【AED問題】あなたが邪魔しなければ、それでいい
先日、AEDとミサンドリー問題のエッセイについて、以下の感想を書いた。その後、件のエッセイは感想欄が盛況のようである。追加で感想を書くよりも、思うところをエッセイとして投稿することとした。
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①救命講習を受けよう
ウチの子ども(高校2年)は昨年、消防署の救命講習を受けました。きっかけは学校の廊下で休み時間に同級生が倒れたことです。教室内に「〇〇が倒れた!」と声をかけたら出てきたのは一人、その子に「先生を呼んできて!」と言われて職員室に走ったそうです(倒れた子は大事には至らなかった、とのことです)。その話を家に帰ってから話したので、「消防署で救命講習受けられるよ」と紹介したら、いつの間にか申し込んでいました。
三十年前から運転免許を取る条件として応急救護講習が義務化されているので、免許を持っている人の半分くらいは何らかの研修を受けているはずです。でも若年者や免許を持っていない人、高齢の人は研修機会が無いので、「話の種に」受けてみましょう。タダですし。
②周りを巻き込もう、巻き込まれよう
誰かが倒れた!場に遭遇したら、人を集めましょう。意識や呼吸をみる人、119番する人、AEDを取りに行く人、記録する人、指示を出す人。野次馬は指示を出して使いましょう、そして使われましょう。119番して立ち去っても良いので。
野次馬に声をかけて、動画を写真を撮らせましょう。その瞬間に野次馬は、傍観者じゃなく「記録者」になります。救護の場面を撮る人も、その撮っている人を撮る人も、出てきます。すべて記録に残しましょう。顔が残ると、たとえ傍観者でも野次馬でも、無責任では居られなくなる。あなたは「善意で」声をかけてください、「手伝って!」と。
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①の意図は、「ノイズの多いネット情報ばかり弄っていないで、自分の目で見て聞いて触って考えてみよう」である。発信者がだれかもわからない怪しい情報、煽り目的で都合の良いところだけを切り取られた情報に捕らわれていては何も生まれない。実際にあなたがやるやらないは別として、体系づけて学び整理する方が自分の・自分としての考えをまとめることができる。
②の意図は、何よりもAEDを使う必要がある場面では一人では手が回らない。意識がない人・心臓が止まった人を置き去りにしてAEDを取りに行くこともままらなない(行き帰りの時間で4分消費したとして、その4分で救命確率は絶望的に下がってしまう)。まずは人手を集めること。そして周りの人を使える人手として取り込み、協力が得られないまでも「邪魔はさせない」ことが重要である。
先日の私の投稿「 家庭用AED、、、過剰な売り込みじゃない?」(Nコード:N9937JY)でも書いたが、年間に心臓が原因で心停止する方は9.1万人強(内、自宅が74%、6.7万人強)、その中で目撃者がいる(倒れた場面を目撃される)人は2.9万人弱、救命処置をされたのは1.7万人、AEDを使用されたのは1229人である。元より6.2万人は発見されずに死亡、1.2万人は救命処置されずに死亡、救命処置された1.7万人も分はあまり良くなく、AEDを使われた人でも救命率は半分ちょっと、約660人は助かったが約570人は亡くなっている。
AEDをつけても半分しか助からないが、AEDをつけなければ助かる見込みは極めて低くなる。そして、救命処置がされなければ確実に死ぬ。なので、AEDを使いたくない、という人はそれでいい。所詮、他人事なんだから。でも、
「自分事ととしてAEDを使う人」、そして「自分の心臓が止まっていてAEDを必要としている人」の邪魔はするな。
と、強く訴えたい。