化獣狩り
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集落は深い森の中にひっそりとある。だから集落から少し先に進めば辺り一面生い茂った木々に草木が視界の邪魔をする。
長い年数佇んでいたであろう木々の背は高く、まだ日中だというのに日の光が地面まで届くか届かないかのわずかな光しか差し込まない。
集落の雰囲気とは打って変わる様に、牙禅達はいつ来ても大自然の中の小さな存在にしか過ぎないのだと感じていた。
集落を出てから半刻歩いたところで牙禅は足を止めた。
「はぁ……はぁ……やっと止まった。どこまで行くかと思った」
「鉄は息をぜぇぜぇと切らしながら思ったことを素直に口に出す。
「集落近辺に化獣がいるわけないだろ」
呆れた口調で言う牙禅。鉄は口を軽く結び不満げな様子だ。
「じゃぁまずは昨日を振り返ろう。鉄はどこで狩りをしてたんだ?」
「もっと手前だよ!こんな奥まで来てないで、すぐに集落に持ち帰れるよう森に入ってすぐのところで探してた」
「それで見つからなかったと」
「うん」
「お前今まで何を学んでいたんだ……?」
「んん?」
「……ちなみにどんな装備をしてた?」
「さっきの恰好だよ!変にいろいろ付けて音が鳴ったら逃げられるだろ?ありのまま、いつもの普段着さ!」
「……右治の気苦労が伺えるな」
「ええ??」
「さっきも言ったが俺たちが頻繁に出入りする集落の周辺には化獣は近づかない。普通の獣ですら姿を見せたことがないぞ」
「うーーん」
「鉄……ここらで狩れる化獣は獣より警戒心が強いが生肉に引き寄せられることは知っているよな?昨日はちゃんと用意していたのか?」
「生肉は調達できなかったら木の実をありったけ集めて用意した!」
「……これは重症だ」
牙禅は片手で目頭を押さえた。
「お前はもう齢10になるだろう。学んだことをすぐ忘れて実践できなければ獣の餌にされるぞ」
「あーそうなんだけどどうしても忘れちゃうんだ……どうしたらいい?」
「お前には目の前で実践を見せる必要がありそうだ。少し離れた……その幹の後ろに隠れてろ。気配は消しとけよ?」
牙禅はそう言うと、持参した袋の中から野兎の死骸を取り出した。首を捻り殺めたため血は出ていない。その死骸の四肢を短刀で分解し、丁寧に素早く皮を剥いでいく。
赤い肉があらわになった。それを3等分し、牙禅の立つ場所の周辺に放り投げる。
牙禅自身は木の幹をひと蹴りして枝葉まで飛びあがると、くるりと宙を1回転し枝の隙間に収まった。
地面や鉄からはほとんど見えない位置に隠れる形だ。
「おお……」
鉄は思わず小さな声を上げた。それが聞こえた牙禅は人差し指を口に当てて「静かにしてろ」と合図する。
そのまま、ややしばらくの静寂。
実際はそれほど時間は経っていないのだが、黙っていることが苦手な鉄は眠くなり瞼がうつろになってきていた。
――――ハッハッ……――――
何か声が聞こえた。
獣?いや違う。
化獣だ。
森の更に奥川から茶色い狼が現れた。獣と変わらない見た目に思えるが、明らかに普通ではない箇所が見受けられた。瞳が上下に2つずつ、合計4つあるのだ。
涎を垂らし重量に逆らわず力の抜けた舌が知性の低さを伺わせる。
狼の化獣はくんくんと地面の匂いを嗅ぎながら、じぐざぐに歩み徐々に兎の生肉に近づいていく。
そして1つめの肉片に鋭い歯の並ぶ口で噛み付いた。
血を流しながら食べ続ける狼の化獣は2つめの肉片にも気づき移動する。
その様子を見ていた鉄はごくりと唾を飲み込む。
今鉄に気づき牙を向けられれば無事では済まないだろう。
最後の肉片に近づき食べようと口を開けたところで、牙禅は木の上から頭を下に勢い良く飛び出す。身体を出来る限り小さく畳み回転しながら降りることで音を最小限に押さえ、勢いを殺すことなく化獣の元に降り立った。
手にはひと振りの刀が握られている。それはもう降り終えた後だった――化獣の首と胴が真っ二つに分かれていたのだ。
狼の化獣の表情は肉を食らおうとしたときのまま固まっている。
牙禅は刀に付いた血を振り落とし、袖で残ったわずかな血液を拭った。
「……すっげえ……」
鉄は牙禅の手さばきに感動している。
「見てたか?待つ狩りってのはこんな感じだ。化獣の好物を用意する、気配を消す、現れたら油断させて一気に絶つ。やってることは単純だろ」
牙禅は狼の化獣の首に近づき、4つある目に指を入れてえぐり出した。
ぐちゅ、という音がしたが出てきたのは透き通るような淡い黄土色をした硬い石だった。
「半分持っとけ」
合計4つの石を取り出した牙禅はその内2つを鉄の方へ放り投げる。
「わっ……これが……すげえ、本当に石になるんだ」
鉄は両手に余裕で収まるほどの小さな石に興奮している。
「小さいし割と安い石だが、狩りをした証拠にはなるだろうよ」
化獣を狩るのには理由があった。
ひとつ。化獣が死ぬとその瞳は石となり、色や光彩の具合によって高値で売れる。
ふたつ。緊張を与えることなく首を狩ると柔らかいまま肉質のまま長期間の保存ができる。
みっつ。鋭い切り口で切るほど化獣の皮の損傷が少なく強度が高いまま加工できる。
化獣狩りの主役は瞳の石化である。
狩れば狩るほど金になる――その分かりやすさから、国中で化獣狩りが行われるようになった。
もちろん被害が出ることもあったが、1人2人の被害よりもより高値の石を手に入れたいという欲望が勝ち続けているのは言うまでもない。
「鉄はまず息を殺して待つことから始めた方がいい。待つ狩りは思っているよりも地味で辛いし収穫がないこともある。目先の欲に目が眩まないよう努力するんだな」
「へーーい」
鉄は石をぎゅっと握りしめて返事をした。ほとんど何もしていないに等しいが、狩りの場に立ち会い報酬としてもらえたのが嬉しかったのだろう。
「ここらのは生まれたてが多いからお前でも大丈夫だと思うが、目の色や輝く光彩持ちの化獣もいる。もし見かけたら速攻逃げろ。最悪死ぬ」
「へーーい……えっ?!死ぬ?!」
牙禅は化獣の石化の詳細は分からないが、珍しくなるほど力も強く危険性も増していくことは知っていた。
「んじゃこれで今日は終いだ。早く帰って右治に報告しないとだろ?」
牙禅は狼の化獣の首を脇に抱えながら言った。
ずっしり重みを感じるが、移動できないほどではない。
「おう、禅兄ほんとにありがと!すっげー助かった!なんか勉強になったし!多分だけど明日から俺も禅兄の動きできる気がする!」
大声で実際に実現には至らなさそうなことを言っている鉄を横目に牙禅も集落に戻ることにした。
――――――――――――――――
集落に戻るやいなや鉄は牙禅に再度礼を言い、右治の元へと向かっていった。
1人残った牙禅は狩った化獣の首を地面にどさっと下ろし石の上へ腰を落とす。
「――酷い顔だ」
牙禅の前方から声がして顔を上げると、集落の若衆をまとめる斗喜がいた。
「……そうか?」
斗喜の問いかけに力なく笑いながら返事をする牙禅。
「今朝見かけたときも酷く憂鬱そうな顔だった。……儀式はそんなに大変なのか?」
斗喜は純粋に牙禅を心配しているようだ。その純真さが牙禅にとって毒となることには気づいていない。
(斗喜は儀式の内容を知らない。俺がしていることも……)
斗喜は本当にいいやつだ。皆のことを思って子ども達を守るよう反抗もしている――だからこそ牙禅は集落や自身のことを言えずにいた。
「儀式はただ形式的なことをするだけさ。連日狩りと警備に繰り出されて疲れが出てんのかも」
「確かにここ数日の狩り命令が酷いな。俺たちだけでなく子ども達もいきなり実践に出されて大変だろう。1度落長に相談してみるか……」
「やめとけ。落長は俺たちの言うことなんざ聞きやしねぇ」
本心だ。牙禅は思った。
(言ったところで煙たがられて終わる。落長は集落の子どもや俺たちのことをなんとも思っちゃいない)
牙禅はつい口から言葉が出そうになったが、寸でで止めた。斗喜は落長を信じているのだ。信じるものがいなくなった時、斗喜はどうなる?子ども達は?――自分のように意思に背いて使われる身になるのでは?――そう思うと言葉に詰まる。
「なぁ牙禅。俺達今日は夜警じゃないだろ。ちょっと付き合ってくれないか」
「ん、珍しいな。どうした」
「実は落長に森の奥にかけた罠の様子を見てきてほしいと言われたんだ」
「……今から?」
夜間は暗く、化獣や獣の活動も活発になる。だから集落では夜間の外出を禁止していた。
まだ辛うじて日は出ているが、夕暮れはすぐに過ぎてあっという間に夜が来る。
「今からというより、夜中に回収して来てほしいらしい……どう思う?」
「はっ聞くまでもない、怪しすぎる。そんな急を要する用事は聞いていないし、せいぜい儀式の――」
そこで牙禅は言葉を止めた。
(あの男か)
死んだ男は本国から正式な道を辿って送られてきた異訪人である。
早々に殺されたとはいえ、遺体の所有者は本国側だ。だから送り返さなければならない――それも出来る限り形状を維持したまま。
大型の化獣の皮は防腐効果が高く、遠方で亡くなった人間を故郷に送る際に遺体を皮に包んで送られていた。
集落の人間は近親者か孤児がほとんどだった。そのため化獣の皮の用意が無いのだろう。牙禅は思考を巡らせる。
「牙禅?何か知ってるのか」
斗喜の声に答えるか悩んだが、ここは正直に伝えることにした。
「儀式で不手際があって1人亡くなったんだ。恐らくその人を送り帰すのに使いたいんだろう……」
「そんな……それで暗い表情だったのか。牙禅も……大変だな」
それ以上斗喜は牙禅に深く聞いてはこなかった。
人を包めるほどの大型化獣はここらでいうと熊型しかいない。
普通の熊とは違い主に夜に活動し、日中は穴蔵に隠れている。
警戒心が強く人に遭遇してもすぐに逃げ去るが、もし攻撃されれば熊と同様恐ろしい爪が身体を引き裂くだろう。
「分かった。日が沈みきって子ども達が眠った後でいいか?」
「もちろん」
そこから牙禅と斗喜は時間まで集落でいつも通りに過ごした。
寝屋の子ども達と食事を用意し、全員で食べ片づける。
集落の入口に置かれた松明に火をつけ、夜間警備担当者に報告。
子ども達全員の点呼を取り、就寝。
寝屋全体が寝息で満たされたころ、牙禅と斗喜は寝屋のすぐ外で集合していた。
「行けるか?」
「あぁ。準備は終えてるよ……ほら」
斗喜は身体を捻らせて自身の装備を見せた。弓や硝子と鉄の筒に包まれた明かりを灯す筒が腰にある。
牙禅からは見えなかったが、衣類の中にも狩りに必要な痺れ草や紐もありそうだった。
「落長は罠をどこにかけたって?」
「裏森の奥深くとしか聞いてないが、印を付けてあるらしい。夜露液を印を十辿った先にあると言ってた」
「そうか……夜に裏森に入るなんて自殺行為だと思われるだろうな。念のため夜警には見られないようにしよう。説明が面倒だ」
「そうだな。さっさと行こう」
斗喜と牙禅は寝屋の壁に沿って集落の入口とは反対にある裏森に向かう。皆眠っているからか、すんなりと集落を出られた。
裏森は普段狩りをしている昼間とはうってかわり、光がほとんど届かないせいでかなり視界が悪い。
腰の明かりのおかげで真っ暗ではなかったが、せいぜい足元が照らせる程度だ。
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