第11話 赤いカプセルと、夢の中の女神さま
うっかり百円玉を落として、冷蔵庫の下に転がっていった……。
「くっそー! こういうのって、なかなか取れないんだよね……」
定規を差し込んでも届かず、箸で突っついても虚しく転がるばかり……。
床に寝そべりながらため息をついたその時、目に入ったのは机の上の赤いカプセルだった。
「……まさか、ね?」
箱を開け、手に取ってみる。
手のひらに転がしたそれは、淡く光っている。
「ええい、ままよ!」
えいやーの勢いで口に放り込む。
すると、喉に熱が走り、胸の奥で脈打つような鼓動が広がった。
少し心が静まってから、あらためて冷蔵庫の前に立つ。
「やるしか……ないよね」
一旦しゃがみ、冷蔵庫の両端の取っ手に手をかける。
小型だし、腰までは抜けないと思うけれど……
「よーし、せーのっ!」
思い切り力を入れると……軽々と持ち上がった!
「え、えええ!? なんですってぇ!! 筋トレ器具より軽いんだけど!!」
驚きのあまり天井にゴンとぶつけそうになり、慌てて冷蔵庫を戻す。
転がり出たのは百円玉だけでなく、いつの間にか無くしたピアスまで……。
「……いや、どんだけ下に溜め込んでんのよ!」
笑いつつも、心臓はまだドキドキしていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
出社してすぐに「しまった!」と思った。
五キロほどある資料の入った段ボールがヒョイと持ち上がってしまう。
その瞬間、隣の先輩がぎょっとする。
「……え? フォークリフト?」
「い、いやいや! ちょっと気合入ってただけです!」
慌てて取り繕うも、コーヒーポットの掃除でつい力を入れすぎ、取っ手を外してしまう。
冷や汗だらだら。
「ご、ごめんなさい!」
「まったく、今日の有動さんは一体どうしたのよ……」
(やばいよ! どうしても力加減ができない!)
胸の奥で赤い光が脈打っている気がして、ますます混乱した。
◇ ◇ ◇
その夜。
疲れ果てた私はベッドに沈むと、意識がふっと遠のいた。
気づけば、白い石造りの神殿の中に立っていた。
『……困っているようですね』
澄んだ声とともに、アフロディーテ様が現れる。
相変わらずの美しさに、思わずうっとりしてしまいそうだ。
「アフロディーテ様ぁ! 私、力の加減ができなくて! 冷蔵庫持ち上げちゃうし、会社では物壊しかけるし!」
泣きつく私に、アフロディーテ様は微笑んでグラスを手に取った。
水面を乱さぬように、そっと指先で持ち上げる。
『力は“押し出す”だけではなく、“支える”ためにもあるのです。支える時、人は自然と相手を思いやる。あなたも同じように、相手や状況を思えば、力は暴れません』
「思いやり……で、力を?」
『ええ。例えば重い物を持つ時、守りたい気持ちで抱えれば、その重さは調和します。逆に、怒りや焦りで力を使えば、壊すだけになるでしょう』
なんだか胸にすとんと落ちる言葉だった。
「……私にも、できますか?」
『ええ、できますよ。あなたは弱さを知っているからこそ、強さを扱えるのです』
アフロディーテ様はそう言って、そっと私の頭に手を置いた。
温かさが胸に広がり、涙が溢れそうになる。
「アフロディーテさまぁ~」
私はアフロディーテ様のスカートにすがり、しばしの間、涙で濡らしていた。
◇ ◇ ◇
目を覚ますと、手のひらにはまだ赤いカプセルの余韻が淡く光っていた。
試しに水を注いだコップを持ち上げ、軽く握ってみる。
――割らなかった。
「……やった!」
小さくガッツポーズして笑った。
そして、夢の中でのアフロディーテ様の言葉を思い出す。
――“支えるための力”。
その言葉は、静かな夜の中で何度も反響していた。
日常生活に困らないよう、訓練していこうと思った。
――その一方で、私の身体にわずかな変化が起き始めたことを、今の私はまだ、何も気づかなかった。




