神名
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牙禅が最初に立っていた場所から少し奥には岩場でできた洞穴があった。
普段翼音はそこで眠りについているらしい。寝床用の萱が編んであり、古いものの上にいくつか同じものが重なっている。
(暖を取るために使っているのは乾いた化獣の皮か。化獣が連れてきた場所に化獣の皮があるのもおかしな話だが……)
牙禅は自分の知識の無さを悔いる。
集落で落長に監視されていたとはいえ、化獣やそれ以外にあまりにも知らないことが多いことを実感していた。
(化獣と話せることも、眼の色のことも、森にいた八十ってやつのことも何もかも知らない……。だが集会所で落長達が話していたのを見ると昔からいるような言い方だった。俺や斗喜には意図的に隠されていた……?)
しかしいくら考えを巡らせても疑問は解消しない。
(翼音……彼女は何者だ)
当の翼音本人は洞穴へ戻ると牙禅の外套を脱ぎ、黒の着物の袖に頭巾が一体となった衣類を羽織っていた。着物とはいったが襟や裾はなく、女性用の着物の一部を動きやすい外套に工夫したもののようだ。長い髪を一つに束ねており、水面で合った時とはまた違った印象を受ける。
牙禅は翼音が髪を束ね、衣類を整えるのを待ち尋ねる。
「正直俺はなぜここにいるのか分かっていないんだが……翼音。君はなぜここに?」
翼音は目を瞑り首を軽く振る。束ねた髪の毛が揺れ動き、その美しい銀髪に牙禅はつい目で追ってしまう。
「私は壱に連れられてきた。今よりもずっと昔にな。壱ってのは狼の化獣のことで……ここにいるということは共に来たのだろう?あの黒い狼だよ」
「……化獣に名前があるのか」
(考えてみれば人間だってそれぞれ名前がある。意思疎通ができる化獣にも合ったっておかしくはないか……)
「私が呼びにくいから勝手に呼んでいるだけだ。私から見たら化獣たちは皆化獣。でもこうやって近くにいてくれる化獣だっている。ずっと一緒にいたら化獣よりも呼びやすい名をつけるのは自然なことだ」
「……連れてこられたってことは何か理由があるんだろ?翼音も化獣……壱と話せるのか?」
「話せるよ。私は物心ついたときから話せていたみたいだ。だから化獣が近くにいるのは当然のことだったし、普通の獣よりも近くて温かい彼らが好き」
化獣のことを話すと翼音の表情は柔らかくなる。
「でも話せることを誰も信じてくれなかった。化獣と仲良くしているとものすごく怒られたし、仲良くしてくれた彼らの何匹かは狩られてしまった。私のせいで死んでしまったんだよな」
柔らかい表情が眉尻を下げた憂うものに変化する。
「連れてこられた理由だが、幼いころに私は八十と呼ばれる化獣に触れた。それが理由だろう。壱からすると私を保護しているようだ。……ずっと立っていると疲れないか?そこに座ればいい」
翼音が指で指したところには丸石がある。牙禅は従い腰かけた。
「……なぜ翼音は八十に触れて無事なんだ?俺の友人は、ちゃんと見たわけじゃないがすぐ……喰われたような音がした。それで身体を乗っ取られたみたいに真っ黒になって……戻らなかった」
「幼いころのことだからよく覚えていない……だけど加護が理由みたい」
「加護?」
「その前に牙禅に聞きたい。貴方も八十に触れた?」
翼音の伸びた前髪が目元に当たる。
「あぁ……。触れたというより掴まれたよ」
牙禅は右の袖を左手で掴み上げ、指先から腕の見える部分全ての皮膚が黒くなっているのを翼音に見せた。
「掴まれた部分から黒い肌が浸食していって、首元まで来たところで弾け飛んだ」
「そう……それが加護。私も同じ」
翼音はそういうと左の足下にかかる外套を避け、細身の下衣をたくし上げる。そこには牙禅の右腕と同様に黒くなった肌があった。
「私のは腿の付け根まで伸びている。でもそこで多分加護の何かが働いて……無事だった」
「待ってくれ、その加護っていうのがよく分からない。俺に加護……?」
翼音は目をぱちぱちと瞬かせている。
「加護を知らない……?」
「あぁ」
「貴方どこで暮らしていたんだ……。異能は分かるな?加護は異能持ちと血で繋がることで、異能と同じ系統の力に対し外部からの耐性を得られる。例えば炎系の異能なら炎に対する耐性が、浄化系ならあらゆる毒性のものに対して耐性が付く」
「じゃぁ俺は八十の力が何か分からねぇがそれに対する耐性を持ってたってことか」
「いや、私達の場合はそれ以上。血筋で繋がった強力な加護だと思う」
「あぁ……?」
いつの間にか横に壱がやってきた。壱はその場に伏せるあたり、このまま話を聞くつもりらしい。
「……私の祖母は八十が八十神と呼ばれるように、神の名を持つ化獣なんだ。牙禅は?誰の神名の血を引いているんだ?」
翼音の言葉を聞き、牙禅は血が波打つような感覚を覚えた。
ざわざわと心の中が曇って靄がかかる。
(神名を……血を引く?誰の……?俺は…………いつから集落にいた?)
牙禅は記憶を遡る。最も古い記憶を思い出すがそれは幼少期、落長に異能が見つかったときのものだった。
牙禅はそれ以前の記憶を思い出せない。
(俺には両親がいなかった……本当か?集落は孤児が集まる……孤児?……本当に?)
牙禅の心の靄は黒くなり徐々に現実にも現れる。身体から染み出すかのように、右腕から黒い靄が出ていた。
壱と翼音は咄嗟に後ろに飛びのき、何かあった時のために瞬時に動ける体制を取る。
(集落の子ども達は全員親がいなかった。それは孤児だから。孤児を集めて成長する機会を与えるのが集落……じゃない。落長はそんな善人なことをしない。じゃぁ俺は……どうして異能持ちだったんだ?他の子供たちに異能持ちはいなかった……)
「牙禅!!」
翼音の声は牙禅に届いていない。牙禅はその場に座ったまま動かない。ただ黒い靄が身体から地面に落ち、座る石を中心にゆっくりと広がっていく。
(捨てられた……?いや……拾われた?)
牙禅の頭がずきずきと激しく痛む。
(なぜ俺を捨てたんだ……)
また、あの痛み。
痛い痛イいたイいタイイタイイタイクルシイクルシイドウシテドウシテドウシテチチウエ――ステナイデ。
「呑まれるな!!」
『落ち着け小僧!!』
翼音と壱の声が突然聞こえ牙禅は我に返った。それと同時に腕から染み出ていた黒靄はいつの間にか霧散し牙禅の目には映らない。
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