第三話(1)
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「ありがとうございます!」
「ありがとうございます! 親切なお嬢さん!」
助けてあげた羊の獣人さんたちは、打って変わってわたしに親切な態度を取ってくれるようになった。
「あなたは命の恩人ッス! このご恩は一生忘れないッス!」
キラキラした黒い目で見つめてくるモフモフたち。わたしはその可愛さで悶えそうになるのを我慢しながら、バラバラになった竹の檻を指差して尋ねる。
「この罠は何なのかな? 誰が仕掛けたんだろう」
「ああ、それは我々ッス!」
「えっ……」
自信たっぷりに胸を張りながら、羊人さんは語る。
「我々のオヤブンが考えた仕掛けッス! これで我々のアジトを守っているッス!」
「はあ」
ということはつまり、自分たちが仕掛けた罠に、自分たちで引っ掛かってしまったってこと?
罠にはめるべきだった侵入者のわたしに、諸手を上げて感謝していちゃ駄目だと思うんだけど……。
言いたいことはいくつかあったけど、せっかくの歓迎ムードを崩したくなかったから、わたしは親切な恩人の立場を取り続けることを選んだ。
「あなたたちのおうちがこの先にあるの?」
「おうちじゃないッス! アジトッス!」
「そのアジトってところに、ずっと住んでいるの?」
「ずっとじゃないッス! 一月前からッス!」
「一月前から? どうしてこんな山の中に住んでいるの?」
「それは……」
羊さんたちは急に口ごもり、お互いに視線を送る。どうやら他言できない事情があるようだ。
「もしかして、誰かから逃げているの?」
わたしがそう尋ねると、羊人さんたちは分かりやすくビクッと体毛を逆立てた。
「わわわ我々は逃げも隠れもしてないッス! 戦略的撤退をしているだけッス!」
「だだだダイジョーブッス! あと数日持ちこたえれば、我々は反撃を開始できるッス!」
そうッス、そうッスと頷き合っている彼らに、わたしは首を傾げる。
話がちっとも見えてこない。
この無害そうな羊人さんたちは何から逃げているんだろう。
「わたしは一昨日、この山に墜落したはずの竜を探しにきたんだけど……」
わたしが改めてその話題を振ってみると、羊人さんたちは鼻を高くしながらこう言った。
「そう! 先日オヤブンが、ものすごく強そうな竜の旦那を仲間に引き入れたんす!」
「あの方が元気になられたら、我々に敵はないッス!」
「仲間に引き入れた?」
竜を? 羊人さんたちは目をキラキラさせている。
竜って仲間になってくれるような友好的な生き物だったの?
以前遭遇したときの、狂暴な姿からはとても想像できない話だけど、羊人さんたちが嘘をついている感じはない。
さっきまでわたしに協力的じゃなかったのは、傷ついた竜を匿っていたからなのか。
わたしが竜を倒すつもりであることを知られたら、また怯えて逃げ回られちゃうかな。
「もしかして、アネさんはあの旦那のお仲間か何かですか?」
「えっ? お仲間って、誰の?」
アネさんってわたしのことかしら。呼ばれ慣れない言葉にわたしはくすぐったさを覚える。
「竜の旦那ッスよ! 探しにこられたと言っていたじゃないですか」
いや、違うんだけど。違うと言うと、初めの対応に戻りそうな気がして、わたしはつい言葉を濁してしまった。
「そうだ! きっとそうだ」
「アネさんも我々を救いにきた救世主なんスね!」
「ええ、いや、あの」
一旦盛り上がってしまったら、この羊人さんたち、全然話を聞かなくなるみたい。
「アジトにご招待するッス!」
「オヤブンのところに連れていくッス!」
「我々の勝利にまた一歩近付くッス!」
「行くッス!」
「任せるッス!」
いつから隠れていたのだろう。草むらから無数の羊人さんがシュババと現れる。
「えええ、ちょっと待ってー!」
あれよあれよという間に彼らに群がられ、わたしはモフモフの波に埋もれながら、森の奥に連れ去られてしまった。
わたしが連れて来られたのは、崖の下に自然にできた小さな洞窟の入り口の前。
その入り口はとても小さく、しゃがまないと通れそうもない。
「ささ、アネさん! どうぞ!」
「どうぞどうぞ!」
わたしの腰くらいの身長の羊人さんたちはその入り口に、次々と飛び込んでいく。
「ほら、アネさん! 敵が来る前に、早く早く!」
敵って魔物のことかしら。わたしは急かされるまま、えいやと入り口に滑り込んでみた。
中は思ったよりも広い。ずーっと奥に続いているらしく、ポツポツと松明の明かりが見える。
「まずはオヤブンに会ってください!」
「オヤブンー! お客人ッスー!」
わたしは入り口の光が差し込む場所にある、枯れた切り株でできたテーブルと椅子に案内された。
「ここで待っているッス!」
「すぐに戻って来るッス!」
羊人さんたちはそう言い残し、全員が洞窟の奥に消えていく。
一人取り残されたわたしは、お行儀良く席に座って彼らを待った。
目の前にはひどく錆び付いたカンテラが置いてあり、火がゆらゆらと揺れている。
「オヤブンって、どんな人なんだろうね」
「さあ……しかし、意外とヤバい連中なのかもしれないぞ」
「ヤバいって、どういうこと?」
「回りを見てみろ」
フラグに促され、暗がりの方を見てみる。石壁に立て掛けられた、棒状のものが見える。
あれはもしかして、槍? その足元に、短剣らしきものも山積みになっている。
「武器を集めているみたいだね」
「見た目は可愛らしいが、山に隠れ住む武装集団だ。山賊か何かかもしれない」
「さんぞく?」
山賊って、悪い人のことだよね。おとうさんの話に出てきたことがある気がする。
山道を通る旅人や商団を狙って、脅して金品を巻き上げる悪い人たち。旅する上では魔物と同じくらい注意しなきゃいけない存在と思う。
「どうしよう。悪い人だったら、倒さないといけなくなっちゃうよ」
「まあ、そう決めつけるにはまだ早い……」
「お待たせしやしたー!」
背後から声が聞こえて、わたしたちは慌てて口を閉ざした。
「オヤブン! こちらのかたが、我々の新しい用心棒ッス!」
「シュクイのアネさんッス! 素晴らしい身のこなしの剣士さまッス!」
ああ、なんだかすでに仲間として紹介されてしまっているわ。
まずいわ。断らないといけないかもしれないのに...…。
わたしはおずおずと振り返り、オヤブンと呼ばれる人の姿を探した。
山賊のオヤブンって、どんな見た目だろう。髭もじゃで大きくて怖い顔のおじさんだったら、さすがにすぐに謝って逃げないといけないかも……。
モコモコの海に埋もれるかたちで、当のその人の姿があった。
薄暗いながらも、容易にわかる。その人はあまり背が高くなく、むしろかなり小柄だった。
「剣士……? ……立派な剣」
「そうッス! シュクイさんッス。オヤブン!」
「……味方……?」
「もちろんッス! 罠にかかった我々を助けてくれたッス!」
「罠…………?」
そのオヤブンさんは、羊人さんの影に隠れながら、訝しげな様子でわたしをチラチラと盗み見ている。
羊人さんたちよりも警戒心が強いのかもしれない。わたしが本当に敵じゃないのかを、慎重に見極めようとしている。羊人さんたちの警戒心が無さすぎる方が心配だったので、その反応はむしろわたしをホッとさせた。
「オヤブンが考えた罠ッス! 我々がうっかりはまってしまったところを、シュクイのアネさんに助けてもらったッス」
「……どうして、はまった?」
「それは我々がアネさんをはめようとしてミスをしたッス」
「……侵入者? ……本当に、味方?」
「ええと、それは……」
オヤブンさんがこちらを見るたびに、金色の煌めきが現れる。松明の明かりが反射して、金色の瞳が煌めいているのだと思う。
「おい、シュクイ……落ち着け……」
手元でミシミシという音と共に、フラグのくぐもった声が聞こえた。
落ち着いているわ。わたしは冷静、冷静に見ているの。オヤブンさんを。
羊人さんたちの説明を受け、オヤブンさんはわたしを疑いの目で見ている。わたしだって、彼らが悪人じゃないと判断できるまで、味方になれるかはわからない。わたしとの関係を軽率に決めてしまわない姿勢にありがたさを感じる。
だけど……。
ああ、駄目。冷静に考えても、我慢できないわ。
耐えられなくなったわたしは、息をたくさん吸い込んで、奥で議論する彼らに元気良く進言した。
「わ、わたし! あなたたちの味方です! 困ったことがあるなら何でも言ってください!」
おい、シュクイと手元で声が聞こえたけど、ミシミシという音でかき消した。
「わたし、けっこう強いらしいので、お役に立てます! 是非お、お友だちになってください……」
ポカンとした顔が、暗がりに並んでいる。
羊人さんたちも、黒い目を丸くしてこちらを見ている。
オヤブンさんも目を丸くしてこちらを見ている。
金色の大きな瞳。瞳孔が細長く変化しているのは、わたしの後ろの入り口が明るいからだろう。
わたしはすっかりその姿に見入ってしまっていた。
だって。だってだって。オヤブンさんって、とんでもなく可愛いんだもの……!
オヤブンさんは、おそらく猫獣人だと思う。
頭からつきだした大きな猫耳、大きな猫目。"おそらく"、と言ったのは、猫の程度が一般的な猫獣人と違ったからだ。
よく知る猫獣人の特徴と言えば、猫目と猫耳くらいで、あとはほとんど人間族と変わらない。
だけど、このオヤブンさんは、耳と同じ金色の虎模様の毛並みに全身が被われていて、ふわふわの手には、肉球と鋭い爪が見え隠れしていた。
獣人には、『ハーフ』と『クォーター』があると聞いたことがある。人間に近い方が『クォーター』で、『ハーフ』は獣と人間が半分ずつな姿をしているそうだ。
オヤブンさんはハーフの猫獣人さんなんだな、きっと。
回りの羊人さんたちも、おそらくハーフの羊獣人さんなんだと思う。
「あ、あの、わたしはシュクイと言います。えっと、オヤブンさん。あなたのお名前は?」
「……サクヤ」
「サクヤ、サクヤちゃん」
可愛い。声も可愛い。落ち着いた声をしているけど、多分彼女は女の子だ。
アイボリーカラーのチュニックと、革のパンツ姿という、性別の分かりにくい格好をしているけど、遠慮がちな仕草が女の子っぽさを醸し出している。
いや、なんかもう、男の子でも女の子でもどっちでもいい。とにかく可愛い。可愛いは正義。
「わたしにお手伝いできることがあったら、遠慮なく言ってください!」
「…………」
サクヤはわたしを値踏みするように眺めている。少し思案するような仕草を見せたあと、側にいる羊人さんに二、三言耳打ちして、何かを持ってこさせた。
ずんずんとこちらに歩み寄ってくる。わたしの手前でピタリと止まった彼女は、わたしよりも手のひら一個分小さい。彼女よりもさらに小さい、三頭身の羊人さんたちを引き連れた彼女は、悶えるほどの可愛さだ。
心の中でキャーキャー騒ぎながら彼女の言葉を待っていたのだけど、彼女は先ほどから抱えていたものを、グイッとわたしに押し付けてきた。
「あの、これは?」
「……お手伝い」
「えっと、何をすればいいんですか?」
「同じの、採ってくる」
わたしの手にあったのは、持ち手が付いたカゴと、一本の雑草。
「これと同じものを採ってくればいいんですね?」
頷くサクヤ。
それくらいなら、わたしにもできるだろう。
「任せて! カゴいっぱい採ってくるわ!」
意気揚々と洞窟を這い出したわたし。同じようなカゴを抱えた羊人さんたちが三人ほど、ちょこちょこと付いてきてくれた。