前に来て、膝を床につき、深々と頭を下げた。
「伽耶さん、お願いだ! 俺とやり直してくれ! もう一度、力を貸してほしい!」
突然の浩康の絶叫に、ぽつぽつと点在する客たちがざわめく。
「何だあれ……?」
「土下座してるぞ……」
ざわつきと視線が集まる。
浩康は良いスーツの膝を汚しながら、必死に頭を下げ続けた。
その姿は、余計にみじめさを際立たせる。
私は椅子に腰を下ろしたまま、冷ややかに見下ろした。
「……あんた、本当に私とヨリを戻したいと思ってるの? それとも……まだ未春に未練があるの?」
その名が出た瞬間、浩康の肩がぴくりと震えた。
しかし、彼は唇を固く閉ざしたまま何も言わない。
(馬鹿。背中が語ってるじゃないの……)
胸の奥にずっと燻っていた嫉妬の炎が、再び燃え上がるのを感じた。
「情けない男。私を選んだくせに、心の中ではあの女を忘れられないなんて」
「違う。お前だけだ」
見え見えの嘘で通す気ね……
浩康はただ、床に額をつけて小さく「……頼む」と呟くだけだった。
その姿は、もはや見るに堪えないほどみじめだった。
私は立ち上がり、浩康を見下ろした。
「……仕方ない男ね。いいわ。もう少し付き合ってあげる……」
無様な姿に対し、勝ち誇ったように言い残し、特上のアイスコーヒーを堪能する。
浩康は私のそんな姿に、しがみつくように視線を送り、情けない笑みをこぼした。
声にならない嗚咽が、静かな店内に毒々しく響いた。
(やっぱり最後に選ばれるのは私――。未春なんかとは違う)
浩康に勘定を払わせ、カフェの外に出た私は、小さく鼻で笑った。
――しかし、その笑みの裏で、さらに大きな不幸へと繋がっていくことを、この時の私はまだ知らなかった。




