第9話:Without You
スマホの画面は黒いまま、二度と点かなかった。
まるで、ユイが「もう終わりにしよう」と告げたように。
「明日から平和なら、それでいいの?」
――そう、最後にユイは問いかけてきた。
笑っていたユイの、あの無垢な問いかけ。
けれど今ならわかる。
それは、祈りではなく呪いだった。
「君がいなくても、僕は平気だよ」
――あの時、口にした言葉。
言っていない。
だけど、伝わってしまった。
闇の中で立ち尽くす。
この空間には、音も色も時間もない。
あるのは、ただ“ユイの不在”だけ。
「ごめん」
口に出しても、その声さえ反響しない。
「ユイ……お前がいなかったら、俺――」
その先を、言葉にはできなかった。
あまりにも今さらで、あまりにも無力だった。
そのとき。
足元に、ぽつりと“何か”が現れた。
白い花束。
最初に俺が、ユイに贈ったもの。
焦げ跡も、血もない。
ただ真っ白なまま、そこに置かれている。
誰かが「もう一度やり直して」と言っているように。
手に取ると、花びらが小さく震えた。
すると、空間に音が満ち始める。
「Without you...」
ノイズ混じりの音声。
編集されていない、ユイの“素の声”だった。
「Without you...
だけど、ほんとは――
君がいてほしかったよ」
その言葉が、胸に突き刺さる。
俺は、ただ涙を流しながら、花束を抱きしめた。
音が、世界を取り戻し始める。
沈黙していた空間に、ノイズではない“風の音”が吹いた。
遠くで、子どもが笑う声。
誰かの足音。
そして、ユイの歌声。
それは、録音されたものじゃない。
“今ここにいる”誰かの声だった。
「――ユイ?」
振り返ると、そこに“誰か”が立っていた。
制服のまま、花束を抱えた少女。
でも、その顔は――空白だった。
「ありがとう。最後に、私の音を聴いてくれて」
顔のない少女が、そっと手を伸ばす。
もう、指は揃っていた。
そして、その手は温かかった。
「さよなら。またいつか」
少女は、光の粒になって消えていった。
風に乗って、音とともに。
次の瞬間、目の前が真っ白になった。
目を覚ましたのは、自分の部屋だった。
机の上には、何もないスマホと、
古びたカセットテープがひとつ。
手書きの文字が、そこにだけ残っていた。
「Please me.
Even without you, I wanted to be heard.」
そして、その裏面にはこう書かれていた。
「“ほんとうのわたし”を、残せるのは、
あなただけだった。」
俺は、もう一度だけ“ユイの音”を録ることを決めた。
それは誰にも聞かれない、個人的な録音。
けれど、そこに込められたのは――
「明日が平和であるように」と願った、
ひとりの少女の真実のメロディだった。