雨
牙禅は落長の言葉には耳を貸さず、刀の切先を突きつける。
「あの世で斗喜に詫びろ」
「気が早いぞ……狩りの基本を忘れたか?」
落長は言うなり足元の床板の端を勢いよく踏み下ろした。床板の逆側が勢いよく上へと上がり、牙禅の握る刀を弾く。刀はくるくる回りながら宙を舞う。牙禅は目線を素早く移動し状況を把握しようとした。
その間に落長は後方に素早く飛び退き、集会所の壁に立て掛けられていた短弓を握り矢を素早く引く。
刀が落ちてくる前に落長から素早く矢が放たれた。牙禅は身体を素早く捩らせて避ける。
刀が地面に触れる直前にかがみながら塚を握り低い姿勢で構えを取った。
途端至近距離から矢が次々に飛んできたが、牙禅は全て身体を捻じり捻りかわす。
落長は矢が当たらないとみると、身体に沿わせて隠していた短刀を素早く抜き取り牙禅に飛びかかった。
一瞬のことに怯んだ牙禅は咄嗟に刀を首元に構えると、そこに落長の短刀が当たり甲高い音と共に軽い火花が散る。そのまま床に倒れ込む形になった牙禅と落長だが、どちらも力を緩めはしない。牙禅の首元で力が均衡し刀と短刀を握るどちらの腕も軽く震えていた。
しかし徐々に落長の短刀の切っ先が牙禅の喉元に触れ、ぷつりと切れた喉から鮮血が浮かび上がり、一筋流れ出す。
「どうした、っそんなものか」
「……くっ……そぉがああ!!」
牙禅は大声と共に落長の短刀を弾き返した。
落長は突然の力と反応に驚きつつ後ろに飛びのき姿勢を整える。
「怒りだけでは勝てないと学ばなかったか?」
落長は嘲り笑うような余裕の表情を見せていた。それが牙禅の神経を逆なでる。
牙禅は顔に血管が浮かび上がり、握りしめた刀を落長に振り切ろうとした。
しかし牙禅は踏みとどまった。斑目と右治がそれぞれ左右から牙禅に刀を向けていたのだ。
牙禅は肩で息をしながら左右を見る。
(この狭い場所で3人相手……)
はぁ、と牙禅は深く息を吐くと、握りしめていた刀を床に落とし手の平を落長に向けて両手を上げた。
「あんたら性根から腐ってんな……降参だよ」
「ほう、ずいぶんあっさりと物分かりのいいことだな?」
「俺は闇雲に殺したいわけじゃない。元凶はあんただろ?あんたが腐ってなきゃこんなことにはならなかった」
落長はまだ距離を取ったままだった。牙禅の行動を怪しんでいるようだ。
「この世界の人間はほとんど腐ってる。それに私がいたからこそ孤児たちは生き永らえていることを忘れるな」
落長は短刀を握ったままにやにやとした表情で言った。
「お前は反抗し過ぎた。残念だが子供達をお前の目の前で半分ほど殺すことにしよう。全ては牙禅、お前が原因だ」
落長は何も隠し持っていないと判断したのか牙禅に近づき、短刀を牙禅の頬にぺちぺちと当てて言った。冷たい刃を感じながらも牙禅の表情は無表情だった。
「……最後に教えてくれ。斗喜を贄に……殺す必要があったのか?」
手を上げたまま聞く牙禅。
(来い……)
「そんなことが聞きたいとは。お前がいる以上繁殖に余計な人員はいらん。面倒を起こされても困るからな、ここらで消えてもらうのが妥当だった」
「……それが本心か……」
牙禅の手の平がほのかに火が燃ゆるように光る。
落長はここで理解したようだった。
「お前っ……?!」
牙禅の髪が自身の周辺で起こった風で揺れ動く。翡翠色の瞳が落長の瞳を捉えたとき、落長の身体は一気に硬直しており動かすことができなかった。
「落長っ?!どうされました?!」
「落長!!」
右治と斑が落長の異変を感じ取り口々に言う。
「貴様、謀ったなァ……!!!!」
睨む落長を牙禅は冷酷な目で見る。牙禅は上げていた手を下ろし、落長の短刀を握る手に触れる。
その部分だけ硬直が一瞬解けたのか力が緩み、短刀の先を指と指の間でするりと抜き取った。抜き取った短刀を拾えないように牙禅の後ろ側の壁にさっと投げる。
「ががが、がぜえええぇん!!お前2人きりでないと使役は使えんと申していたではないか!!!!」
斑目が急に声をがくがくと震わせながら言う。
「お前らみたいな人間に発動条件を正しく言うわけがないだろ」
牙禅の異能である【使役】は手をかざす、質問に答えてもらうことがきっかけとなる。斑目や落長には2人になる必要があることと、時間がかかると伝えていた。使役を使うよう強要される中、なんとか絞りだした嘘だった。
右治は牙禅を軽く睨んだまま何も言わない。2人は牙禅に襲い掛かるつもりはないようだ。一瞬で場の空気が牙禅のものとなる。
「短時間だし咄嗟のことだからかかるか心配だったが、身体の方にはかかるようだな。逆にいい……今までさんざん俺のことを使ってきたんだ。苦しんで逝け」
牙禅が言い終わると同時に落長の両手が自身の喉元へと向かう。滑らかに移動した両手は落長の首を両側からがっしりと掴み押し上げる。
「うぐっ……」
しかし落長が息ができなくなると同時に少しだけ両手の力が緩み、再び喉元に力が込められる。
落長は自身の意思とはまったく異なる身体の動きにただただ驚きながらも苦しむしかなかった。
「げほっごほふぉっ!」
力が緩んだ瞬間思わず声が出る落長の前で、斑目と右治はたじろくしかなかった。
落長は何度か絞めると緩めるを繰り返したのち、声がしなくなりその場に倒れ込んだ。
身体の力が抜けて床に突っ伏していたがもう息をしていない。
「ひいいぃぃ!」
班目が情けない声を上げて脚をもつれさせながらも集会所入口へ向かいどたどたと出ていく。
右治は腰が抜けたのか身体中を震わせながら握っていた得物を床に落とし両手を上げていた。
「わた、私は斗喜を殺す気など、なかった……」
右治は目線を床に向け、冷や汗を垂らしながらぼそぼそと呟いている。
「生きていたければお前は集落の子供達を保護しろ。今まで通り狩りをさせ決して売り払うな。できなければお前を待つのは死のみだ」
右治は首を何度も縦に振って頷いた。
牙禅の異能の力を目の当たりにし、恐怖が身体を支配しているのか失禁している。
(……案外すっきりしないもんだな……)
牙禅は呆ける右治と逃げた斑目をよそに集会所から寝屋へと向かい、外套を上から被る。
鉄や子供達の安否を思いながらも、ここにいる方が厄介になると考えた牙禅は集落を後にした。
(ここにはもう居られない。とにかく西に……異訪人を送り返す方へ行こう)
今夜起こったことを隠すように、牙禅が完全に立ち去った後集落にはぽつりぽつりと雨が振り始めていた。
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