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■夢と現実

 陸地の東、集落から西に進んだ森――深夜。


 黒い外套をまとった牙禅の頬に雨粒がいくつもつたう。牙禅は1人西に向かって歩みを進めていた。

 降り始めた雨は次第に強くなり、牙禅の痕跡を消していく。雨が降れば音も響かず細かな居場所も分からない。


 牙禅は憤りを感じていた。


(落長はあの集落で自分の利益のためだけに俺や子ども達も利用していた。……この年になるまで動けなかったなんて情けない)


 動けなかった自分への憤り。動かなかった自分への怒り。当人を排除しても晴れない心。

 これらの要因が牙禅の心の中の黒い靄が広がる手助けをしていた。


(……流石に雨脚が強くなってきたな。もう少し進んだ先で止むまで待つしかない、か……。あまり進みすぎても斑目と鉢合わせする可能性もある)


 牙禅は葉の生い茂る太い大木を見つけると雨粒が当たりにくい場所を探し腰かけた。

 座ると同時に一気に疲れが押し寄せてきたのか、牙禅は深く溜息を吐く。


 森の中は静かだ。雨が葉や草に当たり鳴る音のみが耳に届く。



 獣の気配は無い。



 少しだけ目を瞑り休むつもりだった牙禅はいつの間にか微睡まどろみの中へいざなわれていた。

 そして夢を見る。





 夢の中では牙禅は誰かの視線を覗き見ていた。





(ああ、またか……)


 自分のものとは違う不思議な感覚の感情。

 真っ暗な状態から景色がゆっくり足されていく。目の前には鬱蒼と木々が生い茂る中、大木の傍らにやせ細った女がいた。薄汚れた衣類を身にまとい、腕の中には同じく汚れた布にくるまれた何かがいる。


 女の腕が小刻みに震えている。呼吸は浅く、はっはっと荒い息遣いが届く。

 普段獣や鳥の気配で溢れる森が、息を殺すように影を潜めて女を見ている。


おのれは知っている、この女が何をしに来たのかを)


 また覗き見ている者の感情が流れこんできた。


 女はふぅーーと深いため息を吐いた。と同時に、抱えていた何かをそっと大木の根本に置き、くるりと向きを変え走り去っていく。去り際の女の横顔が一瞬光ったように見えた。女が消えた後の森は再び獣の気配で溢れかえる。


 置かれた何かを草陰から覗き込む。細長く小さいそれは動かない。


 ぎゃぁぎゃぁと烏の鳴く声が響き、草木が風に揺れかさかさと音を立てる。


(ーーいつもなら。いつもなら傍観するだけだ。獣に見つかれば喰われ、ほおっておけば衰弱して死ぬだろう。けれども今回は違う。目の前の何かが己を呼んでいる)


 再び牙禅のものではない別の感情が伝わってくる。

 その布にゆっくりと四肢を近づけた。


『脚……犬……?いや狼か……?』


 牙禅は夢の中だが疑問に思う。


 近づくと小さな無垢の顔が見えた。

 産まれてから日が浅いのか、痩せ細り動く気力もないようでぴくりともせず目を瞑ったままだ。


『(幼子……?もう死んでいるのか)』


 牙禅とこの夢の主の感情が初めて一致する。


 確かめようと顔を幼子に近づけた時、幼子の目が薄っすらと開き目が合った。

 小さな瞳は美しい翡翠色である。微かに奥から発光しているかのような瞳は見るものを魅了するだろう。

 夢の主は顔をゆっくり幼子に近づける。






 牙禅ははっと目を覚ます。




(まずい……眠ってしまった)


 追手が来る可能性もある中眠りに落ちたことに驚きを隠せない牙禅。

 雨はいつの間にか上がったらしい。雨音が聞こえなくなった代わりに風が吹いていることを知らせる草木の擦れる音がする。


『――ねえやっぱり……――』


「?!」


 突然何者かの声が聞こえ牙禅は驚き刀に手を置いた。

 辺りを見回すが姿は見えない。


『うん、八十やその気配がするよ。それにもうひとつ混じってる』


『懐かしいね』


『そうだね。この匂い好き』


『ぼくも』


 牙禅はすぐ近くで声がする主を探すも見当たらない。そして気付く。

 声は牙禅の頭の中に直接響いていたのだ。


「……何者だ」


 どこから相手が現れようと対処できるよう、姿勢を低くし得物から手は離さない。いつでも抜刀できる状態を見せつける。

 しかし何も姿は現れない。


『誰に言ってる?』


『何に言ってる?』


『ぼくたち?』


『にんげんは声が聞こえないって聞いたよ』


 無邪気な子どものような声だ。牙禅は会話が頭の中に響き続けることを気味悪く思い始める。

 ぱたた、と音がし、二羽の小鳥が木の枝先に止まった。牙禅を見るその目にはそれぞれ4つの黄金こがね色が見える。

 牙禅は音がした方を向き、鳥の化獣が自分を見ていることに気付くとさっと小刀を取り出した。


『ぼくたちに向けてるみたい』


『それじゃあ逃げよう』


 小刀を取り出したものの、牙禅は鳥の化獣を狩るつもりはなかった。


(小型の化獣はめったに人前に姿を現さない……)


 牙禅の過去の狩りの経験上、何かがおかしいと身体が言っているようだった。


「……まさか……化獣の声……?」


 鳥の化獣は、牙禅の問いかけに応えるかのように首を傾げその場に留まり続ける。


『このにんげん声聞こえてるみたい』


『ほんとに聞こえてるの?』


 牙禅は緊張の糸が切れたように深くはぁーーとため息をついた。


「……聞こえている」


 取り出した小刀を収納しながら言う牙禅。殺気を感じられないことから攻撃態勢を止めて身体を起こす。


『すごいすごい!にんげんと話せるの?』


『にんげんで分かる人がいるなんて』


『混ざってるからかな?』


 牙禅は冷静を装ってはいるが、頭の中で勝手に会話が繰り広げられることに内心焦っていた。


(化獣と意思が通じるなんて聞いたことがない……これは夢か?)


 変な夢を見たような気がしていた牙禅は腕皮を強く捻るが、強い痛みを感じるだけだった。


(害はなさそうだが……)


「何が目的だ……?」


 二羽の鳥の化獣はお互いに顔を見合わせ再び牙禅に顔を向ける。


『目的なんてない』


『見てただけ』


『ただ八十の気配がずっとあるから気になった』


『そしたらにんげんがいた』


 軽快に言葉を続ける二羽。


『八十は怖い』


『かわいそうなにんげん』


『かわいそうな八十』


『何か来るよ』


 牙禅は何かの気配を察し振り返る前にすぐにその場から飛びのいた。

 元居た場所には数本の矢が刺さっている。


(もう追手が……?!)


 森のあちこちから複数の気配がする。


(三……四人か)


 刺客は上手く気配を消していたが、牙禅は狩りによる経験と直感で人数を把握していた。

 再び森の中から牙禅に向かい矢が飛んできたが木の幹に咄嗟に隠れ避ける。


 と、草と幹の間から1人の影が飛び出してきた。

 目元以外を黒い衣類で隠していたが、素早い動きの一瞬のなかでも手に小刀を構えていたのが見えた。


「っ……!」


 大振りながらも確実に牙禅の喉元を狙ってくる小刀を寸でのところでかわす。

 しかし刺客は牙禅が避けてもなお執拗に喉を狙い続けて小刀を振るい続けてきた。


【作者から読者の皆様へ】


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