鉄
(赦せ)
――繁殖用奴隷の斡旋業。それが牙禅の強制的に労働させられている裏稼業であり、ある意味生活の一部だった。
数刻の後、牙禅は集会所を後にする。中の異訪人が逃げ出さないよう、入口に立っていた見張りに声をかけた。
「――終えた。記憶が混乱しているからしばらく呼びかけには応じないかもしれない。送り返すまでに何度か様子を見てやってくれ」
淡々と伝える牙禅。いったい何度この台詞を言っただろうか。今まで同様一音一句違えずに伝えると見張りの男もいつもと同じように頷いた。見張りは扉の前まで移動し、扉に背を向けて立つ。
牙禅は集会所の1階、最奥に位置する落長の元へと向かう。
落長は奥の部屋に座っていた。蝋に火をつけ、ゆらめく光を頼りに何か書いているようだ。
「落長。終わりました」
牙禅は落長の筆が止まるのを待たずに言う。
聞こえているのかいないのか、落長は筆を止めず目線を上げもしない。
「ずいぶん時間がかかったな」
手を動かしたまま落長は目線を文に落としたまま言った。
「……従えるのはすんなりいくものでは……以前もお伝えした通りです」
牙禅は片膝を付き忠誠を示すような形を取りながらも、落長に反論する。
「情が移ったわけではないだろう?」
「まさか」
異訪人に情を移したところで自分にできることは何もない。できるのは少しでも嫌な記憶や感情を与えないことくらいだ。人払いをし、慰み者にならないように嘘を付くように。
「ふん……まあいい」
落長は手を止め牙禅に目線を移す。
「今のところ次の異訪人もいないようだ。しばらくは化獣狩りと警護をしておけ」
「……御意のままに」
牙禅はすぐに立ち上がり集会所から出る。
重苦しい空気と仕事から解放され外に出ると、森の木々の隙間から朝焼けの赤い光がちらりと見えた。
美しい色がよく見えるほど空は快晴、風も無い。
普通なら良い朝だ、と気分よく目覚めることのできる最高の日のひとつなのだろう。
しかし異訪人を従え本国に送り帰す重い役目を担っている牙禅には、自分の罪を頭から被せられているような感覚に陥っていた。
「雨でも浴びたい気分だったんだがな……」
ぼそっと呟いた言葉は牙禅以外誰にも聞こえない。静かな朝の中にひっそりと消えていった。
――――――――――――――――
「ぜーーんにーーーーい!!」
牙禅は頭の奥深くまで響く子どもの大きな声で目が覚めた。
「いつまで寝てんだよーーーー!!」
部屋の外から扉をどんどんと叩きながら声が聞こえる。
牙禅が朝方まで働かされていても、集落の住民にはあまり関係ないらしい。
「……鉄。うるせぇ」
寝起きの牙禅は頭を搔きながら一言扉に向かって言った。
「うるせぇってひどくねぇ?!」
途端扉がばんっと開き、少年がずかずかと牙禅の寝台まで侵入してくる。
鉄と呼ばれた少年は土汚れの付いた黒い髪を揺らしながら顔を膨れさせている。
「俺はわざわざ禅兄を起こしにきてやったんだぜ?感謝しろよなっ」
腕を組み分かりやすく怒る鉄。感情の起伏が激しいから見ている分には面白い。牙禅は黙って鉄を観察する。
「つか禅兄聞いてくれよ~昨日狩りの訓練に出たんだけど俺だけなんっっにも狩れなくてさぁ、右治にこっぴどく怒られたんよ……俺そんなに狩り向いてない?やる気充分なのになんで俺の時だけ何にもいねえのかなぁ」
鉄は牙禅が返事をせずとも1人勝手にしゃべり続ける。
牙禅は「あぁ……」と雑に返事をしながら寝台から降り、壁に掛けていた黒い衣服を上から被った。
肌に程よく密着するこの服は着心地が良く動きやすい。集落の警備や狩りに向いているのだ。
「――んでさ、一緒に来てほしいんだけどいい?」
「あ?」
牙禅が着替えている最中も鉄は1人で喋り続けていたらしい、急に問いかけられて牙禅は思わず声を出した。
「だーかーらー!狩り!手伝って!!」
「……化獣の?」
牙禅は一瞬止まり、鉄を向いて言った。
「そうそう!禅兄ってやっぱみんなの憧れっていうか、いっつも確実に仕留めるし?早いし?最強!みたいな?」
鉄は牙禅をおだてようと思いつくままに褒め言葉を並べている。
牙禅は呆れた顔で鉄を見ながら細身の袴を身にまとい、獣の皮で作った腰当てを装着した。
腰当ての右側には鞘に収められた短刀が2本付いており、左側には刀を収めた帯が付いている。
「別にいいが俺は甘くない。それで本当に行けるか?」
あっという間に着替えた牙禅は鉄の姿を上から下に目線を移し言い放つ。
寝巻に裸足。装備なし。
(こいつ寝坊したな……)
寝坊したことがばれたくないがために、まだ眠っていた牙禅を見つけこれ見よがしに起こし、自分はもともと起きていたと印象付けたかったのだろう。変な方向に頭を回転させ実行するのはある種鉄の能力とも言える。
「あーーんーーもちろん、しっかり準備していくさ!まずは禅兄に聞いてからにしようと思って!今用意してくるからちょっと待ってて!」
鉄は早口で言うと牙禅の部屋から飛び出し自分の寝屋へと向かった。
集落の寝屋は長屋のようになっていて、子ども達や牙禅の若い衆は皆同じ屋根の元で眠り過ごす。
牙禅は鉄を待つ間、少しだけ身なりを整えることにした。共同寝屋の奥には水場があり、水盆と銅鏡が置いてある。牙禅は水盆から水をすくい上げて顔を濡らす。ついでに寝ぐせのついた髪も濡らして整えた。
短刀を慣れた手つきで取り出し少量の髭が生えた肌にぴったりと当て滑らせていく。
左右の髭を剃り、剃り残しがないか銅鏡で確認し短刀を元の位置に納めた。
「うっし!さっさと行こうぜ!」
鉄が子ども達が寝る大部屋から勢いよく飛び出し、きょろきょろとあたりを見渡し牙禅を見つけると口早に言った。
(反省してないな)
昨日の右治の叱責は鉄にあまり刺さっていないのだろう、拍子抜けするほどあっけらかんとした声と態度でいる鉄に反省の色は微塵も見えない。鼻歌を奏でているあたり、ただ化獣狩りをやりたいだけにも思えるほどうきうきしているようだ。
「……まぁいい。俺のそばを離れるなよ?」
牙禅は鉄に言うと共に集落の裏の森に向かった。
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