第8話:リミックス・ユイ
耳鳴り。
いや、違う。
それは“誰かの笑い声”が繰り返されているのだ。
「Chu-chu, yeah! Please me! Chu-chu, yeah!」
あの、軽快なリズム。
ユイが口ずさんでいたメロディ――だったはずのもの。
だが今、聞こえているそれは切り貼りされた音声だった。
イントネーションが不自然で、笑い声の後にユイの咳払いが混じる。
リズムが歪み、音程が上下する。
「……これ、ユイなのか?」
スマホの再生画面には、“YUI_FINAL.MP3”という謎のファイルがあった。
記録されないはずの音声――が、誰かの手で編集され、再構成されていた。
「お願い、もう一度だけ聴いてほしいの」
その声は、ユイのものだった。
しかし語尾に不自然なノイズが走る。
「わたし……どうして、壊れ――壊れたのか――壊れ――」
再生中の画面がブレる。
曲がりくねった波形。
音のデータそのものが“生きている”ように、うねっている。
ふと、背後から誰かの気配がした。
振り向くと、そこには――
ユイがいた。
ただし、かつての彼女ではない。
まるで何人分もの記憶を重ね着したような、
声も、姿も、感情も“編集されたユイ”。
「――私を編集したのは、あなた」
その言葉に、心臓が止まりかけた。
「私の“笑った顔”だけを覚えて、
“泣いた声”は上書きした。
“怒った姿”は削除して、
“都合のいい返事”だけを保存した」
俺は言葉を失った。
ユイの目は、どこか機械のように冷たかった。
「そうして“好きなユイ”だけを残して、
本当の私は……カットされた。」
目の前のユイが、ノイズのように揺れる。
声が何重にも反響する。
「Please me.
Please me.
Please――me?」
笑い声と叫び声、ささやき声が混ざり、部屋の空間がビリビリと震える。
「この“リミックス・ユイ”が、本当に私だったと思う?」
彼女の身体が割れ始める。
中から、無数の“別のユイ”が覗く。
怒っているユイ。
泣いているユイ。
ただじっと見つめてくるユイ。
顔のないユイ。
血だらけで歌っているユイ。
「ねえ、どれが“本物”?」
声が天井から降ってくる。
俺は、咄嗟に答えた。
「――全部、だ」
「俺が、見ようとしなかっただけだ。
都合のいいユイだけを保存して……
そうじゃないユイは、ノイズとして消してた」
その瞬間、ユイの“編集された身体”が崩れ始めた。
合成音声のような笑い声が止まり、空間が静まり返る。
「……うれしい」
誰かの声が、耳元で呟いた。
「でも……遅かったね」
再生画面に、新たなファイルが追加されていた。
“YUI_DELETE.MP4”
再生ボタンを押すと、
そこには何も映っていなかった。
ただ、ずっとユイの後ろ姿が揺れていた。
編集も、字幕も、フィルターもない。
何も残されていない、本物のユイ。
そして、その背中がやがて闇に消えていった。
――もう、リミックスは止めなければならない。
本当の“音”は、整えなくていい。
歪んだままで、ノイズが混じっていても、
それがユイだったんだ。
手元のスマホが、勝手にシャットダウンした。
液晶に最後に映ったのは、
「明日から平和なら、それでいいの?」
その問いだけが、電源が落ちた画面に滲んでいた。