第12話 危険な赤、もたらす黄色、私だけの秘密
翌日の午後。
私は桐生さんに同行して、会社の物流倉庫を視察することになった。
「私まで来てしまって、いいんでしょうか……?」
場違い感に戸惑いながら尋ねると、桐生さんはちらりと横目をくれただけで答える。
「秘書なら、現場を知っておくのも悪くない」
それだけ。
けれど、その一言が妙に心を落ち着かせてくれた。
「……あ、ありがとうございます」
倉庫の中は広く、天井まで積まれたラックに、様々な種類の化粧品製品がぎっしり並んでいる。
作業員たちが慌ただしくフォークリフトを動かし、活気のある声が飛び交っていた。
そんな中、私の背後で小さな声が聞こえる。
「何あれ、秘書まで連れてくるなんて……」
「視察の邪魔にならなきゃいいけど」
陰口だ。
耳が赤くなり、思わず視線を落とす。
だけど――隣の桐生さんは、表情ひとつ変えず前だけを見ていた。
その姿勢に救われるようで、私は小さく深呼吸した。
その時だった。
「危ないっ!」
金属音が響いたかと思うと、フォークリフトがラックの支柱に衝突する。
巨大な棚が軋みを上げて傾き始めた。
下には作業員が一人、逃げ遅れている。
「うわっ! 誰か、助け――」
――その場の誰もが一瞬で凍り付いた。
高さ五メートル以上の巨大な棚。
このままでは、押し潰されてしまう――。
「――!」
――私は考えるより先に、身体と足が動いていた。
気づく間もなく、傾くラックの前に立っていた。
咄嗟に赤い光が頭をよぎる。
――せーのっ!
「ううっ……!」
腕に信じられない力がみなぎり、私はラックの下端を支えた。
ズシリとした衝撃が全身に伝わるのに、不思議と耐えられる。
「早くっ! そこから逃げてください!」
私が大声で叫ぶと、作業員は這うようにして棚の下から転がり出た。
次の瞬間、私は力を操り解放する。
(……ここだ! 戻って)
ドンッと棚が元の位置に戻る。
周囲に緊張の糸が切れたような安堵の声が広がった。
「す、すげえ……今の……」
「女の子なのに、どうやって……?」
作業員たちがざわめき、私に視線が集まる。
私は慌てて首を振った。
「ち、違います! ラックの下にあったレバーを押さえただけで……! 本当に偶然です!」
必死に言い訳したけれど、誰もが信じ切れていない顔をしている。
――ただ、一人。
桐生さんだけが腕を組み、じっとこちらを見ていた。
表情は読めない。
けれど、その眼差しは確かに“見抜いている”ように感じられた。
やがて騒ぎが収まり、現場責任者たちが深々と頭を下げてきた。
「ケガはありませんか? 本当に助かりました。あなたは命の恩人です」
「い、いえ! 本当に偶然で……!」
私は顔を真っ赤にして手を振り、違うとアピールした。
事態は収束に向かった。
倉庫長が駆け寄り、現場を確認して額の汗をぬぐう。
「……完全に私の監督不行き届きです。申し訳ありません! 処分は覚悟しております」
責任を負う立場として、彼は深く頭を下げた。
処分は免れないだろう。だが――。
「そうですね……だが幸い、けが人は出なかった」
桐生さんの淡々とした低い声が響く。
周囲を見回すと、作業員たちが次々に口を開いた。
「前から棚の固定が甘いって言ってたんだ。今回の件でやっと改善できるな」
「ちょうどいい機会だ。配置も見直せば、もっと効率が上がる」
「……けが人が出なかったのは奇跡だよ。本当に運が良かった」
社員たちから否定の声は出なかった。
むしろ、事故を契機に全員が前向きに改善案を語り始めていた。
「私からも穏便に済ますよう上申するが、今回の報告書類一式を速やかに提出して下さい」
「承知しました。改善案と共に早急にいたします」
倉庫長は深く一礼し、去っていった。
私は息を呑む。
――これって……“運”の流れ?
深刻な事故のはずなのに、なぜか皆の表情は明るくなっていた。
――その時だった。
急に全身の力が抜けるような感覚に襲われる。
「……あっ」
目の前が真っ暗になり、膝から崩れ落ちる。
「有動!」
桐生さんの叫ぶ声が遠くで聞きながら、意識が途絶えた。
◇ ◇ ◇
(ハッ!)
意識が戻って瞼を開ける。
ここは車内のようだ。
心臓の鼓動が聞こえている。
隣には運転する桐生さん。
さっきまでの出来事が、まだ頭を離れない。
「……わたし」
言葉を発しかけると、桐生さんが気づいた。
「大丈夫か、有動」
助手席でまだおぼろげな私に、ハンドルを握る桐生さんが声をかけてきた。
「……まだ、ちょっと」
「そうか。急に倒れたからな。さすがの俺もびっくりした……」
「す、すみません」
「気にするな。病院まで連れて行ってやる」
淡々とした口調で運転しながら言った。
けれど、なんだか優しい……
しばらくの間沈黙が流れる。
すると、不意に桐生さんが話し始めた。
「……倉庫での件だが、どうやって受け止めたんだ?」
「えっ……!」
心臓が跳ねる。
まさか、あんなに重いものを軽々と――って……気づかれてる!?
「あ……えっと……咄嗟にレバーを押さえたんです!――必死だったので……」
曖昧に笑ってごまかすと、桐生さんは眉を寄せ、じっとこちらを見た。
けれど、すぐに視線を外し、淡々と呟いた。
「……まあいい。結果的にけが人は出なかった。俺にもあれは、どうすることもできなかったと思う……助かった」
「桐生さん……」
「だが、もう危険なことはするなよ」
その横顔には、いつも通りの冷静な表情があった。
けれど、ほんの一瞬、目が柔らかくなった気がして、私は胸の奥が温かくなるのを感じていた。
アフロディーテ様からいただいた、神からの“贈り物”。
力の赤。
運の黄色。
そして、知識の青。
(アフロディーテ様、私はこれでよかったのでしょうか……)
――私が手にした三つの力が、これから何をもたらすのか。
桐生さんの運転に身を任せ、私はまたウトウトとまどろむのだった。




