第7話:記録されない声
「音は、壊れたら戻らない」
その言葉が、部屋の空気の奥に残っていた。
空っぽになった空間には、もうユイの姿はなかった。
代わりに床に落ちたカセットテープが、割れた音も出さずに転がっていた。
ただ――
その破片のひとつに、小さな文字が書かれていた。
「Please me」
呟くように読み上げた瞬間、空間がかすかに震えた。
わずかな心音が、耳の奥に響く。
それは、彼女が最後に残していった“音”だった。
けれど、それは再生されない。
どんな手段を使っても、記録も保存もできない声だった。
しばらくの間、俺は何もせず、ただその場に座り込んでいた。
時間という概念も消えたこの空間で、何かが変わるのを待っていた。
だがふと、ポケットの中に何かがあることに気づいた。
――スマホ。
ヒビが入り、液晶が滲んでいる。けれど、かろうじて動作していた。
通知欄にひとつだけ、未送信メッセージがあった。
送り主は――ユイ。
「ねえ、今日さ、少しだけでいいから……話、できないかな」
(送信されませんでした)
画面をスクロールすると、未保存の録音データが残っていた。
再生ボタンを押す。だが、何も聞こえない。
数秒間の無音。
しかし、その“無音”には明らかな“熱”があった。
そこには、記録されなかった声が、確かに込められていた。
涙で震えた喉。何度も言葉を呑み込んだ呼吸。
それらすべてが“沈黙”として刻まれていた。
俺は立ち上がる。
空間の中心にある古びたラジカセの元へ。
壊れたボタンに、そっと指をかけた。
すると――
カチ、と音が鳴った。
動くはずのない再生ボタンが、ゆっくりと沈んだ。
そして、流れた。
「……どうして君は、私の声を記録しなかったの?」
それは、明確な“言葉”だった。
空気の粒が震えるような、か細くも芯のある声。
「私が壊れていくことを、見ていながら、
どうしてシャッターを切らなかったの?
どうして、“記録しなかった”の?」
痛みが胸を締め付ける。
涙が、自然に零れ落ちた。
「誰かに残してほしかった。
誰かに、私の“存在”を証明してほしかった」
「……ユイ」
「でももう遅いの。
この声は、記録されない。
この音は、誰にも届かない。
――だってこれは、“あの時の君”にしか向けられてなかったから」
録音は、そこで途切れた。
画面には、「再生不可」というエラー表示だけが残っていた。
けれど、俺の中では、その声がずっと響いていた。
記録されなかったはずの音が、心の奥で再生され続けていた。
そして俺は思い出した。
あの日、ユイが俺にだけ向けて口を開いたのを。
小さく、途切れがちに。
「……君の、そばにいていい?」
その言葉に、俺は返事をしなかった。
曖昧な笑みを浮かべ、目を逸らした。
あの瞬間、ユイはきっと、“消えた”んだ。
誰からも見えない、音のない存在に変わってしまった。
再び沈黙の空間が戻る。
だが、今度は違った。
俺の背中に、微かに“音の重み”が宿っていた。
“記録されなかった声”は、俺の中に残っている。
もう一度だけ――
“彼女の音”を、聞き直すために。