第13話 口紅からの、急上昇
その日の夜。
ふと部屋の隅に置きっぱなしの段ボールに気づく。
浩康から送られてきた私の所有物だったものだ。
宅配業者から受け取りはしたが、開ける気になれず放置していた。
「……そろそろ整理しなきゃね。置いてても邪魔なだけだし」
意を決して段ボールの前に座る。
中を開けると、思った以上に色々なものが詰まっている。
洋服、アクセサリー、そして化粧品――。
付き合っていた時、プレゼントとしてもらった物がいっぱいあった。
思い出深い品もあり、当時の情景が目に浮かんだ。
「――私、こんなに浩康のことが好きだったんだ……」
知らない間に涙が溢れ、気づけば作業の手が止まっていた……。
――けれど、もう終わったことだ。
考えた結果、売れそうな物はフリマサイトに出品し、生活用品は処分することにした。
仕分けをしていると、ふと一本のリップスティックに目が留まる。
青い容器のシンプルなデザイン。
「ああ、これ、すごく使いやすかったよね。お気に入りだったんだ」
浩康が私にプレゼントしてくれたものだ。
以前私は商社に勤めていて、浩康がいる化粧品会社とも取引があった。
彼には色々な化粧品を都合してもらった。
業界トップの会社だったから、どれも使いやすく肌にもなじんだ。
「でももう、お別れしなきゃね。幸い今、化粧品会社に勤めてるわけだし」
私はリップスティックを手に取り、少し見つめた後、処分の箱に入れた。
もう思い出は必要ない。
――未来に進むために。
◇ ◇ ◇
翌日。
社内で新作化粧品の品評会が行われた。
私は桐生さんの秘書として同席することになった。
業界で五指に入る大企業だけあって、華やかな催しとなっている。
大ホールに並んだ新商品の数々。華やかな展示に、社員たちの熱気が満ちている。
「わあ……どれも素敵ですね。すごくデザインもかわいい」
思わず見とれて声を上げる。
仕事を忘れそうになるくらい、心が浮き立った。
「桐生さんはこういう化粧品を普段からご覧になられるのですか?」
「そうだな、男性用なら普段使用しているから、関心はある方だ。女性用は仕事柄触れる程度だな」
「そうなんですね」
やっぱりそうなんだ。
彼女とか女友達がいそうだし、少し詳しいのかなと思ったけど、そうでもないのかな……
そんなことを思って桐生さんの方を見ると、目が合ってしまう。
「社員向けのお披露目だから、君も試してみるといい」
桐生さんは目が合ったことなど気にも留めず、淡々と告げる。
「えっ、いいんですか?」
「ああ。アンケートもあるから、感じたことを正直に書けばいい」
「なるほど……そうなんですね」
私はテスターを手に取り、手の甲に色を乗せてみる。
デザインは洗練されているし、色味も華やか。
――なのに。
「……あれ?」
違和感が胸をよぎる。
伸びが悪い。
発色はいいのに、重たくて日常使いには向かない。
容器の開け閉めも、ちょっと固くて扱いにくい。
その瞬間――頭の奥にスッと答えが浮かんだ。
言葉にならなかった違和感が、数式のように形を取っていく。
(そうか……これじゃダメだ。このままじゃ売れない)
なぜそう断言できるのか、自分でも不思議だった。
でも、確かに分かる。
以前使っていた浩康の会社のリップの方が、はるかに優れていたのだ。
私はアンケート用紙にペンを走らせた。
《色は美しいが、塗り心地が重く日常使いには不便。容器も開閉しづらい》
《競合製品の方が軽やかで、自然に使える》
手が止まらなかった。
気がつけば一枚の用紙がびっしりと埋まっていた。
気疲れしたのか、少し眩暈がした。
少しの間、瞼を閉じて休憩してから、再びアンケート用紙に目を通す。
「……こんなに書いちゃった。大丈夫かな」
少し不安になったが、桐生さんの言葉を思い出す。
――『感じたことを正直に書けばいい』
私は深呼吸をして、用紙を提出した。
◇ ◇ ◇
その数日後。
「開発部から話を聞きたいと呼ばれている」
桐生さんにそう告げられ、私は驚いた。
「ええっ……私が、ですか!?」
胸の奥で、再びあの青い光が脈打つ気がした。
――私が書いたアンケートが、会社の未来を動かすことになるなんて、この時の私はまだ知らなかった。




